小林秀雄は戦時中、日本の古典に沈潜、「無常という事」などの古典論を書き続けた。
  「西行」もその一つである。小林は西行の内奥を鋭く照射し、西行とい うひとりの孤独な詩人を浮き彫りにした。
 
 「如何にして歌を作ろうかという悩みに身も細る想いをしていた平安末期の歌壇に、如何にして己を知ろうかという殆ど歌にもならぬ悩みを提げて西行は登場したのである。
 彼の悩みは専門歌道の上にあったのではない。陰謀、戦乱、火災、飢饉、悪疫、地震、洪水の間いかに処すべきかを想った正直な一人の人間の荒々しい悩みであった。」
 
 当時の歌詠み達、とりわけ藤原定家を代表とする幽玄や有心などという美学に没頭した歌詠みと対蹠的な歌人として、小林は西行を「思想詩人」 あるいは「空前の内省家」という言葉で定義づけるのである。また、小林 はこう書く。
 
 「いかにすべき我心」これが西行が執拗に繰返し続けた呪文である。
 
 わたしたちはここに極めて印象的な、有無を言わさぬ西行像を見るのである。自意識という近代的な概念で掬い取られた西行像と言ってもいいだろう。
 
 ところで小林の一連の古典論の中に「実朝」がある。私は小林の文章の中では最もボルテージの高い美しい文章の一つだと思っているが、その 「実朝」の中で西行と源実朝の二人を論じた箇所がある。
 
   西行と実朝とは、大変趣の違った歌を詠んだが、ともに非凡な歌才に恵まれ乍ら、これに執着せず拘泥せず、これを特権化せず周囲の騒擾を透して遠い地鳴の様な歴史の足音を常に感じていた異様に深い詩魂を持っていた(中略)二人は厭人や独断により、世間に対して孤独だったのではなく、言わば日常の自分自身に対して孤独だった様な魂から歌を生んだ稀有な歌人であった。」
 
 まるで違う歌人のように思われがちな西行と実朝だが、「地鳴の様な歴史の足音を常に感じていた」という点で共通の孤独な詩魂の持ち主であったことを、私たちは納得させられるのである。
 小林もまた、戦争という歴史の荒波の中で、孤独な魂をいかにせんと苦闘していたのではないかと想像させられるのが、この「西行」「実朝」など一連の古典論ではなかったか。
 おそらく、この小林の西行論はそれからの西行論に大きな影響を与え、今なお多くの論者たちがこれをなぞり変奏したりして、西行論が書かれているように私は思うのである。