1999年に機密解除された公文書から、「津波爆弾」「地震爆弾」が第二次世界大戦中の米軍とニュージーランド軍によって実験開発され、連合国軍によって使用されていたといわれています。

 

「津波爆弾」

第二次世界大戦中に破壊的な津波を引き起こす可能性のある構造兵器を開発する試みであった。

 

このプロジェクトは、米海軍将校のEAギブソンがサンゴ礁を一掃するために使用される爆発により生成された小さな波に気付いた後に開始された。

 

このアイデアは、「プロジェクト・シール」という名前のプログラムコードで米国とニュージーランドの軍隊によって開発され、この武器の概念は実行可能であると見なされたものの、武器自体は完全に開発または使用されなかった、などとある。

 

関連する概念である「反跳爆弾」、第二次世界大戦で開発および使用され、ドイツのダムを破壊し、産業能力の喪失と広範囲にわたる洪水を引き起こす手段として水中に投下された。

 

テストは、1944年にかけて、オークランド沖のファンガパラオアニューカレドニアでオークランド大学のトーマスリーチ教授らによって実施された。

 

英国と米国の国防長官はそれが開発されるのを熱望し、原爆と同じくらい重要であると考えられ、沿岸都市や沿岸防衛に甚大な被害をもたらすことが予想された。

(中略)

津波爆弾-ウィキペディア (wikipedia.org)

 

 

■コードネーム「プロジェクト・シール」

実験の詳細は、1999年に外務貿易省によって機密解除され、現在では一般に公開されており、ウェリントンのニュージーランドアーカイブズとカリフォルニア州サンディエゴのスクリップス海洋研究所アーカイブで入手可能なのだそうです。

 

 

ワイカト大学の1999年の機密解除された文書には武器として実行可能と分析されている。

 

実験の詳細は、1999年に外務貿易省によって機密解除され、現在では一般に公開されており、ウェリントンのニュージーランドアーカイブズとカリフォルニア州サンディエゴのスクリップス海洋研究所アーカイブで入手可能なのだそうです。

 

武器の具体的な標的は特定されていないが、2013年にニュージーランドの放送局で作家のレイワルは、(第二次世界大戦中)日本列島の島々への侵略に先立ち、日本の沿岸要塞への攻撃が提案されていたと述べている。

 

エジプトの雑誌Al-Osboaは、2004年のインド洋地震と津波は、海の下の戦略的な位置で爆発した核兵器によって意図的に引き起こされたと主張。

反跳爆弾の原理のアニメーション。

 

爆弾は湖の表面近くに落とされます。ほぼ水平に高速でバックスピンしながら動いているため、沈むのではなく数回跳ね返る。各バウンスは前のバウンスよりも小さくななる。「爆弾の実行」は、最後の跳ね返りで爆弾がターゲットの近くに到達し、そこで沈むように計算されます。はそ爆雷れを適切な深さで爆発させ、破壊的な衝撃波を作り出します。

 

反跳爆弾は、第二次世界大戦中に別途開発された5トン爆弾。津波爆弾のように、それはまた水中で爆発するように設計され、そしてその意図された効果の1943つは大規模な洪水を引き起こすことだった。

 

その標的はナチスドイツの巨大な強化ダムであり、通常の兵器では触れられないと見なされていたが、壊れた場合、ドイツの戦争努力に甚大な害を及ぼし得た。爆弾の最も珍しい特徴は、投下する前に意図的に後方に回転することだった。このバックスピンにより、彼らは沈む前に一定の距離の間水面に沿ってスキップし、爆雷と同様に水中で爆発する前にダムを保護する魚雷網を回避することができた。そのような最初の爆弾の発明者はイギリスのエンジニア、バーンズウォリスであり、その「維持」反跳爆弾は1942年11月のRAFチャスタイズ作戦で使用され、グランドスラムトールボーイ地震爆弾の地下爆発と同様の効果でドイツのダムに跳ね返り、水中爆発した。どちらも彼による発明であった。

 

 

■地震爆弾

第二次世界大戦の初期に英国の航空エンジニアであるバーンズウォリスによって個別に発明。

 

その後ヨーロッパの戦略的目標に対して陸上で開発されて使用された。

 

地震爆弾は高密度媒体での爆発の概念を使用したものであり、通常は地表またはその近くで爆発し、爆発力によってターゲットを直接破壊する従来の航空機搭載爆弾とは概念が多少異なる。

 

対照的に、地震爆弾は非常に高い高度から投下されて速度を上げ、衝撃を受けると地下深くまで浸透して爆発し、巨大な洞窟(カモフレット)またはクレーター、およびはるかに激しい衝撃波を引き起こす。

 

このように、他のタイプの従来の爆弾の影響を受けるには大きすぎるターゲットや、橋や高架橋などの困難なターゲットに影響を与える可能性がある。

 

地震爆弾は、第二次世界大戦の終わりに向けて、大規模に強化された設備(厚さ数メートルのコンクリート壁を備えた潜水艦ペン、洞窟、埋められたトンネルなど)、及び橋に使用された。

津波爆弾-ウィキペディア (wikipedia.org)

 

 

■第二次世界大戦さなかに日本で起きた3度の大地震は人工地震?

