夜の8時、父の家に行った帰りいつも行くスーパーにふらっと寄ってみた。
誰も居ない店内で1人レジに立つ女性🧑🏻🦳
決して温かくはない店内で、仕事にしても『おつかれさま』と感謝の気持ちがあふれた。
買いものかごにチョコレートを一つ足して、会計の後に『遅くまでありがとうございます
』とチョコレートを渡した。

60代らしきその女性は最初は遠慮していたが、ちょっと嬉しそうに受け取って下さった。
私もそれを見て嬉しかった。
レジ打ちの方には必ず『ありがとうございます』と感謝を伝えている。
買いものをさせていただいてありがとう🙇🏻♀️
会計をしてくれてありがとう🙇🏻♀️
セルフ会計が増えてきている中、余計にレジ打ちの方の有り難みを感じるようになった。
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山へ山菜を採りに行く時も『おじゃまします』と挨拶する。
その土地にいる守り神様に挨拶

そして、『美味しい山菜をありがとう』と伝える。
釣りの時も『宜しくお願いします
』と海担当の神に挨拶する。

お借りしている畑にも朝『おはよう』と声を掛け、野菜たちとも会話をし、虫たちにも挨拶をする。動物も同様。
『やらなければならない』とは思っていない。
自然と接していると、自然にそうなったのだ。
人様が見たら変な人だが、自分はそんな変な自分が結構好きだ(*^_^*)
自然に有る全てに意識が宿り、そしてそれらはコチラを見ていると思っている。
その意識に対しての礼儀は、私の中では人様に対しての尊重となんら変わらない。
そして最近、自分の家にも意識が宿っているのかもと思い始めた。
昨年からアルバイト等で家を空ける時『まぁちゃんをお願いしますね
』と家にお願いしている。『いつもありがとうございます』と。

そのせいか、最近家にも意識があり守り神がいるのかもと。
そういえば以前は、家自体には感謝をした事がなかったと反省した。
家が有るのはあたりまえではない、そんな事を忘れていたのだ。
それらは私が創り出した妄想と空想なのかもしれないが、帰宅した時に愛犬が生きているのを確認しては『ありがとう』と何度となく感謝を伝えてきた。
17歳の愛犬を、私が留守の間に守ってくれている。
と、勝手に思って感謝している。
今まで、愛犬にだけ伝えてきた『行ってきます、ただいま』を、これからは家の守り神にも伝えたい。
きっと神社や仏閣にも、そうやって人々が長年『存在する』と思って、それら(守り神)は出来上がったのかもしれない。
有ると思えば有るのだな
