トルコ・アンタルヤ県デムレ ミュラ遺跡
ミュラ遺跡は、
デムレ川沿いの岩に刻まれた古代リキヤの岩窟墓群です。
デムレ川沿いの岩に刻まれた古代リキヤの岩窟墓群です。
リュキア時代とその後のローマ帝国時代に
リュキア地方にあった古代都市で、
リュキア地方にあった古代都市で、
現在のトルコのアンタルヤ県のデムレという
小さな町の近くにあります。
小さな町の近くにあります。
「ミュラのネクロポリス」
岩をくりぬいて作られた墓地はリュキア時代独特のものです。
垂直に切り立った大きな断崖の表面に墓穴をうがち、
その周りを神殿の正面のような装飾で刻んで作った墓が集積した
ネクロポリスがミュラ付近には二つあり、
それぞれ「川のネクロポリス」と「太陽のネクロポリス」と
呼ばれています。
その周りを神殿の正面のような装飾で刻んで作った墓が集積した
ネクロポリスがミュラ付近には二つあり、
それぞれ「川のネクロポリス」と「太陽のネクロポリス」と
呼ばれています。
「川のネクロポリス」は、劇場からデムレ川を1.5㎞ほど
遡ったところにあって、「ライオンの墓所」
または「彩色された墓所」と呼ばれているものです。
遡ったところにあって、「ライオンの墓所」
または「彩色された墓所」と呼ばれているものです。
今も残る構造物には、117年~138年の間ローマ皇帝だった
ハドリアヌスの治世に建てられた穀物庫があります。
その横からはアッキガイ科の貝の貝殻の山が見つかっており、
この地で貝紫色の染料の生産が行われていたことを示しています。
この地で貝紫色の染料の生産が行われていたことを示しています。
聖ニコラウスの教会は、オトガル(バスターミナル)から
徒歩10分ほどのところにあります。
徒歩10分ほどのところにあります。
この教会はサンタクロースとして有名な聖ニコラウスの聖堂で
6世紀に建てられました。
6世紀に建てられました。
現在残る建物は、8世紀から建築が始まったもので、
11世紀後半に修道院が追加されました。
11世紀後半に修道院が追加されました。
1963年に聖堂の東側と南側が発掘され、
1968年には聖人の墓所の跡地に屋根がかけられました。
聖堂には祭壇や、
床には彩色された大きめの大理石などを埋めて
絵や模様を描く一種のモザイク画のオプス・セクティレが
状態よく残っており、壁にはフレスコ画の跡も残っています。
1087年に不朽体はイタリアのバーリ出身の船乗りたちに
持ち去られ、現在はバーリの大聖堂に安置されています。
持ち去られ、現在はバーリの大聖堂に安置されています。
聖ニコラウスの遺骨を祀るため、
バーリには新しくサン・ニコラ教会が建てられ、
聖ニコラオスの巡礼はバーリに通うようになりました。
バーリには新しくサン・ニコラ教会が建てられ、
聖ニコラオスの巡礼はバーリに通うようになりました。
サン・ニコラは現在バーリの守護聖人となっています。
また100年ほど前に
この教会跡の考古学調査が行われた際に
遺骨の一部が残っているのが見つかり、
現在アンタルヤの考古学博物館に保管されています。
この教会跡の考古学調査が行われた際に
遺骨の一部が残っているのが見つかり、
現在アンタルヤの考古学博物館に保管されています。
2007年にはトルコ文化省が聖堂内部での聖体礼儀を許可し、
聖堂は現在も発掘と再建が進められています。
聖堂は現在も発掘と再建が進められています。
★ミュラ遺跡(デムレ)への行き方
東からだとアンタルヤから車で3時間、
西からだとカシュから1時間、値段は8リラ(約342円)
フェティエから3時間。
西からだとカシュから1時間、値段は8リラ(約342円)
フェティエから3時間。
これらの町からだいたい1時間おきにバスが走っています。
またシーズン・曜日によっては、
アンタルヤ、フェティエ、カルカン、カシュなどから
1日ツアーが出ているようです。
アンタルヤ、フェティエ、カルカン、カシュなどから
1日ツアーが出ているようです。
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一度は行ってみたい日本の絶景ポイント
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