平等院 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

5年前10月の散策。

 

 京阪宇治駅から徒歩15分。平等院に到着。入口で拝観料を払い、鳳凰堂内部拝観受付に直行しました。

 

 

 1時間に3回転、1枠あたりの定員は30名。待ち時間は1時間半と大盛況。鳳凰堂を遠巻きに見ました。10円玉の裏に描かれた建物を目の当たりにし、感動したのは言うまでもありません!

 

 

 屋根瓦の装飾は鳳凰。古代中国伝説の鳥で、徳の高い君子が天子の位に就くと出現するというめでたい禽鳥。1万円札の裏に描かれています。

 

 

 永承7年(1052)、時の関白・藤原頼通(992-1074)が、父道長の別荘地だった場所に仏寺を建てたのが、平等院の始まりです。

 

 

 この年は末法初年にあたるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していたとか。

 

 

 池のほとりにある六角堂。明治35年(1902)から5年がかりで行われた、鳳凰堂の翼廊の解体及び修理の際に出た廃材を利用し建てられた瓦葺の建造物です。

 

 

 平等院の梵鐘は、撞き座に向かって龍の首が向くという斬新なもの。平安時代を代表する梵鐘の一つとされています。

 

 

 外の梵鐘はレプリカ。本物は鳳翔館にあります。

 

 

 浄土院は、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(1492-1501)に開創した塔頭です。

 

 

 本堂にある救世船乗観音像。旅といのちに想いを馳せる菩薩像で、平等院開創950年記念事業の一環として、平成14年(2002)に佛師村上清(1971-)氏が復元したものだそう。

 

 

 養林庵書林は桃山城の遺構。

 

 

 羅漢堂は茶師星野道斎とその息子たちにより、寛永17年(1640)に建立されたもの。

 

 

 最勝院は天台宗系の単立寺院で平等院の塔頭。承応3年(1654)、住心院の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことに始まります。

 

 

 本堂は不動明王を本尊とする不動堂。本尊と並んで役行者の像が祀られているのは、あまり知られていません。

 

 

 鳳凰堂の裏側にひっそりと佇む源頼政(1104-80)の墓。

 

 

   治承4年(1180)5月、以仁王の命により、平家打倒を掲げた頼政。宇治川にて平家軍に追撃され、平等院で自刃したと伝えられています。

 

 

 最期を迎えるにあたり、軍扇を広げて辞世の句を詠み、南無阿弥陀仏と唱えたとか。

 辞世の句「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」

 

 

 観音堂は鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建物。

 

 

 本尊は十一面観音立像。後頭部の大笑面が無い点で、他の多くの十一面観音と異なると評されています。

 

 

 鳳凰堂は極楽浄土の宮殿をモデルにしていると言われ、中堂・左右の翼廊・奥の尾廊からなります。最後にガイド付きで中を拝観しました。

 

 

 本尊は平安時代を代表する仏師・定朝(生年不明-1057)作の阿弥陀如来坐像。頭上を覆う天蓋には大型の八花鏡がはめられ、堂内に入る光を反射したとか。やはり実物は神々しく、オーラがあります。

 

 

 壁には52躯の菩薩像。各像はいずれも頭光を負い、飛雲上に乗ってさまざまの変化に富んだ姿勢をとっています。

 

 

 平等院を出たのが午後1時前。この後三室戸寺と萬福寺に行きましたが、時間がひっ迫したのは言うまでもありません。