【少し直接的な表現があります】
【原作の雰囲気を大切にされる
方にはお勧めできません】
「俺が怖いですか」
チェ・ヨンが探るように私に尋ねる。
この人は察しの良い人だから、きっともう気付いているのだろう。
私が男性の欲望に対して、軽い恐怖と嫌悪感を抱いている事を。
いつか話さなくてはならない日が来るだろうか。
私が親元を離れ医者を目差す切っ掛けとなった、あのおぞましい記憶を。
(この人ならば、自分の手に負えないと拒絶したりはしないと思うけれど…)
「何も酷い事はしやしません」
低くて耳障りの良いチェ・ヨンの声に、意識が目の前の美しい顔へと戻される。
何も言えなかったけれど、今の私の精一杯の気持ちを込めて頷いた。
分かっている…この人は絶対に私を傷付けたりしない。
今まで我が身に向けられていた、この人の誠実さがそれを教えてくれる。
「目を瞑って。何も考えずに…」
今から行われる事が何なのか容易に察しが付いたけれど、チェ・ヨンはそんな雰囲気を感じさせない程、穏やかな声で語りかけてくれる。
腰を抱くこの人の力強い腕に促されるように、私はゆっくりと瞳を閉じた。
相手に求められるままにキスされるのではなく、自ら求めるように目を瞑る行為が、まるで自分の覚悟を試されているようで。
温かい唇が重なった瞬間…心が震えた。
どうしてこの人だったんだろう。
いきなり高麗時代に拉致され、最初は恐ろしさのあまり反発して、ようやく天門が開いたと思ったら無理に引き止められて怒りが湧いた。
我を忘れた結果思わず鬼剣で刺してしまって困惑し、次には頑なに治療を拒むこの人が、死んでしまわないかと心配で堪らなくなった。
必ず守るから黙って側にいろと言われ、攫ってきた責任感からかと思えば、愛するならば私しかいないと言って、記憶の無いこの身も心も守ろうと最大限尊重し大切にしてくれる。
まあ…今日はちょっとトラブルのせいか、扱いが雑だったけれど。
昼間はこの人を好きな気持ちを持て余して心が熱くなったかと思えば、夜には自己嫌悪で冷水を浴びせられたような心持ちになった。
この人と一緒にいると心のアップダウンが激しすぎて、まるでジェットコースターに乗せられているようだ。
上がったり、下がったり…やっと長い坂を上り切ったと思ったらまた急降下してみたり。
様々な言い訳をして、自分の心を誤魔化そうと試みたりもした。
両親の事、歴史の事、この時代の慣習の事…。
でも何を幾ら考えても、想いがチェ・ヨンへと向かうのを止められない。
どうして私だったんだろう。
『男も女も星の数程いる』とよく言ったものだけれど、600年の年月すら越えて、なぜ巡り合ってくれたの?
頑固で気ばかり強くて、向こう見ずの癖に弱虫な私を、どうして見付けてくれたの…
この人の首に回した両腕を、宥めるような手付きで肘から下へ向かって撫で下ろされる。
私の頑なな心を解くかのように、暖かくて大きな手がじんわりと熱を伝えてきて、それがなんとも言えず心地良い。
そして再び肘まで戻った手は、今度は悪戯をするように爪を立てながら、嫌でも意識せざるを得ない程の緩慢さで撫で下げられた。
最初は触れられている所からむず痒いような痺れが湧き上がり、そのうち頭の天辺から足先までぐずぐずになってしまいそうな程の震えが走って、思わず熱くか細い息が漏れる。
「…っは…ぁ」
無意識に薄く開いた唇からチェ・ヨンの舌が滑り込んできて、ゆるゆると口内をなぞられる。
それは私が今まで経験してきたものとは全く違っていて、まるでこの人の想いを私に口移しで与えられているかのような口付けだった。
『あなたに俺が持つ全てを差し上げたい。あなたからは何も奪わない。だからもっと俺に心を開いて欲しいのです』
この人はかつて私にそう言った。
口付け一つでさえ言葉通りに体現してみせる、その生真面目な誠実さが愛おしくてたまらない。
その通りに心を開いて見せたなら、この人は次の新しい顔を私に見せてくれるだろうか。
そんな想いが私を突き動かし、次第にチェ・ヨンに応えるような動きをさせる。
途端にこの人の含んで笑うような仕草が伝わり、しなやかな腕で腰をきつく引き寄せられた。
角度が少し変わったことで触れ合う箇所がずれ、突然舌に痛みが走る。
「…つっ!」
強引に顎を引いた私に驚いた様子で、チェ・ヨンが顔を覗き込む。
「どうしました」
「さっきここまで来る間に、舌を噛んじゃって。もう血は止まってると思うんだけど…」
心当たりがあった私は、心配させないように理由を正直に伝えた。
すると強引に篝火の側まで手を引かれ、咬傷を見せるように言われる。
「貴方の忠告を聞かなかった私の不注意だもの。何だか恥ずかしいから嫌だわ」
「いいから早く口を開けて下さい」
とんでもなく不機嫌そうな表情で言われるけれど、私はもう知っている。
これは心配で堪らない時の表情だって。