「アラブの春」を経て、シリア、リビア、イエメン の内戦は泥沼化の一途となって収拾の展望が立たない状況に陥っているといわれています。

 

 

リビアの「アラブの春」は結果的に「リビア内戦」の始まりとなったものですが、その実態は極めて酷いものでした。

 

 

これは昨年のニュースです。

 

 

■「オデッセイの夜明け」作戦と名付けられたNATO軍によるリビアへの空爆
「リビア内戦」の始まりは2011年2月15日に政治社会的要求を掲げた大規模な反政府デモを発端とする武装闘争反政府運動の発生によって始まったとされており、アラブ圏に於いては「2月17日革命」と呼ばれているそうですが、彼らを後押ししたのはNATO軍です。

 

 

同年3月19日にオバマ政権下主導で米英仏各国は国連安全保障理事会決議を受け「リビアのカダフィ政権による市民への攻撃を阻止する」という大儀名分を掲げ、同国政府軍への攻撃を開始。

 

 

攻撃は、まずフランス軍機が3月20日にリビア東部の反体制派の拠点都市ベンガジで、政府軍の戦車や軍用車両数台を攻撃し破壊。数時間後に、米英両国の戦艦と潜水艦が首都トリポリや西部のミスラタ周辺に向けて巡航ミサイル「トマホーク」110発を発射。

 

米軍により作戦名はオデッセイの夜明けと名付けられ、英、仏、カナダ、イタリアと合同で展開。

 

 

同年8月、首都トリポリがNATO軍の支援を受けた反体制派のリビア国民評議会の攻勢によって陥落し、リビアの最高権力者として40年以上政権の座にあったムアンマル・アル=カダフィ(以下カダフィ大佐)革命指導者が率いる大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国は事実上崩壊。

 

 

2011年3月20日NATO軍からの攻撃を受けるリビア

 

 

■ガダフィ大佐暗殺

10月21日のAFPの記事によれば、かつて「アフリカの王たちの王」とも称されたリビアの元最高指導者ムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)大佐は、8か月にわたる抵抗の末、出身地のシルト(Sirte)の下水管の中に隠れているところを拘束され、その後死亡したと報じられています。

 

 

ジェラール・ロンゲ仏国防相は記者団に対し、シルトを脱出しようとしていたカダフィ大佐の車両80台あまりを止めるため、仏軍の戦闘機が威嚇射撃を行ったことを明らかにし、だが、大佐の車列そのものに被害はなかった、と指摘。続いてNTC部隊が車列を攻撃して破壊、カダフィ大佐を拘束したと説明。

 

 

また、匿名の米国防総省高官は米軍の無人攻撃機が仏戦闘機とともに車列を攻撃したと認め、ただ、その車列の中にカダフィ大佐がいたかどうかは確認できなかったと話した。

 

 

カダフィ大佐の死亡経緯について、反カダフィ勢力「国民評議会(National Transitional Council、NTC)」の現地司令官ムハンマド・リース氏が次のように証言。

 

 

「カダフィが乗っていたジープを銃撃すると、彼は下水管に逃げ込んだ。兵士がさらに銃撃すると、彼は片手にカラシニコフ銃、もう一方の手に拳銃を持って下水管から出てきて、左右を見回し、何が起きているんだと尋ねた。兵士がカダフィの脚と肩を撃ち、その後、彼は死亡した」 

 

 

このガダフィ大佐暗殺を指揮したのはオバマ政権のヒラリー国務長官(当時)だったそうで、その極秘メールは2011年4月2日付けだったそうです。

 

 

オバマ政権当時国務長官だったヒラリークリントンの直属の外交官でリビアの第二の都市ベンガジの米国領事館のクリス・スティーブンス大使は、CIAの特殊部隊の責任者でもあり、スティーブンス大使本人が直接指揮をしてカダフィ大佐を惨殺に関わったことが判明しているそうです。

 

 

つまり、リビアの元最高指導者カダフィ大佐殺害(2011年10月20日)を直接指揮したのは駐リビア米国大使のクリス・スティーブンス大使で、大使にカダフィ大佐暗殺を命じたのはヒラリー・クリントン国務長官(当時)だった。

