別れの朝 ふたりは
さめた紅茶 のみほし
さようならの くちづけ
わらいながら 交わした
別れの朝 ふたりは
白いドアを開いて
駅につづく 小路を
何も言わず 歩いた
「別れの朝」ペドロ&カプリシャス
Udo Jugen作曲 なかにし礼作詞(訳)
先日、毎日新聞夕刊で「昭和歌謡ブーム」-なかにし礼さんに聞く-という特集
記事を読んだ。
なぜか今、昭和歌謡曲が根強い人気を集めているという。それがどんな理由に
よるのか、昭和歌謡曲の歴史を担ってきた一人である、なかにし礼にきくといっ
た構成の記事である。
その中で、なかにしは、「僕の歌はすべて昭和という時代への愛と恨みの歌で
す」と述べた後で、「僕自身は昭和という時代と寝た。お互い愛し合って憎しみ
あった」という表現をしていることに興味を引かれた。
私見によると、「時代と寝る」という表現は三島由紀夫を嚆矢とする。
ちなみに三島はこう書いている。
「私はあのころ、実生活の上では何一つできなかったけれども、心の内には悪
徳への共感と期待がうづまき、何もしないでゐながら、あの時代とまさに『一
緒に寝て』ゐた。どんな反時代的なポーズをとってゐたにしろ、とにかく一緒
に寝てゐたのだ。」
『小説家の休暇』(昭和30年)
「時代と寝る」とは「女と寝る」とおなじように、たいへん懇ろな関係にな
る、あるいは切っても切れない深い仲になるといったような意味であり、あまり
品のよい言葉ではないが、三島らしい修辞のひとつであろう。
今年70歳になるなかにし礼にとって、昭和という時代は、まさにのっぴきな
らない時代であっただろうと思う。
どのような形であろうと、あの戦争を、戦後の廃墟を、その後の経済復興を、
その喜怒哀楽、苦難と栄光を生身に経験してきた人たちにとって、昭和という時
代につきぬ愛憎を感じざるを得ないはずである。それが「昭和という時代と寝
た」という言葉となった。
すでに「平成」も20年が経過した。
なかにしは言う。「平成の印象は非常に穏やかだけども、希薄。病院の中に
いるような感じ」
私のような戦後生まれの者にとって、平成は言うに及ばず昭和という時代も、
ただ時代の表層を浮き草のように漂ってきただけのような感がしてならないの
である。
★この年(昭和46年)のベストセラー
『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ペンダサン著、山本七平訳)[山本書店]
『二十歳の原点』(高野悦子)
『ラブ・ストーリィ』(E・シーガル)
『戦争を知らない子供たち』(北山修)
『冠婚葬祭入門』(塩月弥栄子)[光文社カッパブックス]
『続・冠婚葬祭入門』(塩月弥栄子)[光文社カッパブックス]
『誰のために愛するか』(曾野綾子)[青春出版社]
『立ち尽くす明日』(柴田翔)