いつものように幕が開き
     恋の歌うたう私に
     届いた手紙は黒いふちどりがありました
     あれは三年前 止めるあなた駅に残し
     動き始めた汽車にひとり飛びのった
     ひなびた町の昼下がり
     教会の前にただずみ
     喪服の私は祈る言葉さえ失くしてた

        ちあきなおみ 「喝采」  作詞・吉田旺 作曲・中村泰士


 太宰治に「喝采」という小説がある。原稿用紙で10枚程度だから、掌編小説と
呼ぶべきかもしれない。物語というより自分の不遇をかこつ愚痴っぽい文章が連
綿と続く。いかにも太宰らしい嘆き節だ。
  最後は、「喝采と標題うって、ひとりおのれの心境をいたわること以上の如くで
ございます」と結んでいる。
 つまり、太宰は自分自身に喝采をうって、自分を励ましているのである。

 ステージの上で、多くの観衆から喝采を浴びるという経験は、普通の人ではな
かなかないことだろう。ただ、私達の人生で喝采を浴びることはまったくないわ
けではない。
 晴れがましい結婚式で、歯の浮くような祝辞を聞くのは別にして、小さな喝采
は誰にも一つや二つはあるだろう。
 たとえば、テストで満点をとり母親からほめてもらったり、校内のマラソン大
会で入賞し、全校生徒の前で表彰状を受けたり、あるいは、困難な仕事をやり抜
いて、よくやったねと上司から声をかけられたりした経験はなかっただろうか。

 私達の人生はむしろ辛いことや苦しいことのほうが多い。
 だからこそ、楽しかったことや嬉しかったことの記憶が輝くのである。小さい、
ささやかな喝采が生きることの糧になり、支えになるともいえる。
 生きる力とはそんなに大袈裟なものではない。「俺だって捨てたもんじゃない」
という思いをもつことができるかどうかである。そういう思いにさせるのが、さ
さやかな喝采ではないだろうか。

 有森裕子は「自分自身を誉めてやりたい」と五輪のメダル獲得の感動を語り、
太宰は自分自身に喝采をあびせ励ます。
 他人からの喝采、自分自身に向けた喝采、私達の生きる力そのものだと言い
たい。