 

 

カダフィ大佐殺害の2日前に首都トリポリに乗り込み、ガダフィ大佐殺害後、アフガニスタン人らからなるガダフィ大佐暗殺部隊と共にトリポリの空港でVサインで写真撮影しているヒラリー・クリントン

 

 

この暗殺部隊の実行者はリビア人ではなく、アフガニスタン人の部隊で、カダフィ暗殺後に、彼らは自国のアフガニスタンの首都カブールに英雄として凱旋しようとしたが、カブール空港に着陸しようとして「タリバーンの攻撃があって」輸送機ごと爆殺されたそうです。

 

 

実はこれもヒラリークリントンによる口封じであったと指摘されています。

 

 

■「ベンガジ事件」

2012年9月12日、リビアの東部にある第二の都市ベンガジの米大領事館が襲撃され、クリストファー・スティーブンス駐リビア大使ら4人が大使館内で焼死して命を落とすという事件が発生。「ベンガジ事件」と呼ばれています

 

きっかけは、2012年6月の公開された「イノセンス・オブ・ムスリム」というイスラム教を侮辱する米映画とされています。

 

ムスリムの抗議運動が起き、結果的に「ベンガジ事件」が発生したとされています。イスラム教への侮辱に対して抗議するため、エジプトやリビアなどアラブ諸国の米国の在外公館が2012年9月11日以降も次々に襲撃された、とされています。

 

「イノセンス・オブ・ムスリム」なる”自主製作”の製作者は”サム・バシル”こと、エジプト系アメリカ人でコプト正教会のナクーラ・バスリー・ナクーラ("アラン・ロバーツ"の偽名も使用)とされている。

 

製作費などは彼のエジプトに住む家族によって賄われ、製作者のナクーラが詐欺罪などで刑務所に収監中にこの映画の台本を書いたとなどとされています。

 

2012年6月の上映タイトルは『イノセンス・オブ・ビン・ラーディン』(Innocence of Bin Laden)。 この映画を実際に制作した目的が何であったのか不明で、そもそもこの映画が実際には誰によって製作されたのかも実は不明。

 

解説動画:

イノセンス・オブ・ムスリム

 

 

「ベンガジ事件」についても実はヒラリーの責任が問われていたようです。

 

 

 

■欧米の植民地だったリビアを豊かな産油国として長期安定政権を率いたガダフィ大佐

リビアはアフリカ大陸の中央に位置し国土は地中海のシドラ湾周辺からサハラ砂漠に拡がり面積は176万km2で日本の約4.6倍。国土の90%以上が平坦な砂漠で、気温は高温で乾燥。地中海沿岸部を除き年間降雨量は200mm以下。人口は560万人(2003年推計)で首都トリポリとベンガジに人口が集中。人口の92%がアラブ人で殆どがイスラム教徒で97%がスンニ派。

 

 

リビアはイスラム教を基調においた社会主義的、民族主義的国家の建設を目的とし、人民主権、直接民主主義に基づいた体制(ジャマーヒリーヤ体制)の確立を目指しているアラブ民族国家、とあります。

 

 

1912年10月トルコとの条約でリビアはイタリアの支配下(植民地)となり、第二次世界大戦中列強の争う戦場となり、1943年には連合軍がドイツ・イタリア軍を破り英・仏軍が代わってリビアを占領。

 

 

戦後1949年11月に国連はリビアの独立を決議し、1951年12月にはサヌーシ教団のイドリス1世を元首とする王国として独立。1955年から石油の探査を始め、1959年6月エッソがキレナイカに大油田を発見。1961年から石油の海外輸出が始まり相次いで有望な油田を発見。

 


1969年9月1日「無血クーデター」で”カダフィー大佐”を議長(国家元首)とする構成員12名がRCC(Revolutionary Command Council)「革命指導評議会」が設立され「リビア・アラブ共和国」となった。

 

 

