おばあちゃんから、以前いただいた急須
取っ手の部分が割れてしまった。(修理後の写真)↑
かなり古くて、あちこちに亀裂も入って、欠けてもいる。
そこで、電動ドリルで小さな穴を開けて、アクリルの糸で繋ぎ合わせた。
なので、これでもかというくらい、巻いて固定。
その後は、問題なく使えている。
急須から「ありがとう❕」と言われたような気がした。
忙しかった頃は、簡単に捨てていた。
買った方が早い。似たようなのを探し、買えばいいだけ。
きっと、あの頃はモノの声が聞こえていなかった。
モノたちのココロを感じとる、自分の心がなかった。
もし、私が急須だったら
「ちょっと直してくれたらまだまだ使えるよー」って必死に訴えていた。
今は聞こえる。
だから、直せるものは直す。
壊れたら直せばいい。簡単には捨てたくない。
簡単に捨てたら、自分も簡単に捨てられる、そんな気がする。
どうしてもダメな時は「今までありがとう」と感謝して捨てる。
大切にすると、ずっとそばにいてくれる。
私に美味しいお茶を、飲ませてくれる。
たかが、急須。されど急須。
無いと困るのだ。
モノが溢れる時代にいるのは、そんなモノたちのココロに、モノたちの訴えに気がつくためなのではないか。
我が家に来たモノたちは、みんな私の家族。
みんな、我が家に来てくれてありがとう。
そんな事を思いながら、今日も美味しい野草茶をいただく。