自分の事を観察していると、いろいろとおもしろい事がわかる。
意識して生きている時と
無意識で生きている時がある。

たとえば、眠っている時は無意識だ。
では起きている時、常時何事にも意識して行動しているかと言えば、そんな事もない。
車を運転しながら考え事ができるのは、無意識の自分が運転している。
朝起きてからの毎日のルーティーン、それは無意識というよりかは身についた習慣なのかもしれない。
最近の自分は、8割がた無意識の世界でボケーッと生きている。そしてとっても平和だ。
頭に浮かんだその通りに行動すると、大抵は物事が上手く運ぶ。
無意識さんに任せるのはラク。
でも何事も上手く行きすぎると、それはそれでおもしろくない。そこが変人の極み。
そんな時は自ら「やらなければならない事」を自分の人生に組み込む。
その「やらなければならない事」が、実は意識している時なのだとわかった。
8割ボケーッと平和に生きて、2割は意識して「やらなければならない事」をこなす。
自分にはそのバランスがとても心地いい。
私というひとりの人間が、意識の世界と無意識の世界を行ったり来たりしているのか
それとも、意識している世界にいる私と、無意識の世界にいる私が、この現実世界の中でうまい事交代しているのか?とも思う。
見えない世界だから、実際はどうなのかはわからない。
常に自分の行動や考えを分析するのもおもしろいけど、それと併せて人の行動を分析するのも自分の学びとなる。
たとえば、仕事で忙しい長男がことごとく物忘れをして、問い詰めると「忘れていた、ごめん」と。
人は「やらなければならない事」が多すぎると、無意識状態に切り替わるのか?
そうやってバランスを取っているのかもしれない。
忙しい現代人の意識だけにハンドルを持たせると暴走しかねないから、無意識が発動する。
ココロとカラダの為に……
無意識が発動すると忘れものが多くなる。
無意識さんは忘れても「なるとかなるかな」と思っているか、それとも忘れた事でその先がわかっていてそれがいずれその人の学びとなる事を知っているのか?もしれない。
若かりし頃の自分は、自分は自分ひとりだと思っていたが、年を重ねて思うのは自分には自分ともうひとりの自分が居る事。
だから、困った時は自分が自分に問う事にしている。
人様に相談する事も全くなくなった。
自分が自分を1番知っているのだ。
それをわかっている人は案外少ない。
全て自分で決めて自分で責任をとる。
だから、誰のせいにもしない。
そしてボケーッとして無意識さんに8割ハンドルを持たせると全自動で上手くやってくれるのだからラクだけど、それだけだと意識の自分が成長出来ない。
だから「やらなければならない事」を2割入れて「やりたい事」を8割にしている。
そのバランスが自分にとってはイイ。
それが出来る環境を創ったのも自分で、たぶん今は無意識さんの自分が私を操作している。
知りたい、やってみたい、試したい
『欲しい』という欲よりも、この素晴らしい地球でしか出来ないこと、大自然をもっと味わいたい。
(でも、あの世に行くのもとっても楽しみではある)
そして、無意識さんは実はそれを知っているから意識さんに時々ハンドルを渡すのだと思う。
どちらが良いとか悪いとかではなく、それぞれの人のそれぞれのバランスが上手くいくと、地球も世界も上手くいくのかもしれない。
いつかそんなバランスのとれた世界になりますように
地球が私のようにいつも心地良い状態でありますように
世界中の人々も動物たちもいつも笑顔で幸せでありますように