以後「ベンガジ事件」の前年のカダヒィー大佐の殺害が起こる前まで、リビアは”カダフィ大佐”率いる革命指導評議会を国権の最高機関とする革命政府が国の舵取りを行ってきた。

 

 

リビアの基本政策は外国軍基地の撤去、国際石油資本の資産国有化等アラブ・ナショナリズムであり、アフリカ諸国との連帯、イスラム社会の連帯とアラブの団結が国の基本方針だった。

 

 

一党支配体制を整え、1977年3月に人民主義確立宣言である「ジャマヒリア宣言」を採択して直接民主政治制度に移行。国名を「リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリア」に変更。

 

 

 

■西側諸国との関係悪化、経済制裁

1988年12月英国スコットランド上空で米パンナム機爆破事件が発生。米英両国は2名のリビア情報機関員の引渡しを要求するもリビア側は拒否。

 

 

1989年9月UTA航空機爆破事件が発生。この背景はリビアの隣国であるチャド共和国へのフランスによる軍事的関与へのリビアの反発があり、テロリストはリビア人であったとされている。

 

 

1991年10月フランスは容疑者としてリビア人4名を国際手配し、米国は対リビア経済制裁措置を発表。国連安保理は決議748により、「国際線航空機のリビア発着と領空通過の禁止」「武器の全面禁輸および外交関係の縮小」を骨子とした石油輸出禁止を除く国連制裁措置等々を採択し92年から実施。

 

 

その後、リビアがオランダにおいて、スコットランド法によるロッカビー裁判を行うことをリビアが是認したことから、1999年4月には国連安保理制裁が停止(2003年9月には制裁解除)遺族との補償交渉結着、大量破壊兵器(WMD)計画の廃棄(2003年12月)2004年1月CTBT批准、CWC加入など国際社会への復帰が急速に進む。

 

 

米国は2004年10月対リビア制裁を解除。テロ支援国家リストへの掲載などの一部を除き、外交上最大の課題である米国との関係正常化も急速に進展。

 

 

米国EIAのデータではリビア経済は2003年に9.8%の高成長を記録。2005年は7.7%。2006年は6.8%と予測され、貿易収支の黒字額は既に80億ドルに達した。

 

 

 

 

■消えたカダフィ大佐の金塊

殺害されたカダフィ大佐は、143トンの金地金および銀地金を保有していたそうですが、内戦後どこに消えたかは不明で、これに関する興味深い情報が、米国務省が公開した「ヒラリー・クリントンの私用メール」内に含まれていたそうです。

 

 

■公開されたヒラリーの私用メール

ヒラリー・クリントンが国務長官時代、私用メールアドレスで公務のメール交信をしていたという問題で、その中に極秘情報も含まれており、それがヒラリーの大統領選挙立候補人気にも影響。トランプ候補(当時)に敗北した要因の一つであったとされています。

 

 

ヒラリーの私用メールを2015年12月に国務省が公開。その中に欧米による「金価格介入」と関連するかもしれない興味深い極秘情報が含まれていたそうです。

 

 

 

情報公開で明かされたヒラリーメモ

極秘メモのポイント


(1)メール差出人:Sid B、この人物は夫のクリントン大統領の側近、外交問で、現在はヒラリー自身の顧問であるSidney Blumenthal。
(2)受取人:ヒラリー・クリントン
(3)情報公開、米国国務省、---省略---、公開日2015年12月31日
(4)タイトル:フランスの顧客及びカダフィ大佐の金塊
(※注:このフランスの顧客とは、恐らく本文に出てくるリビア国民評議会のメンバーや、特にAbdelfateh Younis大佐を示していると推定)
(5)この情報が極秘であることを示しています。
(6)本文1頁目

 

1.リビア国民評議会で高位の人物が2011年のリビア反政府運動、内戦に関わっており、フランスは反乱軍側に関与。反乱軍側の高官のAbdelfateh Younis大佐(元カダフィ政権の内務大臣、陸軍幕僚長で後反乱軍に寝返った)はフランスに近い高官であり、フランスから金額は不明なれどカネを得るようである。
Younis大佐は、リビア国民評議会に対し、フランスが軍時顧問団をリビアに派遣し、武器を供与してくれる約束を得たと説明しているのだが、現時点(2011年4月2日)では未だ実現していない。

