5年前10月、三室戸寺の後に訪問した萬福寺の話。
京阪黄檗(おうばく)駅から歩いて5分。萬福寺に到着。午後4時過ぎでかなり焦っていました。
総門の屋根飾りは磨伽羅(まから)。ガンジス川の女神の乗り物で、ワニのような生き物だとか。
魔除けの壁に、隠元禅師(1592-1673)が中国から持ち込んだという孟宗竹の竹薮。
三門の禁牌石(きんぱいせき)は、修行者としての自覚や自省を促すためのもの。
三門をくぐると脱俗の清浄域になります。
寛文元年(1661)、中国の僧・隠元劉琦によって開創された萬福寺。三門の扁額は隠元禅師の直筆だそう。
他の寺院ではあまり見かけない中国明朝の様式デザインや技法を多用。
三門→天王殿→大雄宝殿→法堂が一直線に並ぶ伽藍配置。それらをつなぐ参道は、龍の背の鱗をモチーフ化したものだとか。
天王殿は萬福寺の玄関。中国の慣しにより、四天王と弥勒菩薩と韋駄天が同時に祀られています。
×型の組子を入れた匂欄は、日本では珍しいたすき匂欄で、チベット・中国で使用されているデザイン。
四天王は帝釈天に仕え、仏教世界の東西南北を守る守護神。東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天からなります。
韋駄天は増長天の部下。仏舎利を鬼から取り戻した、足の速い神様です。
布袋は弥勒菩薩の化身。この布袋坐像のモデルは、南宋の高僧・定応(じょうおう)大師(生年不詳-916)。大きな布袋を下げて杖をつき、全国を行脚していたと伝えられています。
大雄(だいおう)宝殿は萬福寺の本堂で最大の伽藍。日本では唯一、最大のチーク材を使った歴史的建造物で、とても価値のあるものだそう。
本尊は釈迦牟尼佛。両脇侍は迦葉と阿難。両脇に十八羅漢像を安置しています。
十八羅漢の中でも特に有名なのが、羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)。釈迦の実子で最も優秀な弟子だったと言われています。
歇山重檐(けっさんじゅうえ)式の建物で、一見二重構造に見えますが、下方の檐(屋根)は装飾であり、内部は単層構造になっています。
龍の腹を表現した蛇腹天井。正面一間分の軒下の垂木は丸く、かまぼこのような型をしています。
正面入口の桃戸。桃の実は魔除けのために彫られたとか。
日や月を象徴する円窓。
大雄宝殿の向かいに、参列者の並ぶ月台(げったい)があります。
法堂は禅寺における主要伽藍のひとつで、説法を行う場所。
釈迦の説法は、獣中の王である獅子が一度咆哮すれば、百獣すべてが従うことにたとえ、獅子吼と呼ばれてきました。
朝の巡照板で始まり、夜の巡照板で終わる黄檗山の一日。ここで修行をする僧は、正覚を目指して精進を誓い、自覚を促すため、巡照板を打ち鳴らして各寮舎を回っていたとか。
正面の勾欄は、卍及び卍くずしの文様。見どころが分かった今、過去の観光ブログを書き直すのも良いかもしれません。