ロシアは第二次世界大戦のことを「大祖国戦争」と呼んでいます。
 
 
ロシア当局が公式に認めている最新の発表によると、「大祖国戦争」での犠牲者全体(兵士と民間人の両方を含む)は、2660万人にも上り、ドイツの280万人、日本の230万人、次は中国の130万人。つまり実はソ連の犠牲者数が群を抜いています。
 
 
因みに米国は約42万人。
 
 
 
ソ連時代にロシアと共にナチスと戦ったウクライナに、ナチス残党の種が植え付けられていたことが今回はっきりわかりました。ネオナチではなくナチスそのものだったようです。
 
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アゾフ隊の旗はナチスの装甲師団の旗を模したものです。

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■アーリア人以外を「劣った人種」として迫害し虐殺したナチス、ソ連時代に国民がナチスによって虐殺されたロシア

 

ホロコーストとは、ナチス政権とその協力者による約600万人のユダヤ人の組織的、官僚的、国家的な迫害および殺戮を意味し、 「ホロコースト」は「焼かれた生贄」という意味のギリシャ語を語源とする言葉なのだそうです。

 

 

ところで、ナチスによって組織的に虐殺されたのはなにもユダヤ人だけではありません。

 

 

1933年1月にドイツで政権を握ったナチスは、ドイツ人を「優れた人種」であると信じる一方、ユダヤ人を「劣った人種」であると見なし、いわゆるゲルマン民族のコミュニティに対する他民族による脅威であると考えた。

 

 

その他、ロマ族(ジプシー)、身体障害者、精神障碍者、一部のスラブ民族(ポーランド人やロシア人など)も「劣った民族」であると見なし、迫害の対象だった。

 

 

共産主義者、社会主義者、エホバの証人、同性愛者なども政治的、思想的、行動的な理由から迫害された。

 

 

■ナチスによるソ連人虐殺の歴史

1941年6月のソ連進攻後には、アインザッツグルッペンと呼ばれる移動虐殺部隊や、その後には武装した治安警察部隊がドイツ軍前線の後に続いて移動し、非ユダヤ系ポーランド人の知識層も殺害の対象とし、ロマ族、ソ連当局者および共産党員に対する大量殺戮作戦なども実行している。

 

 

ドイツの親衛隊と警察部隊によって200万人から300万人ものソビエト人捕虜が殺害され、飢餓、病気、放置、虐待などで結果的に死亡。

 

ドイツ占領軍の残虐行為・非道な行為に関する報告書から 

1941年10月8日から1943年9月10日までの間 
 
"占領初日の1941年10月8日、SS部隊は最初に出会った26人の市民を捕らえ、市の中心部にある旧NKVDビルの中庭で拷問を行った。手は皮を剥がされ、性器、耳、鼻を切り落とされ、半生で地下室の壁に囲い込まれた。13日後、これらの死体は発掘され、NKVDの犠牲者として住民に公開された。レビン、コーガン、アリバノフなどの市民はこうして死んでいった」。
 
"ナチスの獣 "は逃げる前に、意図的に街を焼き、破壊したのです。1943年9月7日から10日にかけて、特別聖火隊がすべての公共・民間の建物を焼き払い、爆破した。"

ナチスの侵略者は、老人、女性、子供を殺害した。ソ連市民を虐待し、大量殺戮を行い、住民を強奪し、挑発を仕向けた。「ロストフからロシアの捕虜が来ると発表され、マリウポルの住民は確認された親族を引き取ることができる。何千人もの住民が、親しい人に会うために捕虜に会いに来たのです。しかし、捕虜の代わりにドイツ・ファシスト軍が近づいてきた。この時のナチスのカメラマンは、すべてを「ロシア住民のドイツ軍との出会い」として撮影していた。" 
 
その他、歴史プロジェクト「マリウポリ」のページに掲載されている資料。リベレーション」(https://mariupolliberation.mil.ru/)
 

 

 

ロシアがナチズムを嫌悪するのは自国の歴史からも当然といえます。

 

 

ところで、ナチスによって虐殺された人の数に比べ、ドイツの敗戦後のニュルンベルグ裁判で死刑となったナチス党員はなんと僅か12名です。

 

 

■裁かれなかった多くのナチス党員

1945年8月8日に行われたニュルンベルグ裁判では、ナチス党員の24名が裁判にかけられ、有罪となったのは僅か19人、その内死刑となったのは12人、終身刑3名、禁固刑4名、無罪3名だったそうです。

 

 

 

 

■ペーパークリップ作戦

第二次大戦後も多くのナチス党員は何の咎めもなく生き延び、技術者などはNASAやNATOなどに迎えられたようです。

 

 

第二次世界大戦末から終戦直後の1945年~1959年、1600人以上のドイツ人の優秀な科学者、エンジニア、技術者らをドイツから米国に連行した一連の作戦のコード名が「ペーパークリップ作戦」「ペーパークリップ計画」などとも呼ばれる。

 

 

統合参謀本部に統合諜報対象局が設けられ、この作戦に関する直接的な責任が与えられたとあります。それらの人々の多くは米国政府機関の職員となったそうです。

 

 

その代表がナチスドイツでV2ロケットを開発し、戦後米国に渡り、人類を月に送り込んだアポロ計画など「米国宇宙開発の父」として知られるヴェルナー・フォン・ブラウン博士でした。

 

 

フォン・ブラウンはナチス時代、オランダのベルンハルト王配と同じくナチス親衛隊(SS)に所属していたそうです。

 

 

 

ところで、南米のアルゼンチンはナチス親衛隊などが第二次大戦後に好んで亡命した国として挙げられます。

 

 

