「アポロ11の月面着陸」は、米国フロリダ州にあるケネディ宇宙センターから打ち上げられた4日後の1968年7月20日とされています。

 

 

そしてその4日後の7月24日に地球に帰還し太平洋に着水した、とありますので、なんと往復でたったの8日間の旅だったということになります。

 

 

ところで、月までの距離はおよそ38万Kmだそうで、これは太陽系にある全ての惑星が入る距離(太陽系の7惑星の直径の合計が約38万km)、「最短の」直線距離で考えても、単純計算で時速4㎞で1日10時間歩いたとして26年かかり、時速300㎞の新幹線のぞみがノンストップで走っても52日間かかる距離です。

 

 

4日間で月面まで達するには単純計算で時速4000㎞ということになりますが、この様なスピードを例え真空である宇宙で出すにしても、大変な加速が必要ということになります。そんなことが、しかも有人ロケットで果たして当時の技術で可能だったのでしょうか?

 

引用元:

アポロ11号 - Wikipedia

 

今回JAXAの小型月着陸実証機SLIMが昨年9月7日にH2Aロケットで種子島から打ち上げられて、今年の1月20日の未明に月面到着するまでに要した時間は134日、約4か月間半です

 

 

■JAXAの小型月着陸実証機 SLIMの月面着陸

2024年1月20日の未明にJAXAの小型月着陸実証機 SLIMが月にピンポイント着陸を成功させました。SLIMは、日本初の月面着陸機として、月の地形や重力を高精度に測定することを目的としているそうです。

 

日本初の宇宙機による月着陸へ、小型実証機「スリム」のミッション|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 (newswitch.jp)

 

 

その行程は、2023年1月時点の計画によると「打ち上げから3~4か月後に月周回軌道に到着し、約1ヶ月間月を周回した後に、高度約15kmから秒速約1700m(旅客機の約7倍のスピード)で降下を開始して着陸までの時間に約20~30分かける」というもの。

 

 

SLIMの月面着陸はこれまでの月面着陸と違い、「降りられる場所に降りるのでなく、精度100m(従来は数km~十数km)で「降りたい場所にピンポイントで着陸する」というものでした。

 

 

種子島宇宙センターからSLIMが打ち上げられたのは昨年の9月7日午前で、H2Aロケット47号機が打ち上げられ、同日9時17分に月探査機SLIMと観測衛星を予定通り分離した、と報じられていました。

 

つまり、SLIMはH2Aロケットで打ち上げられて切り離され、月面到着まで、昨年の9月7日から今年の1月20日まで約4か月間もの旅をしたことになります。

 

 

追記:

SLIMは、H2Aロケット(打ち上げ時の時速約60,100キロメートル)で高高度の衛星軌道に打ち上げられ、「月スイングバイによる軌道変更」を行って月の周回軌道に移り、月面まで高度を下げての着陸という旅だったようです。

 

引用元:

 

H-IIAロケット打ち上げ成功 XRISMとSLIMを切り離し 「世界一の装置が上がった」 - ITmedia NEWS

 

 

■かぐや(SELENE)

下の写真はJAXAとNHKが2007年(平成19年)10月18日に(地球からの)高度約100kmの月周回観測軌道に投入した月周回衛星「かぐや(SELENE)」から、「世界初のハイビジョンで月面撮影」に成功したときの写真だそうです。

かぐや - Wikipedia

 

 

■世界初の月面写真

「月探査」を始めとする宇宙開発は米ソの冷戦時代の象徴でもありました。

 

最初に月面写真の撮影に成功したのはNASAではなく、1959年にソ連のルナ1号によって撮影されたものが世界初のようです。

 

1957年のスプートニク1号の打ち上げからソ連は宇宙開発の目標を「月」と定め、1958年に3回失敗した後、1959年1月2日に打ち上げられた4回目のルナ1号はボストークLロケットから切り離されて、月着陸・衝突まで至らなかったものの、打ち上げから34時間後の1月4日に月近傍5,995 kmを通過し、月面撮影に成功している。

