(古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるものでござい
ます。
どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、
右も左も真っ暗闇じゃござんせんか)
何から何まで真っ暗闇よ
筋の通らぬことばかり
右を向いても 左を見ても
馬鹿と阿呆の絡み合い
どこに男の夢がある
鶴田浩二「傷だらけの人生」 (藤田まさと・作詞、吉田正・作曲)
1970年(昭和45年)、この年三島由紀夫が自決した。70年安保闘争もさしたる盛
り上がりもなく、学園紛争も終息へ向かう。過激派は地下にもぐりますます先鋭
化し、後の連合赤軍事件に収束していく。
この唄が流行ったのも、こうした時代背景による若者の挫折感、閉塞感と無縁
ではないだろう。
ところで私は、今でも生きていたら面白かったのに・・と思う人物が二人いる。
三島由紀夫と寺山修司である。二人ともいわばデマゴーグ的な存在で、そのユ
ニークな言論は、スポーツ、映画、演劇など広く大衆文化まで及んだ。
たとえば、三島由紀夫は「鶴田浩二論」(昭和44年)でこんなことを書く
<彼は何と「万感こもごも」という表情を完璧に見せることのできる役者になっ
たのだろう。(中略)そういうときの彼には不決断の英雄性とでもいうべきものが
迸り、男の我慢の美しさがひらめくのだ>
もうひとつ引用する。「篠山紀信論」(昭和43年)である。
<エロチシズムが何らかの意味で所有欲に基づいているならば、こうしてとら
えられ、写され、発表された女体は、何ものの所有に帰するのだろうか。それは
、肉体の美しさを、所有をあきらめた公共のものとし、彼女たちが恋人にさえ見せ
ない或る瞬間の肉体の全身的表現を万人のものとするのである>
時代の寵児であった二人の本質をみごとに抉りとっているではないか。
私達が池袋文藝座の暗い空間で鶴田浩二に共感の拍手を送ったのも、平凡パンチ
のグラビアの篠山紀信に魅せられたのも、この三島の言葉によって納得するので
ある。
寺山と三島の二人が生きていたら、現在の社会状況をどのように洞察し、いかな
る警句を吐いたか、私には興味がつきないのである。
★1970年(昭和45年)評判になったCM
「男は黙ってサッポロビール」(サッポロビール)[出演:三船敏郎]
「肉や野菜がいっぺーはいっているでよ。みんなウハウハウハウハ喜ぶよ。
オリエンタル・スナック・カレー。ハヤシもあるでよ!」
(オリエンタル・スナック・カレー)[出演:南利明]
「モーレツからビューティフルへ」 (富士ゼロックス)
「違いがわかる男」(ネッスル日本、ゴールドブランド)
「ディスカバー・ジャパン」 (国鉄)