マイアーカイブス 昭和を懐かしむ5
抱きしめたい(昭和39年) Oh yeah, I'll tell you something, I think you'll understand. When I'll say that something I want to hold your hand, I want to hold your hand, I want to hold your hand. 「I WANT TO HOLD YOUR HAND」 ビートルズ (レノン・マッカートニー) ビートルズの登場は、私にとってまず風俗という形でやってきた。ちょっと不良ぽい友達がそろって長髪にし、細いズボンを着るようになった。にきび面で生意気盛りの頃だ。何故、そんな恰好をするのかわからなかった。慎太郎刈りはあっても、そもそも長髪が珍しい時代だ。 そのうちに、イギリスのバンドでビートルズというグループがいて、アメリカのヒットチャートを総なめにしているということがわかった。彼らは、皆マッシュルームカットというのか、長髪でかっこよかった。合点がいった。 この「抱きしめたい」が日本でリリースされたのが1964年、東京オリンピックのあった年である。その2年後に来日し、日本武道館で東京公演を行った。 はじめは、やかましいロックバンドぐらいにしか思っていなかった。本当に好きになったのは、大学に入ってからだろう。やかましいどころか、メロディアスで、癒しすら感じられた。今や髪の薄さを気にする歳になったが当時は当然長髪だった。 すでに、ビートルズも解散し、ジョンレノン、ポール・マッカートニーなど個人がそれぞれ活動していた。ちょっとした失恋もあって、「イマジン」などの歌がいかにも哀切極まりないメロディとなって心にしみこんできた。 学生時代は食うや食わずでレコードなど買う余裕はなかった。就職して大きなステレオを4畳半の部屋に備え付け、「ホワイトアルバム」「アビーロード」はじめとして、ビートルズのアルバムをほとんどそろえた。心置きなくビートルズを聞くことができるようになった。 ビートルズは、私の青春の伴奏歌ではなかったか。少なくとも今でもビートルズの曲を聴くと甘酸っぱい思いがよみがえる。 この年(昭和39年)東京オリンピックが開催された。日本中が柔道やレスリングの活躍に大いに盛り上がった。 このオリンピックで日本は先進国の仲間入りをし、OEDE(経済協力開発機構)に加入することができ、高度経済成長へと離陸していった。中国は、東京オリンピックには参加していない。それどころか、核実験を強行し、世界に緊張を走らせた。アメリカは、この年のトンキン湾事件を契機にベトナム戦争へ介入していくのであるがそれは、この2年後のことである。 ★東京オリンピックの金メダル 桜井孝雄(ボクシング) 三宅義信(ウエイトリフティング) 市口政光(レスリング) 花原 勉 (〃) 上武洋次郎(〃) 渡辺長武(〃) 吉田義勝(〃) 中谷雄英(柔道) 猪熊 功 (〃) 岡野 功 (〃) 早田卓次(体操) 山下治広(〃) 遠藤幸雄(〃)2個 体操男子(〃) 女子バレーボール(バレーボール) 涙の連絡船(昭和40年) いつも群れ飛ぶかもめさえ とうにわすれた 恋なのに 今夜も汽笛が 汽笛が 汽笛が ひとりぼっちで泣いている 忘れられない 私がばかね 連絡船の着く港 「涙の連絡船」(市川昭介作曲・関沢新一作詞) 前年「アンコ椿は恋の花」で衝撃的にデビューした都はるみは、この年(1965年・昭和40年)「涙の連絡船」「馬鹿っちょ出船」で演歌歌手として不動の位置を占める。その後「好きになった人」、そして「北の宿から」(1975年)でレコード大賞を射止める。 この人の唸るようなこぶし回しは独特で、女性のなよなよとした演歌と一線を画すものがあった。 私の田舎は小さな港町だが、真っ黒に日焼けした漁師たちが都はるみの唄を好んで唄っていたような気がする。漁師ばかりではない後に全共闘の活動家がふと口づさむ歌に彼女の演歌が多かったようなことを聞いている。 多分演歌は、私達日本人の心の深いところに響いてくるものがあるのだろう。今、私達の心に響いてくる唄はどこへ消えたのか。 話題は変わる。「右手に平凡パンチ、左手に朝日ジャーナル」という言葉があった。 いずれも一世を風靡した週刊誌である。あるいは私たち団塊の世代の青春を象徴する週刊誌といってもよい。 「平凡パンチ」は1964年(昭和39年)創刊された。大橋歩の描くイラストの表紙が印象的だった。私はこの表紙が好きだった。1980年代に女性のモデルやアイドルの表紙に変わってしまったが、そのときは、もはや「平凡パンチ」ではないとさえ思ったものだ。 内容はファッション、ヌード、クルマが中心だが、「平凡パンチ」にはそれだけではない何かがあったように思う。 たとえば「イラスト」とか「イラストレーター」といった言葉は、横尾忠則や黒田征太郎等がこうした雑誌で活躍することにより、従来の「挿絵」「挿絵家」という言葉を死語にした。 それだけではない。五木寛之や野坂昭如、野末陳平らの小説やエッセイが掲載され、地方で鬱々と青春を過ごす私達を大いに刺激した。ちなみに五木寛之の「青年は荒野をめざす」はたしかこの週刊誌に連載されたものだ。 団塊の世代の青春において、「平凡パンチ」こそサブカルチャーそのものであり、また、それを触媒にして、多くの若者に「平凡パンチ」的風俗やライフスタイルのようなものが広がっていったと言ってもよいであろう。 現代では、「青年は荒野をめざす」といった言葉が素直に受け入れられるような熱気とエネルギーはないと言わざるを得ないのである。 ★1965年(昭和40年)の主な映画 「海の若大将」(東宝) 、「エレキの若大将」(東宝)、 「網走番外地」(東映) 、「黒い雪」(日活)、 「東京オリンピック」「赤ひげ」(東宝)