「キム・ウォンス様!キム・ウォンス様っ!リュ・ソアです、ここをお開け下さい!」
切迫した声音と共に、入り口の扉を激しく叩く音がする。
(ソアさん?なぜここに…)
キム・ウォンス様と侍衛の男性も、驚いた様子で顔を見合わせている。
彼女の来訪は、彼らにとっても予定外らしい。
「どうなっておるのだ、ハン・ジュヒョン。しばらくの間、屋敷には何人たりとも寄せ付けぬようにと命じたであろう」
キム・ウォンス様の声音から不快感はそれほど感じられず、ハン・ジュヒョンと呼ばれた侍衛の男性も、慣れた様子で無言のまま頭を下げた。
「ふむ。であれば…」
両手を後ろ手に組み、しばらく私の顔をじっと見つめていたキム・ウォンス様は、突然薄笑った。
その表情は、むしろ現況を楽しんでいる風にも見える。
「開けてやるがいい」
命令に従い開かれた扉から、ソアさんが転がり込んでくる。
寝台の上にへたり込んだままの私を見て、驚いた様子で目を見開くと、キム・ウォンス様の元へ一目散に駆けて平伏した。
「キム・ウォンス様!どうか今すぐ医仙様をお帰しになって下さいませ。どうか…!」
その口振りや態度からは、何とか私を解放しようという必死さが滲み出ている。
一方、冷たく硬い床に額を擦り付け続ける彼女の姿を見下ろしながら、キム・ウォンス様は口もとだけを緩ませ嘲笑った。
「これは異な事を言う。私と医仙との縁を繋いだのは其方であろう?それに恋敵の存在が居なくなれば、今度こそあの男も手に入るやも知れぬぞ」
ソアさんは顔を伏せたまま、無言でふるふると首を振り続けた。
彼女は最初からキム・ウォンス様の計略を知っていて、それに係る詐病に加担していたのかもしれない。
そんな風にもとれる一連の発言は気になるけれど、今はそれよりも…。
(恋敵って私の事よね?待ってよ。『居なくなる』って、何するつもり…?)
不審が不安を生み、恐怖を煽る。
心配気な呂色の瞳が脳裏に蘇り、私は唇をきつく噛み締めた。
(チェ・ヨン…)
痺れたように強張ってしまった指先が、自然とすがる先を求めて足首に伸びかける。
けれど冷ややかなハン・ジュヒョンの視線が私の一挙一動を見張っているのに気がつき、慌てて手を引っ込めた。
「よかろう。リュ・ソア、どうせなら最後まで私の役に立ってもらおうか」
そう言うなりキム・ウォンス様はハン・ジュヒョンに短く耳打ちして、ついと顎をしゃくる。
驚く間もなかった。
音も無く翻る銀色と、飛び散る赤色。
「あああぁぁぁーーッ!」
ソアさんが足首を押さえて床に倒れ込んだ。
ハン・ジュヒョンは何の感慨もない様子で刀を拭い、逆にキム・ウォンス様は興味深気な瞳で私を観察している。
濃い血の匂いに私もようやく我にかえり、呻き声を上げているソアさんに駆け寄った。
「ソアさん!手を退けて」
私は脱いだ上着で傷口を圧迫した。
「右足の腱を切ったが、案ずるな。死ぬような深手は負わせておらぬ」
何でもない事のように言い放ったキム・ウォンス様を、私は恐れも忘れて睨み上げる。
「何の為にこんな酷い事を…!」
返ってきたのは信じがたい答えだった。
「其方を逃さぬ為だ。このような状態のリュ・ソアをおいては逃げられまい?」
つまりは、人質という事なんだろう。
「仮に其方ひとりで逃げおおせたとて、その後医仙として典医寺に留まる事は出来ぬであろうな」
満面の笑みを浮かべながら、キム・ウォンス様はゆったりと顎ひげを撫でた。
「手当に必要な物をハン・ジュヒョンに申し付けるがいい。四半時(30分)後にはここを発つ」