自然が猛威をふるった東日本大震災から1年。


ガタガタと崩れ落ちてゆく建物、無力にも散っていく人々、流れてゆく悲しみ。

全てが一瞬のことで抵抗できないまま脆くも引き裂かれる大地。


逝ってしまった者と残された者、希望と絶望。

この表裏一体の問題でもつきまとうのはどっちにしろ哀しみ。


その日まで普通の生活を送っていた多くの人々が、その日を境に「被災者」とまるで特別な何かの様に呼ばれるようになった。


本当に居た堪れないうえに、言葉ではどう言い表していいかわからない。

また頭ではわかっているものの、どうしていいかわからない人間の無力さに、歯がゆくも考えれば考えるほど頭が痛い。


亡くなった方々のご冥福と、生き残った方々の癒しを心から願います。



でもね、本当に言いたいのはここから。


僕が一番イラッとすることは、今まで原発に頼ってきたからこそ保っていた電力、日常生活レベルなはずなのに、この震災事故があってから掌を返したかのように原発を反対する人々たちとメディア報道の在り方。


お前ら原発なしで生きてきたのかよ?

事故前から元々反対していた人も、結局は電気使ってんだろ?

それとも何か、これまで自家発電しかやってなかったのか?

事故ったからって原発職員がすべて悪いんか?

原発以外でどうやったら一気に人々のに電気賄えるんだよ?

どうやったら電気蓄積できんだよ?

そういった奴らよ、答えてみろ。



あと被災地へ趣き希望を届けようとする偽善者たち。

有名人であろうが無名ボランティアであろうが、その心は本当に温かく、ありがたいことでかけがえのないもの。

闇のどん底に見える希望の一筋だと思う。

それが例えどんなに小さなことでも。


でもね、実際には被災地へ行った多くの人たちは逆に自分たちが勇気をもらった、励まされたって言葉をもって帰ってくるでしょ。

こういう偽善者って大嫌いだ。

これってバカげたことで全く意味ないよね。

そういうの単なる自己満足って言うんだよ。


どう考えたって無という闇の世界で懸命に生きる人たちって強いじゃん。

かけがえのないものじゃん。


それを踏みにじって逆に傷を負わせにいったあげく自分が元気になったって。

正気か?



どっかの市議会は市に対して瓦礫の受け入れをやれだの拒否したら非国民だの言ってる奴らもいるね。

だけどよく考えてごらんよ。


隣の人のゴミを自分ちに受け入れなきゃ非国民だと言ってるんだよ。

見知らぬ人が地面に落とした食べ物をお前が食べなきゃ最低だと言ってるんだよ。

バカかって。

そんなのゴミを出した家が責任もって捨てなきゃいけないし、地面に落した食べ物はその人が責任を持って掃除しなきゃいけない。


ましてや放射能とあったらそりゃ市民は反対するさ、自分や大切な家族、友達や仲間の命に関わるんだもん。

そんなら非国民でいいじゃんかって。


そもそも何を根拠に放射能基準ってあるんだよ。



さっきも言ったように本当にこの震災は辛いことで、一刻も早く復興してほしいと思う。

そう思うことが一番大切なんじゃないのか?


これを読んだ人たちで賛成できない人は山ほどいるはず。

バカかお前は、薄情なやつだと思っている人も多いはず。

最低な奴だ、見損なったぜと思う人もいるかもしれない。


誹謗中傷は多いはず。


確かに言葉は汚い。

でも僕はこう考えている。


僕は狂っているのか?


p.s.

被災地で暮らす勇者たちへ。


僕はあなたたちを心から尊敬しているし、日本の宝だと思う。

泥臭くも醜くても生き抜いてやれ。