先日、市民館の会議室で「市域の遺跡を堀り続けて半世紀」という講演を聴いた。講師は地元に考古学研究所を開設している、在野の研究者である。
 半世紀にわたりこの地区で発見された遺跡の数々について、その出土した区域、土器類などの出土品をパワーポイントの映像をもちいて説明があった。考古学の知識のない私にも1時間半の話はあっという間に過ぎてしまった。
 旧石器時代のもの、縄文、弥生時代のもの、意外とこの地域に遺跡がたくさんあることに驚かされた。発見されたのは土器ばかりではなく、獣の皮をはぐ鋭い石器のようなもの、獣を落とし入れる落とし穴のようなものまであるという。


 普段何気なく歩いている賑やかな駅のすぐ近くや、瀟洒なマンションが立ち並ぶ住宅地も、何千年前には縄文人が住み、鋭い眼差しで獣を追いかけていたのである。そんな想像を楽しみながら、私はまた次の詩句を思い浮かべないわけにはいかなかった。


 狩猟で暮らしたわたしたちの先祖は
 生きものの悲哀の物語りをものがたった
 留めを刺された獣の顔に刻まれた限界と欠乏とを哀れんだ。


  (W・H オーデン「狩猟で暮らしたわたしたちの先祖は」)

 ところで、私がよく散歩するコースに、K大学のキャンパスがある。そのキャンパスには野球場と陸上競技場があり、学生達の練習風景にしばし足をとめ見入ることがある。たとえば、この野球選手達のなかには将来プロで活躍するような選手がいるかもしれない・・・。等々勝手な想像をするのである。
 先日は、陸上競技の選手たちだろうか、10人くらい単位の3グループとなってトラックを何周も駆けていた。
たぶん箱根駅伝を見据えての猛練習ではないかと思われた。

滴る汗もぬぐおうとはせず、真剣な眼差しで疾走する若者達になぜか魅入られた。若い情念を漲る筋肉に燃焼させ、黙々とグラウンドを駆けぬける彼らの姿に、獣を追ってひたすら野山を駆ける縄文人が二重写しになったのである。

   古い昔の記事を再掲している。本記事は十五年前のものである。