平岡正明著『志ん生的、文楽的』を読んだ。恐るべき評論家の恐るべき落語論
である。
 志ん生と文楽は、野球で言えば王、長嶋、相撲で言えば大鵬、柏戸、芸風が好
対照の名人である。その二人の演目・演出を縦横に論じているのだが、その領域
は落語におさまらず新内、清元、長唄、浪曲、義太夫までおよび、驚くべき芸談
義となっているのである。

 そんな中で、私がとくに興味を引かれたのは、志ん生と円生が戦争末期の満州
へ渡ったエピソードである。
 このことについては、志ん生は「びんぼう自慢」等で、円生は「寄席育ち」で
それぞれ書いていおり、さらに、井上ひさしに、満州における二人を描いた「志
ん生と円生」という戯曲があるので、それ自体は有名な話である。
  
 この書ではもう少し突っ込んだエピソードにまで触れている。
 もうじき死ぬかもしれない(実際に志ん生はロシア兵に殺されそうになる)植民
地満州の首都新京の夜、若き森繁久弥を司会者として甘粕グループの放送局員た
ちを前に艶笑落語をくりひろげたというのがそれである。

 志ん生、円生、そして司会の森繁が、三つ巴になって、時局柄、内地では禁演
になっている艶笑落語を次から次へとくりひろげたというのである。
 著者は、遺書としての落語だと指摘するが、それが白熱した艶笑落語の競演で
あるとは・・・。
日本の敗色濃厚の満州にあって、いかにも終末観が滲み出てくるようなちょっ
とアナーキーでもの哀しいエピソードではないか。なぜか私の心に残った。

 三つ巴というから、おそらく森繁は司会以上の司会の役割で、この会を切り回
したのだろう。
 志ん生はこう話している。(「びんぼう自慢」)
 「森繁君が余興に歌ア歌ったり、即席でなんかしゃべったりするんだが、実にど
うも器用で、調子よくって、品があってそのあざやかなことったらない。あたし
は おどろいてしまって」寄席へでも出たらと慫慂するのである。
 その森繁も先年泉下の人となった。