トランプ大統領が米国議会の野党民主党によって弾劾訴追された、というニュースが飛び込んできました。

 

 

「弾劾訴追」の理由はトランプ大統領の「権力乱用と議会妨害」(注)だそうで、今後は裁判所の役割を担う議会上院が弾劾裁判を開いて訴追の内容を審議し、出席議員の3分の2以上が賛成すれば、大統領は弾劾・罷免されるそうですが、「上院は与党・共和党が過半数を占めるため、罷免の可能性は低い」と見られているようです。

 

 

彼はいろいろと敵や疑惑の多い人物なのですが、そもそも大統領になる際の公約の中に「イスラム教徒の入国禁止」「在イスラエル大使館のエルサレムへの移設」「シリア難民の入国阻止」「イスラム教徒の登録制度の創設」など、はっきりとした反イスラム・親イスラエル色が表れていました。

 

参考:トランプ大統領の「約束」

 

下の写真はアケメネス朝ペルシアの建国者であるキュロス王(B.C601年~B.C530年)とトランプ大統領の横顔を並べた図柄のイスラエルの建国70周年の記念硬貨です。

 

 

なぜ、この両者が並べてあるのか、ですが・・

 

 

イスラエル建国70周年記念コインて(寺院コイン)、2018年 サイラス王(キュロス王)とドナルド・トランプ大統領が描かれています。この二人はユダヤ人の「エルサレム神殿」再建への道を開いてくれたという共通項があるようです。キュロス王は第二神殿、トランプ大統領は第三神殿への道です。

 

 

■「エルサレム神殿」の破壊とバビロンの捕囚

「古代ユダヤ王国にはB.C10世紀にソロモン王が建設した「エルサレム神殿」というユダヤ教の礼拝場所があり、唯一神ヤハウェの聖所とされ、アロンの家系の祭司とレビ人と呼ばれるレビ族出身の非祭司階級が祭祀に当たっていた」とあります。

 

 

B.C586年ユダヤ王国の首都エルサレムが新バビロニア王国のネブカドネザル王によって征服され、住民のヘブライ人(ユダヤ人)は、囚われの身となってバビロンに連行され、このとき「エルサレム神殿」は破壊されてその後70年間放置されることになりました

 

 

新バビロニア王国とはセム系カルデア人の国ですが、B.C625年ナボポラッサルの下で新バビロニア王国を興し、バビロンに都して、ネブカドネザル2世のとき最も繁栄。

 

 

ユダの捕囚民の大部はバビロニアにあるニップル市そばの灌漑用運河ケバル川沿いに移住させられた(「エゼキエル書」より)。この地域はかつてアッシリア人の要塞があったが、新バビロニア勃興時の戦いによって荒廃しており、ユダヤ人の移住先にここが選ばれたのは減少した人口を補うためであったと考えられる。一方で職人など熟練労働者はバビロン市に移住させられ主としてバビロニア王ネブカドネザル2世が熱心に行っていた建設事業に従事することになった、など。

 

B.C538年にユダヤ人を「バビロンの捕囚」から解放したのがキュロス王でした。

 

 

■開放者キュロス王(キュロス2世)

インド・ヨーロッパ語族系のアケメネス家のキュロス2世は、メディア王国(注)の王アステュアゲスの娘婿で、B.C550年に反乱を起こしてメディア王国を滅ぼしてしまいます。これが実質的なアケメネス朝ペルシアの建国(注)とされます。

 

 

(注)メディア王国:Μηδία, Media、紀元前715年頃 - 紀元前550年頃

現在のイラン北西部を中心に広がっていたメディア人の王国」である。首都はエクバタナ。アッシリアがB.C612年頃崩壊し、その後影響力を拡大したエジプト、リュディア、新バビロニア(カルデア)とともに当時の大国となった。

 

 

■アケメネス朝ペルシアによるメソポタミア統一

キュロス2世はメディア王国で叛乱を起こしたあと、勢力を伸ばしてイラン高原一帯を統一。短期間に小アジアに進出し、B.C546年にリュディアを、B.C538年には新バビロニアを滅ぼしてしまいます。この段階ではエジプトはまだその支配地に入っていないものの、オリエント世界を統一的に支配する「ペルシア帝国」という世界帝国が再現される情勢になり、メソポタミはアッシリア帝国(B.C3000年~B.C612年)滅亡から再び「ペルシア帝国」として統一されました。

 

つまり、キュロス2世が新バビロニアを征服したとき、「バビロンの捕囚」となっていたユダヤ人が解放され、これを受けてユダヤ教の聖典である旧約聖書にはキュロス大王は「解放者」として讃えられているそうです

 

 

■解放と「第二神殿」の建設

ユダヤ人らはキュロス王の命令によってバビロン捕囚から解放されてエルサレムに帰還し、ユダヤ人たちがバビロンに捕囚されていたおよそ70年の間破壊されたまま放置されていたソロモンの第一神殿があった場所で神殿の建設が始まりました。

 

 

しかしユダヤ人が捕囚されている70年間に、嘗てはユダ王国の首都があったエルサレムには既に別の場所から移住してきた他民族がいて神殿の建設には反対し、短期間の休止があったそうです。この辺りは現在のパレスチナ情勢とよく似ています。

 

 

B.C521年アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス1世(B.C558年頃 – B.C486年)の下で神殿の建設が再開し、B.C517年もしくは518年にダレイオス1世の統治6年目の間に「第二神殿」が完成。神殿で奉献式が行われた、とあります。

 

 

つまり皮肉なことに、現在米国やイスラエルと敵対しているイスラム教国家のイランの祖であるペルシア帝国は、古代においてはユダヤ人達の味方だったし、庇護者だったわけです。

 

 

アケメネス朝ペルシア(B.C550年~B.C330年)

アケメネス朝ペルシア帝国による支配下で「第二神殿」が再建。ペルシアは「ユダヤ教」に寛容だった。つまり、「第二神殿」はアケメネス朝ペルシア帝国の中のユダヤ教の礼拝所としてつくられたものでした。

 

 

アケメネス朝ペルシア帝国全盛期のダレイオス1世はB.C500年にギリシア遠征を開始するもギリシア征服には失敗(ペルシア戦争)。その後、マケドニアのアレクサンドロス大王によってB.C330年に滅亡。

 

 

アレクサンドロス大王の帝国はマケドニアのアンティゴノス朝、エジプトのㇷ゚トレマイオス朝、シリアのセレウコス朝の3つに分裂し、エルサレムはセレウコス朝シリアの支配域となります。

 

 

B.C167年にユダヤ人らはマバカイ戦争Maccabean revolt)という名のセレウコス朝シリアに対する反乱とそれに続く戦争を起こし、(注:主要な指導者ユダ・マバカイにちなんでマカバイ戦争とよばれる)この戦争の結果、ユダヤ人の独立勢力ハスモン朝の成立を見ることになります。マカバイ戦争をユダヤ側からの視点で描いたものが旧約聖書の「マバカイ記」。

 

 

■第二神殿の破壊

ローマとの第1次~4次までの「マケドニア戦争」を経てマケドニアはB.C148年にはローマ共和国(後にローマ帝国)の一部となります。セレウコス朝シリアもローマとの戦いで衰退し、B.C63年に滅亡。

 

 

A.D66年、ユダヤ人はローマ帝国に反乱を起こし(ユダヤ戦争)、4年後のA.D70年、ローマ軍はエルサレムの大部分ど第二神殿を再占領し、その後神殿は破壊されてしまいます。

 

 

現在の欧州各国はキリスト教国ですが、当時のローマ帝国ではユダヤ教のみならず、キリスト教も弾圧対象でした。「第二神殿」の破壊者はローマ帝国でした。

 

 

ユダヤ人はエルサレム市街が破壊された後も居住し続け、35年にバル・コクバの乱とうローマ帝国への反乱が終結した後新しい町を建設した際、ローマ帝国のハドリアヌス皇帝によってエルサレムはついに壊滅させられてしまいました。

 

 

そして約2000年近い歳月の間、ユダヤ教の宗教の拠り所である「エルサレム神殿」は地上から姿を消してしまいました。

 

 

■「第三神殿」の建設を目指すイスラエル

現在のイスラエルは古代の「第二神殿」再建と同様、嘗ての「第二神殿」があった場所に「第三神殿」の再建を目指しているようなのですが、エルサレムをイスラエルの首都と認める形で「後押し」しているのが現在の米国トランプ政権です。国際社会はこの発表に当然反発の声を上げました。

 

 

■エルサレムをイスラエルの首都とする米国の承認の背景

しかし、「エルサレム」の承認はトランプ大統領の独断ではなく、長年の米国にとり「課題」のひとつだったようです。80年代まではイスラエルによる東エルサレムの併合にも反対の立場だった米国が90年代以降は共和党も民主党も大統領選挙運動時の候補者はエルサレムへの米国大使館の移転を賛成しながらも、大統領就任後はこれに署名することを保留してきたということが繰り返されて来たようです。

 

 

1948年にイスラエルの建国が宣言されると、米国政府はこれを新しい国家であると認定し、エルサレムのために国際的体制の確立が望ましいと考え、最終的な社会的地位は交渉を通して解決されるべきと考えた。

 

 

米国は1949年のイスラエルによるエルサレム首都宣言と1950年に発表したエルサレムを第2の首都とするヨルダンの計画に反対。

 

 

1967年の戦後、イスラエルの東エルサレムの併合にも反対。当時の米国はエルサレムの将来は和解における主役にあるべきだという立場を公式なものとした。

 

 

以降も米国政府はテルアビブからエルサレムへ米国大使館を移転することにより、エルサレムの将来が、交渉が妨げられる可能性のある一方的な行動の対象ではないという立場を維持。

 

 

■エルサレムを首都と承認したビル・クリントン~ロックフェラー家の人物との噂も

1992年米国大統領選挙中、民主党候補のビル・クリントンは政権がイスラエルの首都としてエルサレムを支持すると約束するとともに、イスラエルの主権はエルサレムに繰り返し障害が出ているとして共和党のジョージ・H・ブッシュ大統領(パパ・ブッシュ)を非難。しかし、1993年のオスロ合意の後、クリントン政権はイスラエルとパレスチナ人の交渉妨害をしない体で計画を進めなかった。

 

 

1995年、エルサレム大使館の法案が議会を通過し、米国政府は「エルサレムはイスラエルの首都として認識されるべきだ」と明言。

 

 

■米国大使館移転の延期を「半年ごとに」重ねる

そのとき、同法により米国の大使館が5年以内にエルサレムに移転しなければならないものであるとし、同法の支持は 米国内の政治を反映していると見なされたものの、クリントン大統領はエルサレム大使館法に反対しその後6ヶ月毎に延期に延期を重ねていった。クリントンは本人のスキャンダルでトランプ同様「弾劾」され、罷免は免れたものの政権末期は「レームダック状態」となった。

 

 

2000年の大統領選挙運動で共和党候補のジョージ・W・ブッシュ(ブッシュ・ジュニア)は民主党政権のクリントン大統領が約束通りに大使館を移動していないことを批判、クリントンが選ばれるならクリントンは自分自身に向けた計画を開始するつもりだろうと述べたが、ブッシュ大統領が就任するとクリントンの約束事を支持。

 

 

2008年の大統領選において、民主党のバラク・オバマ候補はエルサレムをイスラエルの首都であると発言。

 

 

2008年6月4日、バラク・オバマ氏は「エルサレムはイスラエルの首都として完全堅持されるべきである」との民主党の意向を受けて指名され、初の外交政策スピーチで米国のイスラエル広報委員会(AIPAC)に語り、「これらの問題の解決に向けた交渉は明らかに当事者となるだろうし、エルサレムもその交渉の一部になるだろう」と発言。

 

 

2016年の大統領選挙運動で、共和党のドナルド・トランプ候補は選挙公約の1つに「イスラエルのテルアビブからエルサレムへの米国大使館の移転」を掲げており、それについて「(エルサレムは)永遠なるユダヤ人の中心」と発言。

 

 

■「エルサレム大使館法」を大統領署名したトランプ大統領

2017年6月1日ドナルド・トランプ米国大統領はエルサレム大使館法を放棄する文書に署名、1995年以降の大統領と同様にエルサレムへの移転を6ヶ月遅らせたホワイトハウスはこれについて、「イスラエルとパレスチナ間の交渉の支援となり、後に約束された動きが訪れるだろう」と。

 

2017年12月6日、トランプ氏は「エルサレムをイスラエルの首都として正式に認める」と発表し米国の歴代政権が継続してきた政策を転換。彼は「中東和平プロセスを前進させるための『遅ればせながらの』決定だ」と述べた。

 

 

古代からの長い歴史があるエルサレムの地位は、イスラエルとパレスチナが最も激しく対立する問題の一つであり、イスラエルは発表を「歴史的」だと歓迎したが、国際社会からは米国の発表を強く非難する声が出た。

 

 

和平に向けてイスラエルの隣にパレスチナ人の独立国家を樹立するという「2国家共存構想」についてトランプ氏は、双方の合意を前提として米国は依然として支持していると語った。一方パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長は、トランプ氏の発表を「嘆かわしい」と呼び、「今後米国が和平を仲介することはできない」と述べています。

 

 

2年前の米国の決定は言うまでもなく、「中東和平プロセスを前進させるための決定」というよりもむしろ、バレスチナ自治政府の反対を完全に無視しながらこの地域でのイスラエルの立場を強く後押するものだったと言えます。

 

 

エルサレムはキリスト教やイスラム教にとっても歴史的に聖地となっており、イスラエル国の”首都エルサレム”での「第三神殿」の再建が容易でないことが想像されます。

 

 

 

(注)「ロシアゲート」疑惑

2016年の大統領選でのロシアによる干渉疑惑である。

2016年10月米国国土安全保障省及び国家情報長官房は、大統領選挙においてサイバー攻撃による妨害が行わていたことを認める声明を出した。大統領選は11月8日に投票が実施され、トランプは総得票数で対立候補のヒラリー・クリントン民主党候補より少なかったものの、獲得選挙人数では上回り、当選を決めた。

12月9日、米紙『ワシントン・ポスト』は、CIAの秘密評価報告書を引用し、「サイバー攻撃はロシア政府機関のハッカー集団によるもので、トランプの勝利を支援するものである」と報道。

 

今年の3月、バー司法長官が議会に報告書の要約に当たる「主要な結論」を提出。トランプの選挙陣営とロシア政府が共謀したり連携したことは証明されなかったとし、司法妨害については報告書を元に司法長官は「大統領が罪を犯したと立証するには証拠が不十分。」と結論。但し「司法妨害」に関してモラー特別検察官は「大統領が罪を犯したという明確な結論はないが、大統領の完全な身の潔白が証明された訳ではない。」とした。

 

 

(注)弾劾理由:「権力乱用と議会妨害」
権力の乱用では「トランプ大統領がウクライナ政府に対し、政敵であるバイデン前副大統領に関する捜査の公表を不当に要求した」と認定。
2016年の米大統領選挙にロシアが介入したとされる疑惑を巡り、ロシア側が「介入したのはウクライナだ」と主張していることに関しても調査するよう求めたとし、そのうえで、トランプ大統領はこれらの調査の公表が3億9100万ドルの軍事支援とホワイトハウスでのゼレンスキー大統領との首脳会談の条件だとウクライナ政府に伝えたと指摘。
 

トランプ大統領はこれらの行為が明らかになったあと、最終的にウクライナへの軍事支援を実行したものの、ウクライナには公然と調査を要求し続けたともしており、こうしたことから「トランプ大統領は上記のすべてにおいて、大統領の権限を悪用し、国家安全保障をはじめ重要な国益を損ね、政治的利益を不当に得た。そして民主的な選挙に外国勢力の介入を許し国家を裏切った」として、「権力乱用」にあたると認定。
 

 

議会への妨害では「トランプ大統領は唯一議会下院に与えられている弾劾の調査権限による召喚をいまだかつてない形で完全に無視するよう指示した」と認定しています。具体的にはホワイトハウスの職員に法的強制力のある議会の召喚状を無視するよう指示し、議会の委員会が要求した文書の作成を拒んだとしている。また、そのほかの政府機関に対しても召喚状を無視するよう指示した結果、国務省、行政管理予算局、エネルギー省、国防総省が文書の提出を一切拒否したと指摘。

更に、行政機関の職員や元職員に議会の調査に協力しないよう指示した結果、9人の政権幹部が証言を求める議会の召喚状を無視したとして、「アメリカ史上、大統領の弾劾に向けた議会下院の調査権限をこれほどまでに妨害した大統領はいない」として「議会妨害」にあたると認定。

野党民主党の決議案では、「トランプ大統領は米国大統領や行政の信頼、法と正義の理念を損ねる行動を取り、米国民を傷つけた」とした上で、「トランプ大統領が在任し続けた場合、憲法に対する脅威であり続けることが明らかになった」と厳しく非難。「トランプ大統領は弾劾裁判を経て大統領職から解任され、いかなる公的な地位からも追放されなければならない」として、大統領の罷免を要求。

 

 

引用元:

トランプ大統領 罷免の可能性低い 上院は与党が過半数 | NHKニュース

 

https://www.y-history.net/appendix/wh0101-105.html

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%A5%9E%E6%AE%BF

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%82%92%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%A6%96%E9%83%BD%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%89%BF%E8%AA%8D

 

https://www.bbc.com/japanese/42261585