フランスは、この内戦には経済的な利益があると見ているようだ。サルコジ政権は複数回、映画制作者のベルナール=アンリ・レヴィを密使として派遣。リビア国民評議会側は、半分本気、半分冗談程度に受け取っているもよう。

2.リビア国民評議会の上層部では、カダフィ大佐は今週死亡したとの噂が流れている。

3.最新情報では、カダフィ大佐の資金源は底無しとも言えるほど非常に豊富であるとのこと。2011年4月2日、カダフィ大佐の次男(Salt al-Os;a, Qaddafi)の顧問たちに近い情報源(複数)が確信を持って語ったところによると、リビアの外国銀行口座の凍結がカダフィ大佐に深刻な影響を与えるものの、それくらいのことでは、カダフィ大佐の軍事力や諜報能力には全く損害を与えないということである。

カダフィ大佐は、現在も143トンの金地金および同程度の量の銀地金を保有しているそうである.

 

2011年3月下旬、これらの金塊、銀塊は、トリポリのリビア中央銀行の保管庫から持ち出され、ニジェールおよびチャドに近い国境付近の都市SABHAへ移送された。

これらの金地金は、現在起きている反乱以前に蓄積されてきたもので、リビア・ディナール金貨を発行してアフリカ通貨体制を構築する目的でカダフィ大佐が貯め込んできたものである。

アフリカの旧フランス領であった国々で流通しているフランスフランに代わる通貨としてカダフィ大佐が考えていた計画となる。
(※情報源コメント:この金塊および銀塊の量は価値にして7B$以上になる。フランス諜報局は、現在の反乱が勃発した直後にこのカダフィ大佐の計画を知り、これがフランス・サルコジ大統領のリビア攻撃決断の1つの要因になった)

 

サルコジ大統領の今後の計画の具体的な個別問題は下記の通りである。

a:リビア油田の権益の大部分を取得
b:北アフリカにおけるフランスの影響力の拡大

 

(7)本文2頁目

 

c:リビアでの成果により、サルコジのフランス内部での政治的な権力を改善させる
d:全世界にフランス軍の存在価値を再認識させること
e:北アフリカにおけるフランスの立場に取って代わろうとするカダフィ大佐の長期的計画(リビア・ディナール金貨流通戦略)に対して、フランスが敵視している事を知らしめること

 

(8)カダフィ大佐の次男(Salt al-Os;a, Qaddafi)

(9)カダフィ側近でありながら反乱軍側に寝返ったAbdelfateh Younis大佐。

 

 

(8)はサイフ・アルイスラム・カダフィというガダフィ大佐の息子さんだそうで、彼が次のリビアの大統領選挙に出馬することを望む声も聞かれるようです。

(9)はリビア内務大臣のアブド・アル・ファタ・ユーニス・アル・オベイディ将軍で、反政府軍に寝返ったあと、彼も殺害されています。

 

 

■リビアの金準備を恐れた米DS

「彼ら」が恐れているのは、「紙に印刷した紙幣」 vs 「 本物の金」の価値の争いだと指摘されています。

 

FRBにとり、金融システムに「金貨」を導入すれば、ドルの暴落は明らかで、彼らの金融支配が終わってしまうからなのだと。

 

 

以前、別ブログでこの内容を記事として投稿しておりましたが、今回整理し直してこちらで記事にしました。

 

 

 

 

 

米軍率いるNATO軍がリビアに対して行ったことの欺瞞性、大義名分も何もない一方的な他国への力による内政干渉、無責任極まりない破壊と陰謀と略奪。

 

 

米軍やNATO軍による一政府に対する破壊や暴力が何故常に国際法違反にならないのかといえば、国連安保理の「正義」つまり西側諸国の「正義」とは、要するにUNの内の西側常任理事国である米英仏の正義に過ぎないということがリビアの例などからもよくわかります。