2018年3月20日ヤフーブログに投稿した記事より

 

一般にユダヤ社会では、白人系ユダヤ人を「アシュケナジー系ユダヤ人(アシュケナジーム)」と呼び、オリエンタル(アジア・アフリカ系)ユダヤ人を「スファラディ系ユダヤ人(スファラディム)」と呼んで区別しているそうです。
 

アシュケナジーとは、ドイツの地名にもなっているように、もとはアーリア系民族の名前だったようです。

 

一方、スファラディとは、もともと「スペイン」という意味だが、これは中世ヨーロッパ時代のユダヤ人たちの多くが地中海沿岸、特にイベリア半島(スペイン)にいたことに由来しているそうです。


東京大学教授の鶴木眞氏は、著書「真実のイスラエル」(同友館)で以下のようなことを述べておられます。

 

「厳密にいえばアジア・アフリカ系ユダヤ人を一括してスファラディ系と呼ぶのは正しくない。なぜならユダヤ人がパレスチナを離れた歴史は一度だけでなく、大きなものを拾っても、

 

紀元前7世紀のアッシリアによるイスラエル王国の滅亡、
紀元前6世紀の新バビロニアによるユダ王国の崩壊などの結果、
紀元1世紀のローマ帝国によるパレスチナからのユダヤ人追放の前に、

 

すでにインドを含めた中央アジア、中東、北アフリカ、イエメンには、流浪の民としてのユダヤ人社会が存在していたからである。したがって、アジア・アフリカ系ユダヤ人のすべてがイベリア半島系のユダヤ人すなわちスファラディ系とはいえない。

 

しかし今日一般にはスファラディ系とアジア・アフリカ系とが、同義語として使われている。その理由は、アジア・アフリカ系ユダヤ人の祈祷形態がスペインで発展した教義に強く影響されているため、また現在のイスラエル社会でアシュケナジー系以外のユダヤ人を一括して呼ぶ名称が必要なためである。」


「1948年には、83万7000人ほどのスファラディ系ユダヤ人がアラブ諸国に住んでいたと推計されるが、1973年にはわずか5万人以下となっている。アラブ諸国に住んでいたスファラディ系ユダヤ人のうち、80%以上が独立後のイスラエルに流入した。このため、パレスチナのユダヤ人社会は、イスラエル独立の前と後で大きく違った」

 

都市にしろ、モシャブにしろ、キブツにしろ、スファラディ系の人々がアジア・アフリカの諸国からイスラエルへ移住したとき、立地条件がよく安全度の高い地域は、すでにアシュケナジー系の人々に握られていた。

 

スファラディ系の人々の大部分は、イデオロギーにはあまり共鳴せず、すでに築かれたイスラエルの都市周辺部に吹きだまりのように引き寄せられて、社会的にも地理的にも末梢なところに置かれたのである。彼らは、戦争の際には最前線に送られ、戦時ではなく平時には、国境近く、あるいはまた占領地などを開拓するために、イスラエルに集められたのであった。

 

アシュケナジー系とスファラディ系ユダヤ人は相手のシナゴーグ(ユダヤ教会)の近くに住んでいても、決してそこにお祈りに行くことはないし、聖書の読み方や賛美歌のメロディーなども全くちがうそうだ。

 

(注)
モシャブ:

入植村の一種の形態。1921年に初めて創設。

キブツ:

欧州の反ユダヤ主義の波から逃れてきたユダヤ人が築き上げたもので、建国前から存在。 社会主義的ユダヤ人共同体。一切の財産が認められない。

 

以上引用元:http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd250.html


しかし実は、8世紀以前の世界には、ごくわずかな混血者を除いて、白人系ユダヤ人はほとんど存在していなかったのだそうです。


 

古代ユダヤ人の実像:

英BBCテレビは、2001年4月放送された科学ドキュメンタリー「神の子」という番組で、「イエスの顔」を、マンチェスター大学法医学教室が、エルサレムで大量に発見された紀元1世紀のユダヤ人の人骨群の中から、当時の典型的なユダヤ人男性の頭がい骨を選出して復元した。

 

髪や肌の色や質感は、西暦3世紀に「ユダヤ教寺院」で描かれたフレスコ画に残るユダヤ人男性の姿を参考にした結果、「イエスの顔」は、黒い巻き毛と浅黒い肌色の、丸顔で丸い鼻をした中東の男性のものだったそうだ。


英各紙は「欧米で定着している、色白で面長で金髪碧眼のヨーロッパ人に近い従来のイエス像は、ルネサンス期以降に作られたイメージに過ぎなかったのかも知れない」と伝えた。

引用: http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/1243339.stm



 

要するに、元々旧約聖書に出てくるユダヤ人(イエスキリストも含めて)とは、遺伝学的にいえば、現在のイスラエルなどに住む80%のイスラエル人(アシュケナージ系ユダヤ人:白人)集団とは異なるどちらかといえば肌の黒いスファルディ系の人々に近い集団だったのでしょうか。しかし、スファルディ系ユダヤ人というのも少々漠然としたくくりのようではあります。

今日イスラエルの人々をユダヤ人と呼ぶよりも、世界中のユダヤ教を信仰している人々をユダヤ人と呼ぶべきなのかもしれません。トランプ大統領の娘婿のクシュナー氏がその例のように。


しかし、このような例を、「日本人とは」、という問題に置き換えてみたときに、我々日本人一人一人はどのように考えているのでしょうか。

 

結局のところ「どこまでが日本人」なのかという問題にぶつかってしまうように思います。せめて明治時代以前から日本に住んでいた家系の人々なのか、帰化すれば全ての人が「日本人」とみなされるのか。これが今日我々が直面している問題なのかもしれません。

 

ある人が「日本人とは」の答えとして、「仮にある国との間で戦争が起こったとき、日本人としてその国(仮にその人の母国であっても)と戦える人間」というように定義しておられました。私もこの考え方にほぼ同感です。

 

 

 

コメント

ユダヤ人と呼ぶべき人々は、もともとはアジア・アフリカ系の民族であったのが、世界中のユダヤ教を信仰している人々を指すというように定義が変わりつつあるとすると、日本人の定義も同様に変わるのかもしれません。

アメリカでは、国籍の取得にアメリカに忠誠を誓うことが必須ですね。公式行事などでは「忠誠の誓い」を全員がおこなう姿をよく見かけます。

アメリカの例も参考にすれば、日本人の場合は、先のユダヤ人の例とは違い、少なくとも国籍が日本であり、税金を納め、犯罪・事件を起こさず、日本や日本人を貶めない者でしょう。
要は、日本に忠誠を誓う者でなければ日本人とはいえません。

たとえ日本国籍があったとしても、公式の場で日本や日本人を貶めるような者は明らかに日本人ではないと思います。日本人の資格・権利・財産は無しとすべきでしょう。  
2018/9/19(水) 午後 11:55  泉城 

> 石田泉城さん
おはようございます。私も「公式の場で日本や日本人を貶めるような者は明らかに日本人ではないと思います。日本人の資格・権利・財産は無しとすべき」であるという泉城さんの考えに全く同感です。合理的で生産的な意味での批判ではなく、根拠があいまいな問題を外国に譲歩するような自虐史観的な日本批判(日本貶め)を行ってそれを自分の「文化人的立ち位置」だと思っているような軽薄な評論家や、外国に馬鹿げた利益誘導して自国に大きな損失をもたらしているような売国奴的な企業経営者や政治家など「日本人のふり」をしているだけのようにしか見えません。  
2018/9/20(木) 午前 4:58  kamakuraboy