 

Luna-1 - Wikipedia

 

 

一方、「月面の詳細な地形」を捉えた最初の写真は、1966年5月30日にNASAが打ち上げた「月面着陸型探査機サーベイヤー1号」によって撮影されたものだそうです。

 

 

サーベイヤー1号は月面のクレーターや山脈などの地形を明確に捉え、月面探査の基礎を築いた。

サーベイヤー1号 - Wikipedia

Surveyor to the Moon (1966 - 1968) (nasa.gov)

 

参考:

新しい月面図は、月の地形の前例のない詳細を提供します |デジタルトレンド (digitaltrends.com)

 

この写真は「地球の出」といわれる写真です。アポロ8号のミッション中の1968年に宇宙飛行士ウィリアム・アンダースが月の周回軌道から撮影したものとされ、「史上最も影響力のあった環境写真」として知られている。

 

地球の出 - Wikipedia

 

 

 

■月の表面温度

月の表面が地球の上空からは勿論のこと、地上の天体望遠鏡で誰でも観測できるのは、月には大気がないためで、殆ど真空状態なのだそうです(厳密にいうと宇宙は完全な真空状態状態「絶対真空」(温度が‐273度)ではなく‐270度で、僅かながらも分子が漂っていると考えられている)

 

引用元:

宇宙は本当に真空なのか?わかりやすく解説 | 株式会社菅製作所 (agus.co.jp)

 

 

空気がないため、月の表面温度は昼は120℃前後に上昇し、夜は-170℃前後、つまり昼夜の温度差が300度だと言われています。

 

 

月の昼と夜の温度差は300度。灼熱と極寒の過酷すぎる環境。 (zatsugaku-company.com)

 

 

私は高校生くらいの時に「月は地獄だ」というSF小説を読み、月面は宇宙服を着たとしても生身の人間が容易に歩けるような場所ではないし、月の表面は人類の生存には適さないということがわかりました。

 

そして、「アポロ11で本当に人間が月面に降りたのだろうか」と不思議に感じたものです。

 

 

 

故人となられましたが、立花隆さんの「宇宙からの帰還」では、宇宙から帰還した宇宙飛行士らの中には神秘主義者となる人もいたと、語られていたように記憶しております。

 

 

そこには「アポロ11号」の飛行士についても語られていました。「人類で最初に月に立ったのはアポロ11号のアームストロング船長だった」と。そして同じくアポロ11号の乗組員だったオルドリン飛行士は何故か月からの帰還後、暫く精神を病むこととなったとも書かれてあったように思います。

 

 

そこには何があったのでしょうか。

 

 

■アポロ11号

1969年7月16日、NASAのアポロ11号は宇宙飛行士のニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズを乗せて地球を飛び立ち、この3名の内2名が月に降り立った、ということになっています。

1969年7月20日20時17分アポロ月着陸船「イーグル」号を月に着陸させた。アームストロングは7月21日の2時56分15秒(UTC)に月面に降り立った最初の人物となり、その19分後にオルドリンがアームストロングに続いた。二人は約2時間15分をともに船外で過ごし、47.5ポンド(21.5キログラム)の月物質を地球に持ち帰るために採取した。2人が月面にいる間、マイケル・コリンズ司令船操縦士はひとり月周回軌道上で司令船「コロンビア」号を飛行させた。アームストロングとオルドリンは21時間半を月面で過ごしたあと、月周回軌道上で再び「コロンビア」に合流した。

アポロ宇宙船 - Wikipedia

などとありますが、この司令船「コロンビア」って何でしょうか?

