今日で震災から5年が経ちました。
今は東京に住んでいますが、当時は地元の仙台に住んでいて、仕事中でした。
変な揺れがきて、これは大きいのがくるぞとなり、デスクの下に入りこみました。(身長が小さいので、しゃがんですっぽり入れました。)
しゃがんでたからか身体が左右に振られ、デスクにぶつかるほどの横揺れで、必死に左右手で支えながら、揺れがおさまるのを待ちました。
地震の来る1時間前に外を見たら、見たことのない奇妙な雲が広がっていて、『今日の雲おかしくない?この前のが余震で、宮城県沖き来ちゃうー?』『やだー、縁起悪いけど、本当に雲へんかもー』なんてのんきに同僚と冗談で話していましたが、本当に現実で起こるとは…ビックリしました。
素人でも気付くぐらい、異様な雲でした。
自転車通勤だったので、帰宅難民になる事なくすぐに帰宅出来ましたが、お子さんがいる方は8時間かけて徒歩で帰宅された方もいました。
父は職場で津波被害にあいましたが、幸い家族全員無事でした。
ただ、第二の故郷の石巻は津波で壊滅。
震災後、初めて訪れた時の衝撃は凄まじく、今でも目に焼き付いています。
東京にきて月日が経つと、なかなか被災地を目にする事がないので、震災という言葉が生活の中からなくなり、他人事のように震災のニュースを見てるときがあり、自分に悲しくなるときがあります。
この日を向かえる度に、当たり前の毎日がどれだけの人のおかげで成り立っているか、家族と笑い合える毎日も当たり前ではないのだと、思い返すようにしています。
また、それを娘たちに伝えていく日にもしています。
3歳の娘は帰省先が石巻なのもあり、津波の爪痕も見ているし、私達も聞かれたらありのままに話しているので、少しずつどんな事が起きたのかわかってきたようです。
震災を風化させないよう、娘にもしっかり伝えていきたいと思っています。
長くなりましたが、今日はもう一つ特別な日となりました。
朝一番で認可保育園の入所内定の連絡を頂きました
一番最後に書いていた園ですが…
このご時世、贅沢はいってられませんね
生後8カ月から待機児童で、今日までとてもとても長い道のりでした。
年甲斐もなく、電話口で大喜びしてしまいました
4月から幼稚園に通う周りのお友だちと同じように毎日通わせてあげる事が出来るので、本当に良かったです。
待機児童問題がまた話題になっていますが、0~2歳の受け皿は確かに増えてきてます。ただ、その分、新たに3歳児難民という言葉が出て来てる事、シングルや金銭的に余裕のない方々が入れない今の制度も見直して欲しいところです。
今回、二次募集での決定だったので、早速、明日が説明会と面談です。
娘はまだ微熱が続いてるので、面談だけ後日になりました。
母は既にドキドキです!!
寂しいのも、慣れるまで時間がかかるのも、娘より私な気がします

でも、新生活楽しみです
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。