今年まだ一度も会ってない15年目になる私の良きアドバイザーであり一番の理解者の、彼にメールをして今週の消化器内科の先生の話をした

あまり細かく話すのが苦手な私だから
今までも簡単にしか話していない
それにこの5年くらいは何だかちょっと、めんどくさくて会う回数も無くなってきていた


彼は8年ほど前に糖尿病から頸椎梗塞なんとか?で倒れ一時喋ることもままならなかった
首から頭にかけての血管が何本かいまだに梗塞している
他にも全身に梗塞しているしている箇所があるみたい
すごく努力家で誠実そのものでいろんな意味で私を支えてくれた人、涙もろい彼・・

自分の努力とカラオケで唄う事が良かったのだろう、今では話す言葉は以前とほとんどかわらない

だが年々様々な病気併発で頭から足まで全身医者通いしている
私には、常々「元気でいろよ❗こんなになるなよ」・・・といつも言っていたが

去年私の救急搬送、大腸がん手術の時には相当ショックだったみたいで
なんでおまえが・・・なんで○○が・・
と涙流し「絶対死ぬなよ❗俺より長く生きろよ!」と言っていた
結局、入院手術した病院は言わなかった
お見舞いに来られても病で疲れた姿見られたくなかったし、元気な私だけを知っていてほしいから・・・



その彼が年々糖尿病が悪化して
去年は足が痛くて歩けないくらいになり
そのままにしておくと壊死してしまう

手術して歩けるようになったが今度は反対の足をなんとかしなければならないと・・・
今年になり今度は片方の指が動かなくなったと、
新たな症状


このところ電話で話す内容は、お互いの体調の確認ばかり
病は違うが、とうとう私も仲間入りした(去年まで昼のカラオケ店経営していてほとんどが70代で薬持ち病院通い)ね!と

今日のメールですぐに📲電話

彼はメールが出来ない?しない?😂
(私も良い年齢の紳士が仕事以外のメールしてる姿がキライ)

先日の主治医が話した末期癌の話をした
仕事の引き継ぎとか・・・
彼は泣いていた・・・
言葉にならない・・・
私が泣いてないのだから、泣かないでと
そう言った私だが今度は私の目から涙が・・・

そして末期癌と宣告されてもそれから何年も元気な人達がいるからと・・・
一生懸命私を励ましてくれる

大丈夫よ❗
私はまだ生きるよ❗


真っ白な雪景色を見ると10年?くらい前に、初めて二人で行った青森を思い出す
あれは12月も終わりに近い頃
青森駅から浅虫温泉へ
演歌の世界のような小さな駅
待ち合い室の外は雪が風に舞い
ダルマストーブだけでも
それも私には日本映画の二人みたいで
しあわせだった

二人とも健康で、
今を想像できない毎日でした