4月に投降した記事を再投稿しておきます。

 

現在、中国の上海で「ロックダウン」が行われているようです。(これは4月頃の話です)

 

上海では3月に感染が急拡大し始め、3月の感染者の9割以上が無症状だったものの、中国当局は症状の有無にかかわらず、感染者全員を隔離する措置を続ける方針をとった。

 

上海の全住民約2500万人へのPCR検査徹底と、わずかな感染拡大も許さない「ゼロコロナ」政策を堅持しつつ、3月下旬から上海市民に「ロックダウン」を命じた。

 

解除は段階的に行う方針のようで、4月23日現在も続いているそうです。

 

 

 

プランデミック下、ヨーロッパやオーストラリアなど、昨年「ロックダウン」を行っている国々がいくつかありました。

 

 

ロックダウンには罰則規定があり、「外出制限違反」に従わなかった場合、例えばUKのイングランドでは100ポンド(日本円で約16000円)の罰金が科されるそうです。

 

 

「コロナの憲法学」「感染症と憲法」「憲法とリスク」などの著書を持つ千葉大学大学院専門法務研究科大林啓吾教授は

「ロックダウンを行うには法律の根拠が必要」

「日本にはロックダウンに関する法律がないため、ロックダウンをすることが出来なかった」

「ロックダウンを実施した欧米諸国でも、国や地方自治体レベルで法律や条例に緊急事態条項やロックダウンに関する規定があって、それに基づいて行うという法の支配の原則が貫かれている」

の様に解説なさっています。

 

 

以下は大林教授が「ロックダウン」と憲法との関係を説明しておられる文章です。

じつは欧米では緊急事態条項が憲法にあろうがなかろうがロックダウンなどの強制的な対策を実施しています。

 

欧米の法体系は、米国や英国などのコモンロー系の国と、ドイツやフランスなどの大陸法系の国に大別できるのですが、コモンロー系の国はそもそも憲法の中に緊急事態条項を持っていません。

 

もっていないにもかかわらず、たとえば米国では州や地方自治体がかなり強いロックダウンを実施しました。一方、ドイツやフランスなどの大陸法系の国は憲法の中に緊急事態条項があるのですが、ロックダウンをやる際には基本的に個別の法律が必要で、その法律に基づいて実施するという形になっています。

 

結局、どちらの法体系の国でも、法律が必要だということは変わらないわけです。

 

日本も同じで、ロックダウンが必要だとなれば、まず法律を作る必要があります

 

そして、それは必ずしも憲法改正に直結しません。ただし、その法律が憲法に適合しないような内容であり、それでもなおロックダウンが必要ということになれば、憲法改正も視野に入ってきます。

https://humonyinter.com/column/med/med-74/

 

 

そういえば「ロックダウンを可能にするための法整備を」と叫んでおられる方が政府内にいましたね。

 

 

ウクライナに目が奪われがちですが、つい3日前に、日本国憲法の改憲手続きに関する国民投票改正案が了承されたと報じられています。以下は日経新聞4月21日付記事です。

 

「自民改憲本部、国民投票法改正案を了承 公明も手続き」

自民党は4月21日、憲法改正実現本部と選挙制度調査会の合同会議で、改憲手続きに関する国民投票法改正案を了承した

 

投開票の立会人などに関する規定を公職選挙法にそろえる内容で、立憲民主党が求める国民投票時のCM規制などは含まない。会議後、改憲実現本部の新藤義孝事務総長が記者団に明らかにした。公明党も政調会合を開き、改正案の手続きを済ませた。

 

今後、自民は必要な党内手続きを経て、他党にも賛同を呼びかける。衆参両院の憲法審査会の審議状況も踏まえ、早ければ今国会中に改正案を提出し、成立を期したい構えだ。(後略)

引用元:

 

 

 

憲法改正草案はこちらです。

 

 

改正草案の中には9章に「緊急事態宣言」についての規定を加えています。Q&Aで次のように解説されています。

 

具体的には、有事や大規模災害などが発生したときに、緊急事態の宣言を行い、 内閣総理大臣等に一時的に緊急事態に対処するための権限を付与することがで きることなどを規定しました。

 

 国民の生命、身体、財産の保護は、平常時のみならず、緊急時においても国家の最も 重要な役割です。今回の草案では、東日本大震災における政府の対応の反省も踏まえて、 緊急事態に対処するための仕組みを、憲法上明確に規定しました。このような規定は、 外国の憲法でも、ほとんどの国で盛り込まれているところです。

https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf

 

 

これによってどうやら「ロックダウン」が日本でも可能となるようです。

 

 

ところで、改正草案には大きな問題点が指摘されています。改正草案では重要な条文が削除されている、などの問題です。

 

 

YouTube動画(3分6秒)

 

フルバージョン(50分2秒)

 


 

「日本国憲法改正草案」(今から9年前の平成25年、2013年に出していた増補版)

https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf

 

この中にQ&Aなどもありますので、国民投票の前に日本国民の一人一人がその内容をよく読むべきようです。

 

例えば、

Q 憲法改正草案では、現行憲法 11 条を改め、97 条を削除していますが、 天賦人権思想を否定しているのですか? …………………………………………………… p37

