お産のあとNICUで数時間生きた娘ですが
娘の心臓が止まって臨終を告げられた時
私は、
へその緒が取れたら自発呼吸が難しいと言われていた事もあって
理解され難いかもしれないですが
“そうなんだ”
“もう生きてないんだ”
という想いが最初に生まれました。
人の死の前に、
ましてやさっきまでお腹で育てた自分の子どもが息を引き取ったと告げられて、
どんな感情でその時間を過ごすのか
もっと絶望感に囲われて
取り乱して周りの手に負えなくなるのかと
そんなイメージですが
とてもあっさりしていたのを覚えています。
亡くなったことは頭で分かっていても
生き返るんじゃないか?
嘘なんじゃないか?
という思いが、
心のどこかにあったのかもしれません。
出産した病院ではMFICUにお世話になり、
出産前から
あたたかいサポートとケアを十分に頂くことができ
話を聴いていただき
おかげさまで娘との時間は
わずかながらも、しっかりと取れた方だと思います。
退院して娘を家に連れて帰って、
自宅で家族で娘との時間を過ごしたあとは
火葬場に向かいました。
今でも、小さな棺が炉に向かって進んでいく光景を
はっきり思い出すことができます。
それが娘の身体があった最後。
可愛い身体が骨になってしまった。
そこからが、本格的な悲嘆の始まりだったんだと思います。
骨になった娘を見た時の感情。
“どうして骨にならなければならなかったんだろう”
それでも公共の施設にいるので
気持ちの安定を図っていました。
お骨を抱えて、
火葬場からの帰り道
清浄綿が欲しいのでドラッグストアに寄りました。
産後の身体です。
私は出産の2日前から、まとまって睡眠を取っていませんでした。
1週間入院させて頂きましたので、
9日ほど、まともに寝ていません
家族にも気丈に振る舞っていたこともあって
疲れからかその日は早々に寝てしまいました
お骨になったことで、
娘を抱いて眠ることが出来なくなったので
娘のお骨の周りに、自分たちで作ったぬいぐるみや家族が買ってくれたぬいぐるみでいっぱいに囲いました。
夏の終わりの残暑のなか、亡くなって1週間
娘はそばにいてくれたので
可愛い彼女が腐るのは見られないし
色は変わっていくだろうし
火葬をするしか手段はなくて
亡くなったらもう手を離さないとならないんだ
そんな思いも抱えていたので
亡くなった人を送る手順を終えたことに
どこか安堵の気持ちを覚えていました。
次の日、またその次の日は、
退院して外に久しぶりに出たので
娘のために何か買ってあげたいと思い
買い物に出かけました。
最初は娘に何かを買ってあげられることが嬉しくて
出かけるのが楽しかったのですが、
家に戻ると当然なのですが娘の姿はありません。
だんだんと、お骨の前で
戻ってこない娘に現実味が出てきて・・
“どうして骨になっちゃったの・・
数日前までお腹で動いていたのに”
とても悲しくなりました。
1週間が経つころ、
妊娠していた時にトイレに朝5時に起きていたので
同じように早朝に目が覚めて、眠いはずですが
夜中まで暗闇の中で検索をしまくり、
“亡くなったら人はどこに行くのか”
とか
娘がネット上に存在しないか
彼女がいる世界を知りたい。
親だから当然。
もしかしたら娘のことを誰かが記事にしてくれてるかもしれない。
ありもしないのに。
調べるのに必死で
検索をすることを辞められなくなっていました。
産後で疲れているので眠るとゆっくり寝ているのですが
朝になって目を開けると
お骨が隣にあって
自分のお腹はまだ大きいけれど、彼女はいない。
“あぁ、居ないんだな”
そうして、強い悲嘆が始まっていったと思います。
この前までお腹にいたのになぜ?
私は娘の成長をみることができないの?
あんなにもろい身体に、たくさん管をつけて
彼女は幸せだったの?
そんなことしかしてあげられなかった
私は自分の命と引き換えで良かったのに
助けてあげられない親なんて
生きていたらいけない
今からでも遅くないなら
返してください
彼女はたった6時間しか生きれなかった
なのに私は産後の経過も良くて
何の問題も無くて
健康で今日も朝目が覚めて1日が始まる。
なんの為に生きるの?
疑問や取り戻したいという思いが頭の中を占領するようになりました。