長らく更新できておらず、

コメントいただいていた方へも、申し訳ありません…。


やっと気持ち的に書こうという気力がでてきたのと、

節目なこともあり記録したいと思います。



遠方の実家に住む、私の最大の理解者で、

大好きだった母が突然亡くなりました。


持病なし、まだ60代、昨年まで仕事もしていました。



夜、母が自宅で突然倒れて心肺停止状態で搬送された、と妹から電話が入って。


急いで駆けつけないといけないのに、

震えが止まらなかった私はそこから思考が停止して。


夫が帰省準備と運転をし、夜間高速を走っていた道中で母が亡くなったと聞きました。



変わり果てた姿で病院から自宅に帰ってきた母と対面し、私はもう訳が分からなさ過ぎて、初めは本当に涙も出ませんでした。

で、あれよあれよと通夜をして、お葬式をして。



突然死だったので、父ほか同居家族への警察からの事情聴取も長く、その間私は葬儀屋さんとのやりとりを担っていました。


遺品の整理も相続の準備もゼロからで、

忌引休の間に、父と私たち実子でバタバタと最低限の手続きを済ませたり、お焼香に来てくださる方の対応をしたり。

葬儀後は夫に娘を連れ帰ってもらい、夫は完全ワンオペで障害児育児と仕事を1週間頑張ってくれていました。



卒園入学を控え、ただでさえ調整ごとが多く、

仕事も年度最大の繁忙期で忌引から復帰後も忙しかった時期で。



落ち着いた今、ふと、

母はもう居ないんだ、と日に日に悲しさが増して

ふとした時に泣けてきたり。

今でも悪い夢を見ているような感じです。



亡くなる1週間前に、

少し早めの娘へのバースデー小包が届いたばかりでした。母はとてもマメな人だったので、

毎年娘にお祝いのおもちゃ、お菓子、現金などをつめたお楽しみ小包を送ってくれていました。

今年は「おばーちゃん、ありがと」という娘のボイスメッセージと貰ったお菓子を頬張る娘の写真をLINEで送りましたが、それが私と母との、最後のやりとりとなりました。




娘は、7月末に私の父方の祖母のお葬式にも出ていますが(娘はこの祖母には会ったことがありませんでした)

今回は、娘もよく知っているおばあちゃんのお葬式。


葬儀は滞りなく進み、娘も、おばあちゃんときちんとお別れをしました。

(収骨室で、娘、がいこつ〜?と言う…)


が、葬儀以降、娘がやや不安定になっていて。



自宅ではいつどこに居てもパパと私の後追い。

トイレも一緒にきて(🟰同室希望)と言うし、

少しでも姿が見えないと無言で追いかけてきて、

テーブル着席時は、必ず私かパパの膝の上に来ます。

早朝、トイレに行こうとベッドから離れるとすぐに起きてついてくるほどべったり…



保育園や放デイに行く際は分離出来、

きちんと行っていましたが

時々泣けてくることがあったらしく。


卒園式も近かったため、おばあちゃんの死や

色々な環境変化を何となく察していたのでしょうか、

現在進行形で後追いは続いており、寂しんぼうです。

また、娘はどちらかというと寝つきが悪かったのですが、今は即入眠し、10時間以上寝ています。

疲れてるのだろうか。



まもなく娘の入学式。


11月に帰省したときに母にランドセルを買ってもらいました。

色は娘が赤を最終決定として選びましたが、

父と、母と、祖母と一緒に店頭で選びました。

思い出のランドセルになってしまった。

母にランドセルを背負った娘の入学式の姿を見せられないなんて夢にも思わなくて。



娘の卒園入学が誇らしく嬉しいはずなのに

どこか寂しくて仕方のない春になりました。



おばあちゃんとの思い出のランドセルを背負って

元気に小学校へ行ってくれるといいな。





最後に、母へ。


今まで自分のことばかりしか見えていなくて、

何ひとつ親孝行らしいことができないままお別れとなってしまった。本当にごめんなさい。


最後の孫は、普通とは少し違う子ではあるけど

他の孫と分け隔てなく可愛がってくれて、

遠くからいつも思ってくれてありがとう。


私の思い描いていた子育てと違ってはいるけど

とにかくいとおしくて。

沢山諦めたこともあるけど、そんなに絶望もしていないよ。

この子を育てているからこそ知ることのできた、

穏やかな世界や、厳しい現実もたくさんあって。


いつまでも自分のことばかりしか考えられなかった私への課題でもあるし、可愛い授かり物と思っています。


今までいつでも味方で居てくれて、

家族のために懸命に生きてくれて、本当に本当にありがとう。

寂しくて寂しくて辛いけど、

強く、生きていきます。