四度巡る季節の中、風に吹かれてはあの懐かしい花の香りを嗅いだような気がして、何度顔を上げ振り返っただろう。
しかし今回は…この絶対的な確信に我ながら唖然とし、今まで何と簡単に振り返っていたであろう首が、体が、全くと言っていいほど動かない。
足音も気配も、こんなにもあの方でしかない。
音を消す事を知らぬイムジャの小さな足が、カサカサと枯れ草の海を渡り歩く音がする。
気を張り詰めた俺の耳は、あの方の命の音まで聞き取ろうとするように冴え渡り、その気配をより近く感じようと、感覚は鋭く研ぎ澄まされた。
不規則で心許なく、今にも転んでしまいそうな覚束ない足音は、後少しという所まで来て急にその歩みを止める。
あの方の喉を通る荒い呼吸の音しか聞こえない筈なのに、何故だか不意に呼ばれたような気がして…俺は、ゆっくりと振り返った。
鮮やかな蘇芳色の髪は、色なき風に艶やかにそよぎ、夜空に煌く星々の昼間の住処が如く光を湛えた鳶色の瞳の縁からは、玻璃のような涙が今にもこぼれ落ちそうになっている。
この四年、焼きついて離れなかった脳裏の面影が、いかに色褪せてしまっていたのかと疑うほどに、今目の前に佇むこの方は、鮮烈に圧倒的な存在感を放っている。
どのくらいの間、言葉も無く見つめ合っていただろうか。
良く見ればこの方は、まるで悪夢でも見たかのように、震え慄いている。
振り返り最初に目が合った時に感じた焦がれるような熱が、今はその瞳の中のどこにも見当たらない。
「どうしました…以前のように飛び込んで来ては下さらぬのですか?」
俺は冗談めかして、両手をイムジャに向けて緩く広げて見せる。
「以前?あっ…」
何の事を言っているのか、この方にもすぐに分かったようだ。
それは、イ・ジェヒョン(李 斉賢)の厚顔無恥な追及からイムジャを守る為に、出奔しようとしていた時の事だった。
橋の上に佇む俺の腕の中に、思わず感極まったように、この方が飛び込んで来たことがあった。
イムジャは、淡い山茶花色の唇を真っ白になる程噛んで、一歩また一歩と近づいてくる。
驚くほどの時をかけて俺の前まで辿り着くと、震える手を伸ばして腕貫の上の部分を遠慮気味にそっと摘んできた。
再会した喜びを感じるよりも先に、明らかに普通ではない様子を見せるこの方に心配の方が上回る。
「何です」
「…うん」
「何してるんですか」
「…うん」
埒があかぬ。
天を仰ぎたいような気持ちを堪えて、何と声を掛けたものかと思案していると、ようやく聞き取れるかどうかの小さな声でこの方が呟いた。
「本当に…ここに、いるの?」
その一言で、俺には全てが通じた。
そして、ひどく安堵した。
俺の腕を今にも放してしまいそうな、頼りなげなその手を己の手で上から包み込んでやりながら、待ち望んでいるであろう言葉を口にする。
「はい。俺は、ここにいます」
俺のその言葉を聞いて、イムジャはようやく安心したように、ほうっと大きく息をついた。
この方も怖かったのだ。
しかし俺の命を諦めるつもりなど微塵もなかったからこそ、この方は闘い続けた。
勿論道半ばで迷う事も惑う事もあっただろう。
それでも俺の元に戻るまでは全力で闘うと、そう心に決めたからこそ、天門を潜ったのだ。
この方の考え方はいつもそうだった。
やるか、やらないか、そんな事を悩んで時間を無駄にしない。
やると決めたことを、如何にして成し遂げるか。
時間を費やして考える価値があるのは、それだけなのだと。
俺の命を守り、そしてこの方自身も俺の元へ戻ってきて、結局この心すら守られた。
己の行く先を決めた時の、この方の腹の据わりようが空恐ろしいと。
そして俺と共にいてくださると決めたこの方が、俺の為に何をしでかすのか、腹を括り直さねばならぬと。
そう分かっていた筈なのに。
この、胸を掻き毟りたくなるような気持ちを、俺はどうしたらいい。
いったい、貴女という人をどうしたら…。