私が、日本史の中で比較的興味があるのは鎌倉時代である。市民アカデミーで受講したうちの二つは「吾妻鏡を読み解き鎌倉を知る」と「東国武士団の動向-相模・武蔵の武士たちの群像」といった具合である。しいて言えば、司馬遼太郎が鎌倉時代を高く評価していることから強い影響をうけているのかもしれない。

 その鎌倉時代を代表する歌人を挙げるなら、西行、藤原定家、源実朝であろう。この時代の和歌の世界に聳える三つの巨峰と言っても過言ではないだろう。しかもこの三人はそれぞれ縁があり、時代的な経過から見れば祖父、父、子供のような関係にある。三人の一生を簡単に示すとこのようになる。

 

 1118年   西行出生

 1162年               定家出生

 1190年   西行没(73歳)

  1192年                            実朝出生

 1219年                            実朝没(28歳)

  1241年             定家没 (80歳)

 

 三人のひとかたならぬ密接な関係については、すでに「それぞれの西行」でも触れたが改めて書く。

 新古今集に採られている一番多いのは西行の歌で94首ある。それらの多くは撰者である定家の撰によるものである。定家がいかに西行に傾倒したかが窺える。その頃の歌の権威である父俊成よりも、西行に強く感化され歌の道に入った旨のことも書き残している。

実朝は西行の死後出生しているから直接の西行との関係はない。西行は鎌倉を訪れ実朝の父源頼朝と面会・対話をしており、頼朝からもらった銀の猫を子供にくれてやったという逸話を残している。定家と実朝の関係はどうか。実朝は定家を師として仰ぎ教えを乞い、定家からは実朝に万葉集や新古今集を贈呈するような関係であった。いわば中央歌壇の状況を鎌倉の実朝に伝え教える役割を果たしたようだ。

 

 この三人について、西行については「それぞれの西行」で、定家については堀田善衛の『定家明月記抄』を題材としてその歌と人物像等を探って来た。今回は実朝である。実朝についても小林秀雄他多くの人が論じているが、それらの実朝論を読み、実朝の人と歌について考えていきたい。これは「それぞれの西行」の続編でもあり姉妹編ともいうべきものである。

次回、小林秀雄の実朝論から始める。