 

 

 

 

確かに、改正案では「基本的人権」を謳っている97条が「削除」となっていますね。

 

これについては以下の様なQ&Aがあります。

人権は、人間であることによって当然に有するものです。我が党の憲法改正 草案でも、自然権としての人権は、当然の前提として考えているところです。  

 

ただし、そのことを憲法上表すために、人権は神や造物主から「与えられる」とい うように表現する必要はないと考えます。

 

こうしたことから、我が党の憲法改正草案 11 条では、「国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的 人権は、侵すことのできない永久の権利である。」と規定し、人権は神から人間に与え られるという西欧の天賦人権思想に基づいたと考えられる表現を改めたところです。 

 

さらに、我が党の憲法改正草案では、基本的人権の本質について定める現行憲法 97 条を削除しましたが、これは、現行憲法 11 条と内容的に重複している(※)と考えた ために削除したものであり、「人権が生まれながらにして当然に有するものである」こ とを否定したものではありません。 ※ 現行憲法の制定過程を見ると、11 条後段と 97 条の重複については、97 条のもとと なった総司令部案 10 条が GHQ ホイットニー民政局長の直々の起草によることか ら、政府案起草者がその削除に躊躇したのが原因であることが明らかになっている。

https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf

 

 

つまり、11条と重複しているから、などと説明されているようです。

 

 

 

因みに、日本国憲法は他国の憲法に比べて文字数が少なく、極めて簡素なものである、と指摘されています。

 

 

分量の少ない「小さい憲法」

まず、日本国憲法は、国際的に見て分量が著しく少ない憲法である。世界各国の憲法を比較したデータベースによれば、日本国憲法の英訳の単語数は、調査対象となっている190の国と地域の中で、5番目に少ない。

 

 

主要国の憲法の単語数を比較すると、ドイツ憲法が27379語、カナダ憲法が19565語、スペイン憲法が17608語、イタリア憲法が11708語、フランス憲法が10180語、米国憲法が7762語であるのに対して、日本国憲法は4998語しかない。つまり、日本国憲法にはドイツ憲法の5分の1以下、イタリア、フランスの憲法と比べても半分程度の分量しか備わっていない。

 

 

憲法の定め方はそれぞれの国の事情によって様々であり得るが、これほどの分量の差はもはや誤差の範囲とは言えない。憲法の単語数が少ないことは、憲法が定めているルールの量が少ないということであり、ここから、日本国憲法には他国の憲法と比べて「小さい」という特徴があることが分かる。

 

 

問題は、この事実が何を意味するのかであろう。仮に憲法秩序の全体すなわち国家の運営に必要なルールの総量が国によってそれほど変わらないとすれば、諸外国ではその中で憲法の占める割合が比較的大きいのに対して、日本では憲法の占める割合が相対的に小さい。ここからは、次の2つの可能性を推測できる。

 

 

一つは、本来、憲法で定められるべきルールが日本国憲法には抜け落ちている可能性である。例えば、諸外国では憲法で定められることが多い政党や非常事態に関する規定は、日本国憲法には置かれていない。また地方自治についても、基本的原則、地方自治体の権限、国と地方との関係などを詳細に規定する憲法があるのに対して、日本国憲法の地方自治の規定は簡潔である。

 

 

もう一つは、憲法の分量が少ないため、それを補うために憲法解釈や法律が重要な役割を果たしている可能性である。

 

 

例えば、これまでの内閣による衆議院の解散は、憲法に明文の規定がなく、実務上は憲法解釈に基づいて行われてきた。また、法律が重要な役割を果たした例は、1990年代以降の一連の統治構造改革である。衆議院議員選挙に小選挙区制を導入した1994年の政治改革を皮切りに、行政、司法、地方分権、安全保障の各分野で重要な改革が相次いで行われたが、それらはすべて公職選挙法や内閣法などの法律改正で実現された。しかし、憲法改正を経ずとも法律だけで大きな改革ができてしまうのは、憲法の存在理由を疑わせるだろう。

 

 

見方を変えれば、憲法の分量が少ないことは、権力を規制する文書としては十分でない可能性がある。主要な立憲主義国の憲法がおしなべて長いのは、そのくらいの分量を備えないと権力を適切に規制できないという考え方に基づいているからであろう。

 

 

現行憲法に条文を追加して憲法の規制力を高めようとすることは、憲法に基づいて政治を行うという立憲主義の考え方に照らしても望ましい。

 

引用元:

 

 

やはり国民にとって最重要な97条を「11条と重複するから」などの理由で敢えて削除することは「基本的人権」を軽視する傾向のようでもあり問題だと思います。

 

 

また、動画中にあった「子供を厳しく飼い慣らす」という表現ですが、これは現在の岸田政権下のものではなく、平成12年7月7日(金)(森喜朗政権当時の)教育改革国民会議第1分科会(第4回)資料のようです。


一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)

引用元:

 

平成12年、森内閣当時の、どなたの発言なのかはわかりませんが、不適切な表現ですね。そのまま掲載せず、注釈をつけて削除するなどしないと、岸田内閣が同じ見解であるかのような印象があります。