■南米に多数の元ナチス親衛隊が亡命

ナチスの元親衛隊や科学者らの米国以外の亡命先として好まれたのが南米のアルゼンチンでパタゴニア地方などのリゾート地だったそうです。

 

 

有名なナチス党員のアドルフ・アイヒマンはホロコースト中、ヨーロッパのユダヤ民族の移送で中心的な役割を果たした1人だった。終戦になると米国に拘留され、1946年に脱出。カソリック教会の役員に助けられ、アルゼンチンに逃亡し「リカルド・クレメンツ」という偽名で暮らした。1960年には、イスラエル親衛隊のスパイがアイヒマンを拉致し、イスラエルに連れて行き裁判にかけた。1961年12月15日、アイヒマンはユダヤ人に対する犯罪で有罪となり、1962年の5月31日~6月1日の真夜中(イスラエル国家が死刑を行使する唯一の時間)に絞首刑に処され、遺骸は火葬されて海に撒かれた、とあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

■オランダのベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルト王配

オランダの現国王の祖母のユリアナ女王の夫であるこの人物は、ドイツの領邦国家であるリッペ侯国最後の君主レオポルト4世の甥にあたり、ベルリン大学在学中にナチスの学生党員で、SA(’突撃隊)及び親衛隊SS(ヒムラー騎馬隊)隊員だった。

 

1937年にオランダのユリアナ女王と結婚し、その婚礼の際にはナチス党凱旋行進曲(NSDAPの曲)「旗を高く掲げよ」が演奏されたそうです。つまり親ナチの人物であることは疑いようがない。

 

 

オランダ女王の王配として、第二次世界大戦当時、オランダから石油を無償でナチスに提供し、結果的に1940年5月10日~17日、第二次大戦開戦後直ちにオランダはナチスの侵攻を受けた。

 

 

オランダ王家に嫁いだマクシマ・ソレギエタ 妃は、アルゼンチン出身で、父であるホルヘ・ソレギエタはアルゼンチンのビデラ政権下の閣僚の一人。

マクシマ妃がオランダの当時皇太子だったアレクサンダー王子と婚約した際に問題視されたのが、マクシマ妃の父ソレギエタ氏がビデラ政権での「汚い戦争」に関与したかどうかであった。農政大臣だったソレギエタ氏本人は「逮捕、拷問、虐殺」などが当時行われていたことを知っていたが、虐殺には関与していないと主張。

 

 

アルゼンチン、ビデラ政権下の自国民虐殺「汚い戦争」(1976年~1983年)の犠牲者

アルゼンチンのビデラ軍事政権で起こった左翼によるテロを鎮圧するという名目ので逮捕・拷問で殺害されたとみられる「行方不明者」(デサパレシードス)の数は 1万~3万人ともいわれ、「汚い戦争」と呼ばれている。

 

 

 

しかし実は、ソルギエタ家とオランダ王家は何世代も前から関係があり、両家ともパタゴニアのバリローチェに別荘があり、アレクサンダー国王の祖父であるベルンハルト王配は第二次大戦以前からアルゼンチンのソレギエタ家を何度も訪れていた、と指摘されています。

 

 

サン・カルロス・バリローチェは南米のスイスと呼ばれ、ペーパークリップ作戦の際、ナチス親衛隊や科学者がここを多く訪れたそうです。

 

 

ところで、ヨーロッパの王家はそれぞれ、アドレノクロムに纏わる疑惑があるようですが、CNNが、以下の様なニュースを報じています。

オランダ国家検察は、ベルギーとの国境に近いワウーセ・プランタージュで行った捜索で、輸送コンテナ6個の中に隠された拷問部屋と思われる設備と、剪定(せんてい)ばさみなどの拷問道具を発見したと発表した。

 

捜索は6月22日に実施され、誘拐や人質事件にかかわった容疑で男6人を逮捕した。

6個のコンテナにはそれぞれ、両手を挙げて立った状態で人を縛りつけるための手錠が天井と床に取り付けられていて、防音パネルと断熱材が張られていた。

 

コンテナの1つには歯科用の椅子があり、足と両腕を縛るストラップが付いていた。拷問あるいは被害者を脅す目的と思われる道具の入った袋もあった。

 

さらに、枝のこぎり、手術用メス、ペンチ、手錠、指錠、テープ、目出し帽、頭にかぶせる黒い綿の袋も見つかったほか、ロッテルダムの民家の捜索では、24キロ分の合成麻薬MDMAが発見された。

 

輸送コンテナには、離れた場所から監視するためのカメラも取り付けられていた。ほかにも盗まれたワゴン車やBMW車、拳銃や中国版のAK47自動小銃など25丁の武器が見つかっている。

 

当局によると、今回の捜査は4月から開始し、この過程で暗号化されたチャットネットワーク「EncroChat」にアクセスすることに成功。グループの動きや犯行計画を監視して、狙われていた複数の人物を割り出した。

 

狙われた人物は警察から連絡を受けて身を隠し、「誘拐して人質を取ろうとした凶悪犯罪は未然に防止された」としている。

 

逮捕された男6人はいずれもオランダ人で、アムステルダムの裁判所が6日、90日間の勾留を命じた。

 

 

ナチスの科学者らは「不老長寿」の研究をしていたといわれています。

 

 

ナチスの優生思想はアリーア民族至上主義でしたが、KKKなどの白人至上主義は「私達白人が空爆されるなんて」というウクライナの一般の人々にもみられるものです。その根底にあるのはナチズムと共通の優生思想です。

 

 

「ペーパークリップ作戦」でナチスの科学者らを優遇した欧米諸国。その頂点にいる人々にとって、究極の望みは「不老不死」のようですが・・・

 

 

参考: