2018/10/10(水) 午前 7:04

 

「神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたとされる多様な文字、文字様のものの総称」のことで江戸時代から国学者らの間でその真贋についても議論の対象となってきたようです。


実際のところは「漢字伝来以前の古代日本(例えば縄文時代など)にも文字はあった」という「命題」は現時点では否定的な見方が優勢のようです。


しかし例えば、数学ならばある命題を「全否定」するためには「全てのxについて「A(x)でない」あるいは「絶対にA(x)ではない」ということを証明しなければならないわけです。これを「日本には漢字伝来以前の古代文字はあった」という命題の「全否定の証明」に置き換えるなら、「x=漢字伝来以前の古代のものと思われる象形文字様あるいは楔形文字様の文様」は全て「情報伝達ツールとしの文字ではない」かあるいは、「後世につくられた偽作」ということを証明しなければならないはずです。


ここで「日本の古代文字(神代文字)」の候補とされてきたもので有名な既出のものについてみてみることに。


「サンカ文字」はサンカ(山窩)研究で知られた三角寛(注)という人物の創作という見方があり真偽不明ですが、どちらかといえば偽作扱い。

 




「化美津文字(かみつもじ)」別名「八鏡文字(はっきょうもじ)」などという名称で、縦書きでも横書きでもなく渦巻状に書くものとされ「カタカナのもとになった」と称される「カタカムナ文字」についても公的な学術学会などから否定されている。発見と解読をしたとされる楢崎皐月(注)という人物による偽作という見方。

 

カタカムナ文字


「ヲシテ文字」は歴史学、日本語学の学会では戦前から清原貞雄(注)らにより後世の偽作であるとされ、近年も日本史学の分野では武光誠(注)、日本語学の分野では飯間浩明(注)らにより江戸時代の神道家により作成された偽書であるとされていた。

 

ヲシテ文字


昭和41年(1966年)松本善之助(注)により「ホツマタヱ」の全文が発見され、その後の吾郷清人や鳥居礼などの研究家からは古史古伝のひとつであるとされていたものの漢字が渡来する以前の「神代文字」とは異なるという主張も新たになされ文献全体の包括的な批判が池田満(注)によってなされている、とあります。真贋不明。


「豊国文字」は「上記(うえつふみ)」と呼ばれる古史古伝文書(一般には偽書とされる)や「ウガヤフキアエズ王朝を含む古代日本の「歴史」がこの豊国文字で書かれているとされ、「神宮文字」などとも呼ばれているようです。

 

豊国文字


「上記(うえつふみ)」は豊後国(現在の大分県)府内の国学者である幸松葉枝尺(さちまつはえさか)が1831年(天保2年)に入手した文書でその序文には1223年(貞応2年)に編纂されたとあるそうですが、平田篤胤が1811年(文化8年)に記した「古史成文」の影響が見られることなどから実際には江戸期の作であると考えられるようです。


平田篤胤が1819年(文政2年)に著した神代文字の研究書である「神字日文伝」の中には豊国文字は登録されていないようです。


ここまでをまとめてみると「神代文字(古代文字)」の候補と思われる様々な文字様のものについては、実際は古代のものではなく後世(主に江戸期)の偽作であるという見方が強いことがわかります。


ですが、実際のところは
①「神代文字」とされる「古代文字」の候補の「全てが出尽くした」とまでは断言できない。(すべてのxの検討がなされているわけではない)

②既出のものの中にも完全に偽作だと言い切れないものがある。(「A(x)でない」は証明されているものといないものとがある)

つまり「漢字伝来以前に古代文字はなかった」という全否定はあくまでも現段階では「推測であって、証明された(確定した)事実とまでは言えない」のではないかと思います。


何故なら、日本の各地でみつかっているペトログラフの中に、例えば「彦島の杉田丘陵のペトログラフは人の様な形が見える」という指摘からもわかるように、絵文字からなっている可能性があり、この絵文字が発展して象形文字としての「情報伝達システム」が機能していたならば、漢字伝来以前の古代においても「一定のルールに基づく文字大系」が確立されていた可能性はあるからです。


焚書や経年劣化に耐えて残っている古文書の文献が今後発見され、古代文字の痕跡がみつかるのかどうか。あるいはバブルの時代に各地の再開発で土地を掘っているうちに「思いもかけずに完全な弥生時代の環濠集落遺跡が姿を現した」例もありますし、古代遺跡の中から石盤などに彫られた古代文字が見つかる可能性はまだまだあるのではないでしょうか。
 


注:三角寛(みすみ かん、みすみ ひろし、1903~1971年)は、小説家、山窩(サンカ)作家、映画館経営者。本名は三浦守。僧名は釈法幢。

注:楢崎皐月(ならさきさつき あるいは ならさきごうげつ 1899~1974年)は日本の物理学者、電気技術者。「カタカムナ文明」と称する超古代文明の存在を主張した。

注:清原貞雄(きよはら さだお, 1885~1964年)は、歴史学者、京都帝大文学博士、広島理科大学教授。神道史・国体論史の研究で知られる。

注:武光誠(たけみつ まこと、1950年~)は、日本の歴史学者、明治学院大学教授。

注:飯間浩明(いいま ひろあき、1967年~)は日本語学者。辞書編纂者。「三省堂国語辞典」編集委員。

注:松本善之助(まつもと よしのすけ、1919~2003年)は、書籍・雑誌の編集者、古史古伝研究家。

注:池田満(いけだ みつる、1955年~)は、国語と歴史および日本の思想の研究家である。「ホツマツタヱ」などや「ミカサフミ」等の文献、「ヲシテ」、「ヲシテ文献」を研究している。大阪府出身。


引用:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AB

https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%8A%E6%96%87%E5%AD%97


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B2%E3%82%B7%E3%83%86


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%9B%BD%E6%96%87%E5%AD%97

 

 

コメント

 

神代文字の候補を揚げて頂き大変参考に成りました、有り難う御座います。豊国文字やサンカ文字は、どうやら象形性が大きい記号文字ですね。人間の文化の推移として、文字の起源の最初は、やはり意味を付託してそれを表現しょうとした象形性の高い物に成るのが、方向性として自然な事と思われます。漢字なども段々に洗練されて行きましたが、初期は絵文字に他ならないと思う。文字は、それを使う人間の精神活動を規定します。推理や同定、論理や帰納、表現の印影など様々です。コトバと数学は似ている。寧ろ裏と表と云って好いかも知れませんね。ではまた…。
2018/10/13(土) 午後 3:28 [ 井頭山人(魯鈍斎) ] 
 

 

> 井頭山人(魯鈍斎)さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。「人間の文化の推移として、文字の起源の最初は、やはり意味を付託してそれを表現しょうとした象形性の高い物に成るのが、方向性として自然な事」というご指摘に同感です。例えば「雨」という漢字は眺めているだけで「雨」を表している文字だと(漢字圏でない人々にも)伝わってくる形ですね。その部位や意味の組合わせがさらに漢字とし発展してきたわけですね。

「コトバと数学が表裏一体である」のは数学は論理学という思考過程の積み重ねであり、思考そのものだからですね。論理的思考過程を明快な数式で表している学問が数学ですね。

ということは、論理的思考過程とは文字や言葉の自由度によって成熟度が増すものでもあり、日本人が論理的思考に優れた民族なのも、「日本語表現の深度や自由度の高さ故」と言えそうですね。  
2018/10/13(土) 午後 9:08  kamakuraboy 

 

