石川啄木と言えば、何を思い出すだろう。

「たわむれに母を背負いてそのあまり軽さに泣きて三歩あゆまず」や「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」などの歌が容易に私の脳裏に浮かんでくる。だが、啄木の小説といってもピンとこない。小説なんてあったっけ・・・などと思う。

 実は啄木には十篇を超える小説を書いていることはあまり知られていない。啄木自身は小説にもかなり野心を持っていたようだが、短歌ほど人口に膾炙するような小説をものすことができず、何故か世間から評価されることもなかった。詩人であっても散文家としての才能はなかったのだろう。

 

『石川啄木小説選』(本の泉社刊)という本の中にあった「天鵞絨」というごく短い短編小説を読んだ。

 東北の小さな村に住むお定と八重の二人の娘が、東京からやってきた理髪店の源さんから誘われ、娘心を不安と期待に引き裂かれながらも上京する。東京では初めて水道というものを知ったり、人力車が犇めいていたりでたまげることばかり。それぞれ女中として東京の生活に入っていこうとしたとき、田舎から呼び戻す男がやってきて二人は帰らざるを得ないことになる。数日の東京の記憶を刻み付けて夜行列車に揺られなから帰郷する。 

 

 話そのものは単純だが、島崎藤村らの自然主義文学の影響を色濃く反映しており、当時の時代性が偲ばれる小説であると思う。セリフはコテコテの東北弁(岩手弁?)で、二人の娘の東京に対する期待と不安が、換言すれば素朴さが,初々しさが匂いたつような小説である。なお、「天鵞絨」ビロードはお定の頬がビロードみたいという男友達からの言葉に由来する。

 私はこの小説を読んでいて、やはり有名な啄木の歌「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」を思わないわけにいかなかった。