お墓……
なぜ、お墓にご先祖様を祀ろうと思ったのか。
ずっと、そこに魂はなく無意味だと思っていた。
ふと、日中に気がついたこと。
感謝を忘れない為に、だ。
自分の中に、ご先祖様に対する感謝の気持ちを忘れない為に、自分の外側にそれを形として作ったんた。
忘れない様にするために。形として作った。
形にしないと、忘れるから。
形を作りだし、そこに想いを込めなければならないと。
本当は、自分の中にすべてが有る。
でも、無いと思わされてきた。
現代社会の情報や喧騒に飲み込まれて。
自分の中に有るのに。
自分が、本当は自分がご先祖様の、光を受け継いでいる自分こそが、祀るものであるのに。
自分を祀らずに、外側に作ったモノに、神や仏を映し出し、祀ることで、安心した。満足した。
お盆、正月、お彼岸。
その時だけは、拝もう、と。
自分を、自分自身を拝み、肉体を大切にすることすら忘れてしまった。
自分自身がご先祖様の、愛の賜物であるのに。
お墓を作り、仏壇を添えて祀ることで安心してしまった。
感謝は、自分を大切にすること、毎日、心を込めることでいつでも想いは届く。
心を込めて自分自身が生きること。
外側に、形ある、モノとしてのお墓や仏壇がなくとも。
だけどお墓参りをすることで、人は満足してしまった。
神社もそうだ。
形あるモノを拝むことに、喜びを見いだす。満足する。
自分を信じ、自分に感謝することを忘れてしまった。
神は、自分の中に有るのに。
有ることも忘れてしまった。
忙しくて、働かなくてはいけなくて、やらなければならないたくさんの事が有りすぎて、自分の中には何も無く、全ては外側にある、形に何かが宿っている。
そう思い込んでしまった。
だから、形あるモノを外側に作りだした。
そこに神や仏がある、そう思いたかった。
そう思って拝むから、そこにエネルギーが集まる。
想いの念やエネルギー。
だから、お墓にはご先祖がいて、神社には神さまがいるのかもしれない。
なるほど、自分の中で腑におちた。
でも私にはお墓は要らない。
ただ、土になりたい。
ずっとそうやって、文明は築かれてきた。
自分の外側に、あらゆるモノを作りだしてきた結果、自分には、何の力もない、そう思ってしまい、外側に作りだしたモノに依存するようになってしまった。
外側にある、あらゆる便利なものに。
分離してしまった。
モノがないと、何も出来無いと思ってしまった。
出来るのに、出来ないと思いこんでしまった。
肉体を粗末に扱った挙げ句、体が悲鳴をあげると、これまた外側の医者になんとかして貰おうと。
考えることも、感じることも、自ら放棄しつつある。
起きた出来事は、自分以外の誰かの責任。
そして、お金が必要となる。
死ぬことは悪いことだと思わされて
たくさんの商売が繁盛した。
法律もルールも、どんどん厳しくなった。
外側に自ら作りだし、それらに縛られて、自分で自分を苦しめ、不平や不満を言っている。
もうそろそろ、回帰する頃なのかもしれない。
もう気がついてもいい頃合いなのかもしれない。
全ては、【自分の内側に有る】ことを。
物事の過程にこそ喜びや学びがあるのだと、今でも思っている。
物事をどう受け取り学び糧にするかも、それぞれ。
だから、全てが學びになっているのだから、それでいい。
いろんな人がいて、いろんな物事があっていい。
だけど、この地球という惑星が、その學び場所を提供してくれていることは忘れないでいようと思う。
その學び場所を、せめて汚したり壊したりだけはしたくない。
人間には、人間にしか出来ないことがある。
ふと、そんなことを、思ったから。
記録として、残しておこうと思う。
地球に、この美しい地球に、住まわせていただいていることに、感謝いたします。