私がどうしても避けてしまう方々…………
 
昭和生まれの高齢者👵🏼
 
かなりの高い確率で、ニガテな人が多い。
 
競争意識が激しい
年上と年下で態度が変わる
初対面でオマエと呼ぶ
 
 
自分より若い人は何も分かっていないと決めつける発言を平気でする……
 
こちらが対等に、敬意を持って接しても、だ。
 
なんていうか、もう変わらないのだなと諦めているから、なるべく接しないようになってしまった。
 
が、2割くらいはそうではない高齢者がいるのも確か。
 
春に友人に突っ込まれ向き合わざるを得なくなった男性に対するトラウマ。
これと似ている気がする。
 
男性も2割くらいはそうではない人がいる。
 
民族性で嫌われている中国人も、きちんとした中国人とは仲良くしている。
 
「今の若い人は……」なんてご高齢の方からよく聞くけど、私にとってはしっかりと自分の考えを主張し世の中をしっかりと見据えている若者が多いように思う。
 
子供は、なあんにも知らないようだけど、全てを見て成長している。それに気がついていないのは親なのかもしれないな、なんて思う時もある。
 
 
結局は、高齢者がとか、若者がとか、男性がとか、中国人がとか、子供がとか、
 
関係ないのかもしれない
 
目でみる肉体年齢、性別、出身などで「ひとくくり」にするのはちがうのではないか
 
「ひとくくり」にすると、そうではない人たちに失礼なので、やめようと思った。
 
私も50代のおばさんは~って「ひとくくり」にされると、なんだかちょっぴりさみしい。
 
でも、ニガテな人はニガテ。
 
ニガテな人と時間を共にすると、みるみるとエネルギーが奪われる。
 
ただ、接する前から「ひとくくり」に分別し色メガネで見るのはやめたいなと思っている。
 
これも、私の心の汚れなのかもしれない。
 
だけど、何度もイヤな想いをしてきたからどうしても構えてしまう。
 
これも乗り越えなければならない試練なのかもしれない。
男性に対するトラウマみたいに。
本当に、ご高齢の方でも素敵な方々はたくさんいるし、向かいのおじさまにはどれほどお世話になっていることか。
 
 
 
 
息子の友達で、小さな頃から知っている子が今は大人になってアルバイト先の上司になっていたりする。
もちろん、敬語。
 
自分がイヤな思いをした時
された事を相手にそのままするか、しないかで人生の道のりは変わるのだと思う。
 
だから、私はしないし、したくない。
 
 
 
年齢が上でも下でも、立場が上でも下でも、お金持ちでも貧乏でも、みんな自分と同じ立ち位置で敬意を持って接したい。
 
相手が私と同じ心持ちなら仲良くなれる。
 
それはそれでよいのだとは思う。
 
だけど、やめたいのは「ひとくくり」
 
小さなことだけど、「ひとくくり」にすることがクセになっていることに気がついた。
 
なにせ、私も昭和生まれの親に育てられた、昭和生まれの人間だ(笑)。
やはり、媚り付いた思想はまだまだたくさんありそうだ。
 
それらを綺麗に掃除したい。
 
孫たちに「ばあばはアタマが硬いから何を言ってもムダ」と言われないように。
 
要らない固定観念に気がつけて良かった。
 
自分以外の人は、自分の教科書なのだとつくづく思いしらされる。
これは皮肉でも何でもなく、自分の両親を見ていると彼らもその時代でそう躾られ、生きる為に身に付けてきたものなのだなとも感じるから。
 
だから、良い悪いの話ではなく、これらの経験は自分の心をキレイにするきっかけのひとつになるはず。
 
少しづつ、少しづつ、ココロのお掃除
 
固定観念の断捨離、これからも続く…………