【少し直接的な表現があります】
【原作の雰囲気を大切にされる
方にはお勧めできません】
「口を開けて、傷を見せて下さい」
「恥ずかしいから嫌。もう平気よ」
「貴女と言う人は…。暫し我慢を」
大事無いと言う言葉を鵜呑みにも出来ず、俺は否応無しにイムジャの歯列を指先で割った。
両腕を精一杯突っ張って逃げようとする身体を、左手一本で強引に抱え込み、出血する程噛んでしまったと言う傷の具合を見定める。
しかし今ほど己の迂闊さを恨んだ事は無い。
羞恥によって赤らんだ頬と潤んだ瞳、そして俺の指によって開かされている小さな口から覗く熟れた柘榴のような舌が、無理矢理にでも捩じ込んでしまいたいようなとんでもない劣情を誘う。
(おい、その顔は何だ。やめてくれよ本当に…)
心配がいつの間にか違う感情へとすり替わり、己の欲深さに辟易するばかりだ。
「舌の右側面が少し傷付いているようです。言われた通り大きな傷ではありませんでした」
なんでも無い風を装って素早くイムジャを解放すると、俺は一つ咳払いをする。
「長居し過ぎました。部屋へ戻りましょう」
なるべく顔を見ないで済むよう背を向けると、この方が慌てたように俺の腰に腕を巻き付けた。
「待って!私が貴方の注意をちゃんと聞かなかったから…だから怒ったの?」
慌てて振り返ると、この方が切なげな表情で俺を抱き留めている。
(あぁ、もう。クソッタレ…)
こんな甘ったれで、俺の事だけ殊更に気弱になる、そんなこの方が愛しくてたまらない。
俺達が並び立つ横で篝火がぱちんと音を立てて大きく弾け、その音と共に俺の想いの箍も敢え無く弾け飛んだ。
「貴女はもう少し、俺にどれだけ想われているかを思い知った方がいい」
俺は左手でイムジャの両手を素早く後ろ手に一纏めにすると、空いた方の手を使って柔らかな髪を掻き揚げ、現れた左耳朶を歯と舌で嬲った。
「んんっ…やぁっ…」
途端に隙間無く合わさった細腰がびくりと跳ね、腕の中の身体が強張ったのを感じる。
(止めておけ。怖がらせてはならん…)
なけなしの理性で暴走しそうになる衝動を抑え付けようとし、それでも止められずに唇を奪う。
真珠のような歯列をなぞり上顎を擦ると、この方のくぐもった声が漏れ出た。
既に知っている筈の滑らかさを再度味わうように、傷に触れぬよう注意を払って舌の裏側から掬い上げてやると、今度は鼻に抜けるような甘えた声が聞こえて更に己の理性が試される。
際限なく湧き出る欲望を振り切るようにして、この方の両肩を掴んで引き剥がした。
「はぁ…はぁ…」
乱れた呼吸の所為で小刻みに震える薄い唇が、どちらのものともつかない潤みで艶めいている。
それを親指で拭ってやりながら、俺はわざと鹿爪らしい顔を作った。
「俺を煽った罰です」
イムジャは戸惑うように首を傾げる。
「これじゃあ、ご褒美じゃない」
(またこの方はそうやって俺を煽る。もはや意図的にやっているようにしか思えんのだが…)
付き合いきれぬとばかりに俺は聞こえていない振りを押し通すと、四阿に置き去りにしていた鬼剣を手にした。
「何か言いましたか?」
「…バカ」
口付けの所為で赤みを増した唇を突き出すようにして文句を言い、この方は俺から逃げるように、外衣の裾を翻しながら足早に先を歩いて行く。
「馬鹿とは何事ですか!イムジャ!」
ようやく長い一日が終わろうとしていた。
兵舎にあるイムジャの仮部屋と俺の自室、隣り合った二部屋はたった一枚の壁で隔てられているだけのものだ。
しかしそれが、この方を俺から守ってくれるのだと思うと、無意識の内に安堵の息が口を衝く。
扉の前に立ち、離れ難いとの想いが有り有りと分かるような目をして、この方がこちらをじっと見つめている。
「早く中へお入り下さい」
俺がそう促すと、急にこの方が真面目腐った顔で歩み寄り、俺の耳元に両手で囲うようにして口を近付けて、小さな声で「あのね」と言う。
「口付けがあんなに気持ちがいいものだなんて、私知らなかったの」
大事な大事な、とっておきの秘密を教える子供のように囁き、無邪気に笑って見せた。
その幼いような表情や仕草とは真逆の、淫靡な言葉に俺は打ちのめされる。
「おやすみなさい」
こちらの思いなど知らぬげに、イムジャは満足そうな顔でそう言い、静かに扉を閉めた。
(本当に勘弁してくれ…)
もはや水を浴びに行こうとの気力も無く、俺は自室に飛び込むと扉の内側に頽れた。