今年89歳になる父
お耳がとうとう遠くなった。
先日もいつも行くスーパーでの事☝🏼
レジの店員さん
「ポイントカードはお持ちですか?」
父「………。」
自分はたまたま少し離れた場所でそれを見ていた。
もちろん、側にいる時は
「お父さん、○○だって!」と、伝える。
帰りの車で
私「店員さんが○○と言っていたよ。聞こえなかった?」
父「ん?ああ」
私「無視していると思われるよ」
父「いーんだ」(いいんかい
)


時々実家でも
私「夜はいつも何時に眠るの?」
父「オレ、魚が好きだからよ~」
普通に話すと何度も聞き返すものだから、大声で話すようになりついには腹筋が鍛えられる☝🏼
そして、高齢者=耳が遠いという思い込みの元、70代以上の方と話す時は大声.という変なクセまで付いた

向かいのおじさまもお耳が遠い。
だが彼は補聴器をしっかり付けている。
先日、父に補聴器の事をそれとなく伝えたが
父「いや、いい……」との事
耳が遠い事を受け入れたくないのかもしれない。
それとも何らかの理由があるのかもしれないが、あまり話たがらない。
水戸黄門をカラオケボックス並みの大音量で見ている父
きっと、道端で誰かに話かけられても気がつかないのだろう……
私がずっと大声で話しているから父は何も不便を感じないのかもしれない。
でも、私以外の人は父が耳が遠い事を知らない。
無視ではなくても、そう思われるかもしれないし、散歩の時に事故に遇わないとも限らない。
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優しさとはなんだろう

強制的に補聴器を購入し着けさせることが優しさなのか

あれこれ考えた結果…
心を鬼にして父に対し大声で話すのをやめた

何度聞きなおされようと、普通の音声で話すこと☝🏼
聞こえないことが不便だと感じる
それを自分で受け入れ気が付くこと
思えば、自動車免許を返納する時も本人が納得するまで見守った。
田舎の高齢者にとって自動車免許を返納するのは、かなりの覚悟を要するらしい。
(電車もなくバスの本数も少ないため)
山に住む高齢者は90歳過ぎても普通に運転している。
自身もいつかはそんな時が来る☝🏼
今見ている現実は、その時の為の教訓として私の目の前に現れているのかもしれない。
本人が受け入れて気づき、納得するまで見守ること
子や親だけでなく、それはどんな人であれどんな事であってもそっと見守ること。
こちらの心配を決して押し付けたりはせず、気が付くのを待つこと。
手を出し口を挟む事だけが優しさではない。
それが私の考える優しさであり、思いやりである


