きぬかけの路沿いに紅葉している木があり、立ち止まって撮影。
金閣寺の敷地内に植えられている木でした。
人出が戻ってきたとは言え、前回訪問した時(2015年12月)より空いています。
やはり外国人観光客が増えるまでに、京都の名所は押さえておきたいですね。
総門入った所にある「舟形石」。元々馬が水を飲むための水槽として使われていたそう。宝船を連想させ、昔から縁起の良い石と言われています。
小さな寺院だったら、庫裏が拝観の出入口だったりしますが…。
ちゃんと拝観受付所がありました。拝観料は400円。観光寺院にしては低価格です。
拝観券の代わりにお札を頂きました。開運招福、家内安全の御利益にあやかりたいところです。
そして観光。
入ってすぐの所に、どーん!と、金閣が見える演出。
鏡湖池を入れて撮ろうか、衣笠山を入れて撮ろうか、迷うところです。
人ごみを掻き分けながら、色々なアングルから撮りました。
しかし!金閣の方ばかり見ていると、方丈や陸舟の松を見落とすので要注意。
陸舟の松は、足利義満公遺愛の盆栽を移し、帆掛け舟の形に仕立てたと伝えられる五葉松。樹齢は約600年。「陸舟の松」とも呼ばれています。
金閣の話に戻します。
「金閣寺」は金閣舎利殿にちなむ俗称で、正式名称は「鹿苑寺」。相国寺の塔頭寺院の一つです。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経(1171~1244)の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満(1358~1408)が譲り受け、山荘「北山殿」を造ったのが始まり。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に「北山文化」といいます。
義満の死後、遺言によりお寺となり、夢想国師(1275~1351)を開山とし、義満の法号「鹿苑院殿」から二字をとって「鹿苑寺」と名付けられました。
その後、応仁の乱(1467~78)による焼き討ちや、修行僧による放火(1950)などを経て、昭和30年(1955)に再建。つい最近では、令和2年(2020)末に金閣舎利殿の改修工事が終わったそう。
ここで金閣舎利殿の説明。一層目が神殿造りで二層目が書院造り。三層目が禅宗の仏殿で、仏舎利(釈迦の遺骨)が祀られています。
屋根にそびえる鳳凰は想像上の生き物で、中国神話の霊鳥。
鳳凰(鳳皇)を一番上にし、三層目から順に寺家→武家→公家と割り当て、一層目を金箔にしない事で、足利義満は貴族に対して武士の優位性を示したかったとか。
一層目に月見台を設けたのは、貴族文化の名残と言えましょう。
7年前より観察力がアップしたように思えます。今回、一層目に金箔が塗られていない事は、新たな発見でした。
つづく