土曜日は超大型台風の襲来によって、首都圏は新幹線・在来線をはじめとし私鉄、地下鉄がほとんど全部と言っていいぐらい全日運休になった。鉄道ばかりではない。デパート、近くのスーパー、コンビニエンスもまた休業である。

 こんなことは私の記憶では初めてである。街はすべてシャットアウト、外出するわけにもいかない。一日中家の中で過ごさねばならない。ちなみに私の当日の万歩計はゼロである。皆さんはこの宙に浮いたような時間をいかが過ごされただろう。

 私は、新聞のクロスワードパズルをやったり、囲碁の棋譜を並べたりし、それから好きな落語でも聴くこととした。若いころから録りためたテープ、CD、ビデオの類が50本近くある。

 今回は桂歌丸の『万金丹』と『つる』を聴いた。歌丸さんが亡くなって早いものでもう1年経った。昔はそれほど熱心に聴いた噺家では

ないが、今は好きな噺家のひとりである。  

                                                                   

 『万金丹』はこんな話である。江戸を飛び出しあてもなく旅をする八っあん熊さんが行き暮れて、ある寺の世話になる。その和尚さんが本山に出向くことになり、寺の留守を預かる。

 やがて村人がやって来て、人が亡くなったのでお坊さんにお経をあげてくれと頼みに来る。二人は和尚さんになったつもりで、でたらめなお経をあげる、といった滑稽噺である。

 『つる』は、なぜ鶴はつると言うのか。ご隠居に聞くと「つーと飛んできて、るーと松にとまるからだ」と教えられ、それを友達に教えようとするがうまくいかないといった噺である。

 くだらないと言えばくだらないが、落語ではそのくだらなさがなんともいえずおかしいと思う心の余裕というのが必要じゃないだろうか。おそらく笑いそのものが、余裕と無縁ではない感情であるからに他ならないからであろう。