「それぞれの西行」というタイトルで十人の文学者たちの描き論じてきた西行像についてみてきた。

本書は西行研究者による西行歌の解説である。「出家」「吉野」等十六の章に分類された六十首について、一首ごとに懇切丁寧な現代語訳がほどこされ、西行を鑑賞するには好個の解説書である。

 私が最も興味を惹かれたのは最後の章「伝承」である。土地土地で言い伝えられた西行の歌と伝説についてまとめられている。こんなのがある。

 

 萩踏んで膝を屈めて用を足し 萩のはねくそこれが初めて

 

 鎌刃越歌碑と呼ばれる香川県坂出市に建てられた歌碑に記された歌である。西行は讃岐にも庵をもったことがあるから坂出市に歌碑があっても不思議ではない。ところが岐阜県の恵那市にも同じような歌が伝えられており、恵那市史になかにこんな件がある。

 

 西行さまがむかし山の中で、くそをさしたげな。ところがハギの木の上じゃったもんでハギの木がぴんとはねて、西行さまにかかったげな。それからそこを羽根平というようになったという話じゃ。そのとき西行さまは歌を詠ましたげな。

 西行も長の旅路はしたけれど はぎのはねぐそこれがはじめて

 

 このはねくその歌の伝承は恵那市の他にも全国各地に多くみられると言う。またこんな伝承もある。

 埼玉県の北葛飾郡杉戸町には、西行が平泉まで旅する途中しばらく養生したということが伝えられている。奥州に向かう西行が深い雪に遭い行き倒れになったが、村人たちの手厚い看病で回復し、あらためて平泉に旅立った。その際、庭の松を何度も振り返った。そのときの松を「西行見返りの松」として現代でも歌碑とともに残されているという。

 その他にも西行を偲ぶ伝承は信州に数多く残されており、信州に縁のなさそうな西行であるが西行をめぐる伝承の豊富さに驚いてしまう。

 

 伝承は土地土地で民衆により言い伝えられたものであり、文献や学問的な裏づけはないのが普通である。能や日本舞踊に残された西行伝説については前に少しふれたが、恵那市や北葛飾郡の伝承については文学者たちもこれに触れるものはなかった。

だがこの伝承には民衆の心がある。西行が当地を訪れたのではないかという期待や願望が反映されているはずだ。全国各地に西行伝承が多いということは、日本人の西行好みが反映されているといってもいいと思うのである。