第二次世界大戦のさなかに日本では、3回の大地震が起きています。特に

 

1943年9月10日に鳥取地震(M7.2、最大震度6)死者1083名。

 

過去、鳥取県では1943年の大地震以前には大きな地震の記録がなく、近年では2000年、2007年、2016年などにもそれぞれ発生。

鳥取地震 - Wikipedia

 

鳥島近海を震源とする地震情報 (日付の新しい順) - 日本気象協会 tenki.jp

 

 

1944年12月7日に昭和東南海地震(M7.9)死者行方不明者1223名、東海地方に集中していた軍用機の工場が全て破壊。

昭和東南海地震 - Wikipedia

 

 

1945年1月13日三河地震(M6.8)死者2306名、この地震と前後して名古屋大空襲が開始されていたそうです。

三河地震 - Wikipedia

 

後ろ2つの地震の際には報道管制が敷かれ、多大な被害があった地域でも近隣地域からの救援を得られず、政府の組織的な救援活動もなく、被害を拡大したなどと指摘されています。

 

 

 

311は発生当初、マグニチュード7.9と発表されています。7.9から8.8に、更に最終的には9.0に訂正されています。

 

 

揺れによる建物の被害が少なく、最大の揺れを観測したのは宮城県栗原市築館で震度7でした。

 

 

しかし、それ以外は全て震度6以下でしかなく、福島第一原子力発電所のある大熊町の揺れも震度6の揺れでしかありませんでした。

 

 

しかし、気象庁は3.11発生の2日後の2011年3月13日午後に記者会見を開き、「地震の規模をM9.0と修正します」と発表しています。

 

 

「M9であった」と訂正された理由は、「大津波の規模を説明するのにM7.9では小さ過ぎるから」なのだそうです。

 

 

震度からは、M7.9がせいぜいであったが、それではあのような大きな津波が起こったことを説明できないため、マグニチュードを最初の発表から2回訂正して、M9.0であったと発表され、それが公式に残った。

 

 

各地の地震波の記録を分析したところ、周期1秒以下の波に比べ、周期1~2秒の波が弱かったことが指摘されています。

 

 

震度7を記録した宮城県栗原市や震度6強だった仙台市で得られた周期1~2秒の波の強さは、約30万棟が全半壊した阪神大震災の時の被災地に比べ2~3割程度。

 

 

「周期1秒以下の地震波が強いと、室内にある物は揺れるが、建物には影響が少ない

 

 

これは「地震の規模が大きくなれば、1秒以上の周期が多くなるとする常識と異なっている 。

 

揺れによる建物被害が少なかったとすれば、それは建物の耐震性が高かったためではなく、周期1~2秒の地震波が弱かったことの方が大きい」と指摘されています。

 

 

東京大学地震研究所の纐纈(こうけつ)一起教授(応用地震学)も「これまでにない現象で、謎が多い 」と指摘なさっています。

 

 

気象庁は3.11発生の2日後の2011年3月13日午後に記者会見を開き、「地震の規模をM9.0と修正します」と発表。

 

マグニチュードの大きさを修正して、津波が自然災害に付随したものだったように日本国民に思いこませた。

 

 

元米国家安全保障局(NSA)技術者ジム・ストーン氏は「実際の規模ははM7.9だったが、この数値だと起きる津波の大きさが、小さくなくなる(津波の規模を説明できない)ので隠蔽する為に修正したのだ」が、マグニチュードが震度と乖離しているのは「建物の崩壊度を見直せば分かる」と指摘。

 

 

下はマグニチュードの規模を再修正するための記者会見の動画です。

 

 

気象庁はこのとき、地震波形を示さずに「このような複雑な形で地震が起こるということは極めてまれで、少なくともわれわれは初めてでございました。」と感想を述べるにとどめ、波形の詳細な内容をコメントしていません。

 

 

下の図は、気象庁が自然地震と人工地震の波形の違いを説明するのに示した地震波形です。自然地震の波形は「P波」と呼ばれる小さな波形の後に「S波」と呼ばれる大きな波がくる、という波形となるそうです。

 

 