御意です。日本語は貧弱で不確かな曖昧な言葉だと云う、西洋人の日本語に対する浅薄な考え方に乗って、日本語を誤解して居た多くの日本人達が居ます。その様な人達は、一つの概念を受容すると其処から多様な概念の生み出し、想像力に替えてしまう日本語の機能が持つ性質を過小評価している。漢字については、象形文字の魅力はそれ自体がすでに意味を持って居ると云う事です。音標文字の示すような音に対応する単なる記号では有りません。実は数学を進める場合の日本語のファンタジックな性質には利点があるのです。すでに消滅してしまった江戸時代の数学である和算の考え方は面白いのですが、それは日本語とも深く関連しているのではと思います。思考過程に付きましては面白いのですが、ひどく難しい。概念を生む回路は如何なるものか?とか、意識の起源と情報処理の関係とか、物事が分かると云う事はどういうことか?とか、遺伝子とも何らかの関連があるとも云えますし。  
2018/10/13(土) 午後 11:34 [ 井頭山人(魯鈍斎) ] 

 

止めどなく話が広がって仕舞いますね。大風呂敷を広げる様ですが、脳神経系と遺伝子と数学は互いに補完の関係があると思います。生物の脳神経系の数理は、果たして0と1の2進法で動いて居る電子計算機の論理回路と同等なのでしょうか?今の段階ではYESともNOとも言えない段階です。たぶん脳神経系中の論理構造(果たしてそれが私達が普段使う意味での論理とは異なっているかも知れない)は、電子計算機の演算回路とはまるで異なっいる可能性もある訳です。大昔の事ですが、神経伝達の方程式の一種でマッカローピッツの研究が有りますし。ヤリイカの巨大神経を使ったホジキンとハックスレーの神経伝達の電位生理現象の解析がある。現在ではもっと進んでいる筈です。kamakuraboyさんとお話していると話題が尽きる事が有りません。有り難う本当に嬉しいです。  
2018/10/13(土) 午後 11:57 [ 井頭山人(魯鈍斎) ] 

 

> 井頭山人(魯鈍斎)さん
こちらこそ。博学でいらっしゃるので興味深い展開をお示し頂きました。ありがとうございます。  
2018/10/14(日) 午前 4:22  kamakuraboy 

 神代文字のように、縄文時代など古代日本にも文字があったのではないかという考えに対して、多くは否定的ですね。
わからないものについては、否定するのが古代史学の習わしでしょう。

ただ、豊国文字とサンカ文字とは文字の形に共通性が認められます。
わかりやすい例としては、たとえば、アは、ともに現在のカタカナの「ア」に似ています。特に豊国文字はカタカナのアとの類似性が顕著です。また、クは、左上から右下に向かって曲線を連ねた形状であり、豊国・サンカ共によく似ています。ケは、上に丸、その下に何本かの線が下に向かってやや開くように描かれタコのようなイメージです。
サ行、タ行、ナ行は、ほぼ同じような形を示しています。
他にも一見して同種の形が見て取れます。

ということは、方言のように多少の違いはあるものの、ある種の日本語の原型が有ったのかもしれません。
頭から否定するのではなく、神代文字などの研究を必要とする立場が適切ではないかと思います。  
2018/10/14(日) 午後 10:09  泉城 
 

 

> 石田泉城さん
こんばんは。本当ですね。豊国文字とサンカ文字には共通点が多いですね。言われるまで比べてみませんでした。カ行、サ行、タ行、ナ行、ハ行、マ行、ヤ行はほぼ同じですね。

「ということは、方言のように多少の違いはあるものの、ある種の日本語の原型が有ったのかもしれません。」というご指摘の通りだと思います。泉城さんはやはり観察力が凄いですね。

もっとよく見てみるべきでした。面白いですね。もしかしたら本当に縄文時代からあった様々な技術を記録したり広く伝えるための古代文字が存在していたのかもしれませんね。

日本語と古代ヘブライ語の共通点などでカタカナや平仮名が似ているといわれているようですが、仰られているように、神代文字については「研究を必要とする立場が適切」と私も思います。 
2018/10/14(日) 午後 10:57  kamakuraboy