 

アポロ計画の中の司令船「コロンビア」について、詳細は不明です。

 

一方、スペースシャトル・オービター2号機(注)の名前が「コロンビア号」で、打ち上げに最初に成功したのが1981年4月12日です。


 

 

■アポロ11号のバズ・オルドリン元飛行士が語った真実

 

 

8歳の子供が「何故長い間、誰も月に戻ってないの?」と質問した。老人となったオルドリンは「それは・・8歳の質問ではない。私の質問だ」「だって行っていないから・・そういうこと」「起きていないなら・・なぜ起きなかったか理由を知ることは大事だよ」「未来に同じことを続けるなら、続けるべきことがなぜ止まったか知る必要があるからね。多分わかるよ。だって行っていない・・」と。彼は人生の最後の方で真実を語り重荷を下ろしたようです。

 

 

 

 

こんな調子で一般人を小ばかにしたような、予算確保のためなのか、まるでショーのような「演出」のために、志をもったJAXA宇宙飛行士までも付き合わさせられるのは気の毒ですね。

 

NASAの宇宙飛行士の方々にとっても同じことが言えるのかもしれません。

 

 

参考:

https://x.com/mulder_17/status/1673219480539787264?s=20

 

(注)スペースシャトル

「宇宙輸送システム (Space Transportation System, STS)計画」の一環としてつくられた「スケースシャトル」は既に姿を消しており、ご存知ない方も多いかもしれませんが、はNASAが1981から2011年にかけて135回打ち上げた再使用をコンセプトに含んだ有人宇宙船のことです。

 

地球周回軌道の高度約300km迄上昇するための輸送機で、ミッションの目的によって、例えば「国際宇宙ステーション(ISS)」にドッキングするためには高度約400km迄上昇することもあったそうです。

 

86年に乗組員を乗せた「チャレンジャー号」が打ち上げから73秒後に空中爆発し、2003年にはコロンビア号も同様の事故が度重なったことで、安全面に大きな問題があったこと、「オービタ―部分の再利用が可能」といいつつ、コストが余りにも高すぎたことなどから、「スペースシャトル計画」をNASAは終了しています。

 

スペースシャトル - Wikipedia

 

 

■民間の会社「スペースX」の役割は?

NASAは現在ISSへの輸送手段としては民間の会社「スペースX」のクルードラゴンなどに委ねるようになった。

 

その「スペースX」がつい昨日大型宇宙船の打ち上げに失敗と報じられていました。

 

スペースXの大型宇宙船「スターシップ」 打ち上げ後に爆発 | NHK | 宇宙

スペースX - Wikipedia

 

 

宇宙開発というものは、多くの人々の叡智と汗の結晶のようなもので簡単にどんどん成功するものでもなく、アポロ11ような茶番は、現在では人々に宇宙開発への猜疑心をもたせるだけの効果しか生まないと思うのですが。

 

 

■アポロ計画の宇宙船を製造した会社は既に消滅している

因みにアポロ計画ではアポロ宇宙船の最も主要な部分は、「地球周回、月への飛行、月周回、地球への帰還のために設計された3人乗りの機体」で、ロックウェル・インターナショナルによって製造されたコマンドモジュールとサービスモジュールから構成された、とあり、このロックウェル・インターナショナル(Rockwell International )は、嘗てて存在した米国の製造業コングロマリットだった。

ウィラード・ロックウェルが1919年に設立し、ウィラードは、トラックの車軸のための新しいベアリングシステムの発明を元にこの会社を興して財産を形成し、最終的に20世紀後半を代表する製造業コングロマリット「ロックウェル・インターナショナル」に育て上げた。

 

2001年にロックウェル・コリンズ(2018年にユナイテッド・テクノロジーズが買収)とロックウェル・オートメーションに分割され、ロックウェル・インターナショナルは消滅した。

ロックウェル・インターナショナル - Wikipedia

 

「かぐや」を作ったのは「NEC東芝スペースシステム」という部門で、東芝の創業は1875年、「SLIM」をつくった三菱は1870年なのだそうで、それぞれ150年以上となる、日本のものづくりの精神が生きている企業ですね。

 

 

参考:

ロスコスモス(ロシア国営宇宙公社)がつくった太陽系の惑星動画 | eternalturquoiseblue(旧kamakuraboy) (ameblo.jp)