
〔愛は惜しみなく与えるもの〕とトルストイは言いました。
惜しみなく与えても受け取ってもらえない場合は俗に言う唯の〔片想い〕です。
しかし、いくら与えても奪われるだけ奪われて見返りがない場合があります。
結果、与えるだけの者は疲弊し、自信を失い、精神的窮地に落ちいます。
これはコミニケーション障害を持ったパートナーを選んでしまった場合の帰結です。
コミニケーション障害も、よくある奇異型の場合は奇行が目立ち、割りに気づきやすく避けることも可能なのですが、
俗に言う仰業型の場合は奇異な行動も目立たず、言葉も丁寧で一見礼儀正しいため、なかなか気づくことが出来ません。
並外れたマイペースで頑固で融通が利かず、変化を嫌うのですが、その頑固さが清廉で実直に映るのです。
常に表情は硬く変化に乏しく、同じ言葉を繰り返し用い、機械的な会話に終始します。
そしてその無表情さがこちらの愛情不足によるものだと思い込み、心身をすり減らしてでも少しでも良くなるように並々ならぬ努力を強いることになるのです。
しかし、多くを犠牲にして多種多様な愛情表現をしたのにもかかわらず、与えたのに見返りのないことに疲れ果て、無気力となり、自らの従来の感覚すら疑い、成就できなかったことに自分を責めるまでにもいたるのです。
想像力が欠如していますので、相手の気持ちを思いやることができませんし、これをしたらどうなるかを考えることが出来ません。
他人に注意され例え泣いたとしても、注意されたこと自体に対して泣くだけで、内容を理解できませんので、直ぐに立ち直り、反省学習することはありません。
結果、多くの人に被害を与え、社会からも阻害されますが何が悪いのかを理解することが出来ないので繰り返すのです。
もし出会ってしまった場合やるべきことは唯一つ、決して興味を持ち理解しようとか、治してやろうなどとはせずに唯ひたすら避けることです。
元来の回路の問題ですのでけっして治ることはありません。
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