地下核実験などで発生する「人工地震」では「P波」がない、あるいは、「P波とS波の区別がつかない」というのが特徴のようです。

 

人工地震の波形は地動ノイズに比べてシグナルが小さく,P波の立ち上がりが明瞭ではないものの,両者を比べると波形の様相がかなり違うことが分かる。

 

人工地震の波形には短周期成分が多く含まれ,P相の発現から10秒程度で振幅も弱まるなど減衰も早い。

 

一方,自然地震は比較的周期の長い波が卓越し,しばら くは後続相も見られる。

 

このような人工地震と自然地震との波形の違いは,前者は点震源から一瞬でエネルギーが放出されるのに対し,後者は有限の長さを持った断層が有限の時間をかけてエネルギーを放出していくといった震源過程の違いに起因するものと考えられている

技術報告 第24号 人工地震と自然地震の比較 (jma.go.jp)

 

 

動画:

2016年1月

「自然地震でない」 気象庁が観測

 

2016年9月

気象庁「地震と異なる波形」 過去の核実験と類似(16/09/09)

https://www.youtube.com/watch?v=_uctj8dudAQ

 

 

下の図は、2008年の三陸沖地震と2011年3月11日の東日本大震災(311)の地震波形の比較です。

 

それぞれ縦方向に3種類の波形があり、上から【N-S(北-南)】、【E-W(東-西)】、【U-D(上-下)】の波形で、上の2つが横波、一番下が縦波。

 

 

 

 

 

 

311の際に起きた福島第一原子力発電所の爆発は、実は津波が原因で原子炉の冷却機構が失われたことが原因ではないようです。

 

海外で作られた「311の真実」と題するスライドの一部をご紹介します。

 

FUKU 3/11 – The Untold Truth (Fukushima, Japan, March 11, 2011)
JANUARY 24, 2014 BY REBLDYNE
Learn the facts about what really happened on March 11, 2011, in Japan. Discover the details that you will not find on TV nor in the newspapers. It’s time you know the truth!


Use this slide presentation as an educational tool to inform your friends and family. Use it at school and in your community. Let the public know what really happened on March 11, 2011, at Fukushima Japan. Let it be known that the events were no “accidents” but acts of sabotage and acts of war against the Japanese people and the international community.

 

(自動翻訳)

FUKU 3/11 -知られざる真実(2011年3月11日、日本・福島県)
2014年1月24日 by rebldyne
2011年3月11日、日本で実際に起こったことについての事実を学びましょう。テレビや新聞では知ることのできない詳細を発見してください。今こそ真実を知る時です


このスライドは、友人や家族に知らせるための教育ツールとしてお使いください。学校や地域社会で使ってください。

 

2011年3月11日、福島で実際に何が起こったのかを知ってもらいましょう。あの出来事は「事故」ではなく、日本国民と国際社会に対する破壊行為であり、戦争行為であることを知らしめるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引用元:

FUKU 3/11 – 語られざる真実 (11年2011月<>日 於: 福島市) |ReblDyne (wordpress.com)

 

 

 

2011年3月11日の地震発生直後、運転中だった1-3号機は自動停止。

 

 

表向きは「地震から41分後に遡上高14 m - 15 mの津波が発電所を襲い、非常用ディーゼル発電機が津波の海水により故障を起こし、電源喪失で冷却装置が稼働しない状態に陥り、12日午後3時に1号機が爆発。1-3号機ともメルトダウンの影響で、水素が大量発生して爆発した」とされています。

 

 

ですが、実は当時点検のために原子炉の運転が止まっていた福島第一原発4号機も爆発しています。

 

 

実際は、4つの原子炉がセキュリティ会社のシステムをハッキング攻撃で破壊された結果、高温の水素爆発が起きてしまい、放射性物質が福島県を中心に広く四散してまうという最悪の事態が起こったというのが真相だったようです。

 

 

311の背後にあったイスラエルの警備会社マグナBSP社とネタニヤフの日本恐喝① - eternalturquoiseblue (goo.ne.jp)

 

3.11の背後にあったイスラエルの警備会社マグナ社とネタニヤフの日本恐喝② - eternalturquoiseblue (goo.ne.jp)

 

福島第一原発にイスラエルの会社の「謎」  | 経済の死角 | 現代ビジネス+[講談社] (gendai.media)

 

このとき、もし6号機までハッキングによって破壊されていたならば、東京を含む関東一円まで核で汚染され、我が国は壊滅的な被害となっていたそうです。

 

 

そして今、日本は自然地震にみせかけた人工地震による日本列島への攻撃の危険性が再び高まっていると指摘されています。

 

 

日本への脅迫状が再び「彼ら」から突きつけられているという状況となりつつあるようです。