僕は、年間で50〜60冊ほどの本を読んでいる。
スマホの普及により本離れが進んでいることを考えると、比較的多い。
時々、何で本を読むの?と聞かれることがある。僕なりに考えてみた。
まず、本を読む理由を話すにあたって、一つ前提を共有しておきたい。
「人は自らの価値観をもとに行動する」ということだ。
なんだ、そんなの当たり前じゃないか。と思う人もいるかもしれないけど
ぜひここは、前提から話をさせてほしい。
誰もが会社や学校などの何かしらのコミュニティに属していて、そこにはルールが存在する。
そこでは、倫理的に大きく外れたことをしなければ、基本的に罰されることはない。
会社の機密情報を漏洩したり、学校で人のものを盗んだりすることは
わかりやすい倫理的なNGだ。
では、「ルールで縛られない時の人の行動はどうやって決まっていくのか」というと
一人ひとりが内に秘める価値観に基づいて意思決定していると言える。
これは常識とも言い換えられるかもしれない。
アインシュタインの言葉で「常識とは18歳までに身につけた偏見の集まりである」とある。
この常識と僕が思う価値観はすごく似ている。
常識と同じように、
価値観は、育った環境や属しているコミュニティに大きく依存する。
逆に会社や学校でこの環境は合わないなと思うこともあるかもしれない。
私たちは自分の価値観で判断しているからこそ、人それぞれ「普通」が違う。
仕事終わりに勉強をすることが普通の人もいるし、趣味に没頭する人もいる。
学校でみんなと話すことが楽しい人もいるし、一人読書が楽しい人もいる。
早く結婚したい人もいれば、独身でいたい人もいる。
地元に残りたい人もいれば、都会に出たい人もいる。
どれもこれも自分の価値観次第で、絶対的な正解はない。
そんな価値観は、大人になればなるほど凝り固まってしまう。
大人になればなるほど他人から教えてもらえることは少なくなってくる。
親や先生からの教育のように、ほぼ強制的に教えられるような環境にはなりにくい。
なのに、凝り固まってしまった価値観を自分だけでどうにかすることは難しい。
こんな状況に、読書はとても有効だ。それに自分一人で完結できる。
時に読書は、大人になって無意識のうちにがんじがらめになった価値観をぶっ壊してくれる。
イン・ザ・メガチャーチという朝井りょうさんの小説の一節にこんなことが書かれていた。
「最も本質的な行為なのかという問いは、”視野を拡げて考えてみると”という呪文を唱えさえすれば、その答えを永遠に反転させられる。」
この本は
仕事一筋で家族から見放され、現在は窓際部署にいる父と
周りが求める自分と本来の自分自身との乖離に悩むその娘と
アイドルの押し活が生き甲斐になっているアラサー女子の三人の視点から描かれている。
個人的には2025年で一番好きな本だ。
仕事や日常生活において
自分の中で絶対的な答えを導き出せたつもりでも、簡単にひっくり返る。
凝り固まってしまった価値観を自分だけでどうにかすることは難しい。
だから、本を読む。
ビジネス本で、仕事の視座を。
小説で、感情の機微を。
新書で、物事の考え方を。
読書を通じて、僕という人物の価値観を形成・破壊・再構成を繰り返す。
普段本を読まない人は年に1冊からでも、
読んでみると世界は広がっていくかもしれない。

