母のこと 感謝 | Destination Anywhere

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着地点が見えないまま迷走中~。

 

ご無沙汰しております。

 

 

9月17日、お昼ちょっと前。

母が旅立ちました。

 

 

父、姉、義兄、姪っ子、そして

お世話になった訪看さん3人全員に見守られ

眠るように、というか眠ったまま…だったかもしれません。

穏やかに 旅立ちました。

先生は、「まったく苦しみはなかったと思う」と。

2011年夏の告知から、7年と2ヶ月でした。

 

 

前日から異変(覚醒しない)があったのですが

訪看さんの処置でサチュレーション回復したので

病気の性質上、そういう段階に入ったのかと。

まさかこんなに早く 逝ってしまうとは思いもせず。

 

 

17日は、娘のピアノの発表会でした。

それがなければこの連休で間違いなく帰省していたのにな。

なんたって敬老の日でしたからね。

 

朝7時、姉から「お母さんもたないかも」とライン。

すぐさま電話し、姉は母の耳もとへ受話器を持って行ってくれました。

そしたらサチュレーション、少し上昇。

この時も意識はなかったけど、私の声、聴いてくれてたみたいです。

 

私には娘を発表会休ませる考えはありませんでした。

この日の為に頑張ってきたのを見てきたし

まだ心のどこかで「大丈夫」って思っていたのだと思います。

朝9時15分にママ友が迎えにきてくれることになっていたので

お弁当を用意し、娘を託し 私だけ急遽実家へ。(片道約2時間半)

 

 

電車の中のラインでは、少し回復したようだったけど

駅に迎えに出てくれた義兄から、今よくないことを聞きました。

 

 

結局、そのまま母は逝ってしまいました。

 

 

 

私は「ぎりぎり間に合ったのかな?」と、しばらく思っていましたが

(姉が「お母さんまだ聴いてるから」と言ったので)

 

父と姉で、私が到着するまではと

あと1時間…あと30分と…アンビューバッグ(手動式人工呼吸器)

を訪看さんに続けてくれるようお願いしてたことを

後日知りました。

 

 

よくよく思い起こせば、私ひとり母に呼びかけていて

他の皆があまりに静かなのに違和感を感じ

訪看さんに「もう息してないんですか?」って聞いたら

「はい」ってうなずいてたもんね…

 

姉が言ってたのは、「耳は最後まで聞こえてる」って

そこ頼みの優しさでした。

 

 

 

 

この一週間、何度も自宅と実家を往復しました。

(娘の行事で、行きっきりにはできなくて)

 

 

私は母のことをブログに綴ってきましたので

ご報告だけでもしなくてはと、

自宅に戻った時にPCに向かうのですが、一文字も書けず…

今頃になってしまいごめんなさい。

 

 

みなさまの励ましやあたたかな見守りは

ずっと支えとなっていました。

心から感謝です。

 

 

長い長い一週間でしたが、明日から仕事も復帰します。

気持ちを切り替え、今やるべきことをしっかりやろうと思います。

 

 

母のことは、心情的なこと

そして医療的なものも

もう少し 書かせていただきたいと思います。

 

 

 

皆さま 本当にありがとうございました。