「生後7ヶ月の記憶なんて、流石に無くない?」


僕の夢の話を、初めて彼女に話した時、
彼女はかなり、疑っていた。


(僕が彼女に自分の話をする時は “ 俺 ” を使っている)

「俺も初めて意識した時はそう思ったよ。
でも何度も同じ夢を見るし、新しい記憶の元を辿るとその日に繋がるって言うか、さ。
辻褄が合うんだよなー。」

「樹はお母さんに その事、聞いたことあるの?」

「そういや、無いね。なんか聞いちゃいけない気がして・・・。」


「ふぅ~ん・・・。」


でも僕が “あの夢” を見て魘される姿を何度も目の当たりにしてるうちに
彼女は真剣に話を聞くようになった。


それは、僕の話を信用したのか
はたまた、只の興味本位なのか・・・。


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2017年2月(樹 0ヶ月) 
樹と退院した日


夫を送り出し、実家へ戻ると両親共に不満げな表情だった。

“ 夫は赤飯は食べない ”って電話で話してたのに・・・
産後でクタクタなんだから、もう、勘弁してよ・・・

心の中で、私は毒づいた。

そういえば、病室にいた時からイライラがずっと止まらない。
どんよりした食卓で、私は赤飯をかきこんだ。


父は昔から母の味方だった。

父は典型的な九州男児で、母への暴力も度々見かけた。
しかし機嫌が良いときの父は、とにかく母に優しかった。

昔から母のおもてなしは絶対で、
お腹空いていようが、空いてなかろうが
“ 母が用意したものは必ず食べる ” が我が家の暗黙のルールだった。

我が家のルールなんだから、夫が従えなくても当然なのだが
お祝いごとに揉めること事態が、私には信じられなかった。
一口くらい赤飯を食べるくらいの余裕はあっただろうに・・・。


お赤飯のあとも少しもゆっくりは出来ず
入院先に持って行った荷物が部屋を散らかしていた為に
荷物をばらす作業があった。

里帰りの準備品、入院する時に持って行った旅行用のトランクケース、
大きめのバッグ、産院で頂いたお祝品。

沢山の荷物があり、結構な時間を要した。


「ちょっと、休憩してやったら?」
そう、母に言われたが、私は意地になって黙々と片付けた。
休憩したところで、どうせ自分しか出来ないのだから。

やっと部屋が片付いて、ホッとしたところで
可愛い孫を見て上機嫌になった両親が
交互に私に話しかけてくる。


子供を産むまで、両親の話を機嫌良く聞いてあげることは
至極、当然の事だった。
結婚してから長い間、私達夫婦には子供がいなかったので
自分にも余裕があったからだ。

両親が喧嘩したら仲裁に入ったり、
お互いの愚痴をゆっくり聞いてあげたり

生活で困ることがあれば、駆けつけて代わりにやってあげたり
割りと尽くした方だと思っている。
それで、両親は私にべったり甘えていたんだと思う。

大好きな娘と孫が家にいる事でテンションが上がりきった両親に対して
私は息子が寝てる時間くらい、ゆっくり身体を休ませたかった。

両親の話を悠長に聞いてあげる余裕は持ち合わせていなかった。


産後の肥立ちって・・・

一体、誰のための里帰りだッタンダッケ・・・


そして、実家のタイムスケジュールに合わせなければならない不自由さも加え
私は里帰りの次の日には自宅に帰りたくて仕方なくなっていた。


「成ちゃん~。大ちゃんは何時に帰ってくるの?」

「成ちゃん~。大ちゃんは何時にご飯食べるの?」

「成ちゃん~。大ちゃんは沐浴、何時にするの?」


成ちゃ~ん。成ちゃん。成ちゃんっ!!!


「・・・仕事だから、決まってないけど7時くらいじゃないかな・・・?」


もう、早く、帰りたいよ・・・





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