萩の寺と周辺散策 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 9月26日(木)プチ散策。山電板宿駅からバスに乗り、那須神社前で下車。すぐ近くの石段に上り、那須与一(1169-1232)の墓を詣りました。

 

 

 那須与一は下野国鎌倉の御家人。源義経の軍につき、元暦2年(1185)2月、讃岐屋島の戦いで平家の扇の的を射落とした話は有名です。

 

 

 その功により、丹波・信濃・若狭・備中・武蔵各国に恩賞地を与えられ、那須氏の総領となりましたが、後に出家し、京都伏見即成院に入ったと言われています。

 

 

 晩年に与一は源平ゆかりのこの地へお札詣りに訪れますが、病のためここで亡くなったと伝えられています。

 

 

 道路を横切り、石段を上りました。

 

 

 誰もいない境内。狭い境内を囲むように、5つの建物があります。

 

 

 一の谷の合戦(1184)の前に、那須与一が勝戦祈願をしたという北向八幡神社。応仁天皇・誉田別尊(ほまれだわけのみこと)・天照大御神・春日大明神が祀られています。

 

 

 那須与一祀られている那須神社。

 

 

 なぜか分かりませんが、高取山頂にある荒熊神社の末社、稲荷社がここにあります。

 

 

 六甲山系の淡紅花崗岩(たんこうかこうがん)で出来た笠塔婆。南北朝時代(1337)年に造られた石像です。

 

 

 この地では「いぼ薬師」と呼ばれ、お詣りすればいぼが治ると伝えられています。

 

 

 笠塔婆の横にある石段を上りました。

 

 

 

 早いのか遅いのか。明らかに見頃を外しました。生い茂った萩の枝を掻き分けて本堂へ。足元には蚊が、花の周りには蜂がいるので、要注意。

 

 

 萩は秋の七草の一つ。マメの花に似ています。

 

 

 境内10数種類あるとの事ですが、微妙すぎて見分けられません。

 

 

 白萩もあり、源氏と平氏を象徴しているかのよう。

 

 

 古くは「明光寺」といい、元禄5年(1692)には伽藍も建立されました。一時は禅道場として栄えましたが、火災により衰えたそうです。

 

 

 宗派は黄檗宗。開祖は江戸時代初期に来日した隠元隆琦(1592-1673)。拝殿前の布袋尊。黄檗宗独特の置物です。

 

 

 明光寺は、大正時代に住職が10数種の萩を植えたことから、「萩の寺」と呼ばれるようになりました。

 

 

 足元に咲くつゆ草。萩はマメ科、つゆ草はツユクサ科の植物ですが、近くで見ると似ています。

 

 

 栗の木が実っていて、秋たけなわを感じました。

 

 

 プチ散策はこれで終わり。坂道を下り、バス停に戻りました。