令和8年2月10日(火)大正地区歴史散歩の会で称名寺と周辺の旧跡の歴史散歩が開催された。
地下鉄戸塚駅改札前に9時に集合、上大岡駅で京急の特急に乗り換え、金沢文庫駅に9時41分に到着した。駅前で恒例の朝会が行われ、この日の参加者は28名であった。2日前に降った雪❄️が僅かに残るが、暖かい太陽☀️が顔を出し絶好の散歩日和である。
金沢は中世、鎌倉幕府の執権北条氐の分家である金沢北条氏の拠点として、また、幕府の貿易の拠点としても栄え、称名寺や金沢文庫も作られた。
近世には風光明媚な景勝地として詩歌や浮世絵にも描かれ観光客も訪れるようになった。埋め立てによる新田開発も行われた。
近代には政府の高官の別荘となり、昭和に入ると都市化が進んだ。
徒歩10分ほどで、金沢文庫に到着。本日は特別展の「金沢文庫文書の歴史展」を鑑賞する。
まず、学芸員による説明があった。
昭和5年の開館以来の活動の一つに「金沢文庫文書」の調査、研究があるが、これら文書は金沢北条氐を始め鎌倉上位の武士や京都の高僧、称名寺の碩学の書状であり、当時の文化、政治、経済を知る貴重な資料として、内外から注目されてきた。以来、この文書は平成28年に国宝に指定された。これら文書の裏には称名寺の僧が練習した聖教などの筆跡があると言う。紙が貴重であったためらしい。
次に展示されている文書を鑑賞するが、国宝のため、写真に撮れないのが残念だが、確かに裏にお経のような文字が浮かんでいる。
次に称名寺境内を散策した。
真言律宗の寺院で金沢北条一門の菩提寺である。1258年北条実時の居館内に建てた持仏堂が起源とされる。実時は学問に造詣が深く、居館内に様々な蔵書を収めた「金沢文庫」を設置、貞顕の代には、七堂伽藍を備えた浄土曼荼羅に基づく伽藍を完成させた。鎌倉幕府滅亡後は称名寺も衰退した。
称名寺庭園の特徴と様式は中央に大きな池、池の真ん中の中之島に掛かる二つの朱塗りの橋である。橋を渡ると、金堂、釈迦堂、鐘楼が配置されている浄土式庭園である。
中之島で日向ぼっこしているカモ🦆たち
重要文の金堂、現在の建物は1681年に改築されたもの。右側は鐘楼。
県重要文、釈迦堂、茅葺き屋根の禅宗様の建物。
称名寺入口の赤門(総門)、1771年に創建、赤門の内側が「称名寺境内」として国の史跡となっている。
県重要文、仁王門。1818年に創建された。安置されている仁王像の体内墨書には1332年に仏師、院興作であると判明している。関東最大の金剛力士像で全長4メートル。
称名寺境内の塔頭である光明寺の表門。江戸時代五つの塔頭の一位であった。
称名寺塔頭の一つ、大宝院
北条氏が滅びた後、関東公方の祈願所となった。江戸時代は幕府の保護にあり、聖観音立像を安置していた。明治の廃仏毀釈で一時廃寺となる。
明治30年伊藤博文がここに金沢文庫閲覧所と書庫を作ったが、関東大震災で倒壊、廃寺となった。
称名寺境内を散策し終えると12時を過ぎていた。
金沢地区センターで会議室が予約してある。結構な道のりである。お腹もすいた。やっと到着、寒い🥶時期は屋内で昼食が取れるのはありがたい。
昼食後、瀬戸神社へ。源頼朝の創建である。頼朝は伊豆で挙兵にあたりご利益をえた三島大社の分霊をこの地に祀り信仰したという。道路の反対側には、妻、政子が創建した琵琶島弁財天がある。
全て回り終え、金沢八景駅前で2時解散となった。
駅近くにある、権現山公園の東照宮跡と円通寺の客殿を見にいかない?と、何人かに声を掛けたが、1人だけ行ってくれることに。
江戸時代後期、ここに東照宮があり、詣でる人をもてなした円通寺の客殿が残る。公園奥の小高い山の上に東照宮が建ち、円通寺はその別当寺だった。
明治政府の廃仏毀釈により、廃寺とされ、全て取り壊され、円通寺の客殿だけが残った。客殿は還俗した木村家の住宅として、5代にわたって住み続けられたが、平成9年横浜市認定歴史的建造物に認定された。
客殿の入り口。
奥座敷 上客の休憩場所で書院造り、違い棚、床の間があり、葵の御紋の釘隠しがある。
次の間として、正客と家人が対面する場所、ここにも葵の御紋の釘隠しが見られる。
中央の階段をジグザグに上ると展望デッキに、東照宮の遺構と呼ばれる地下遺構が確認されたそうだ。
デッキから見た旧円通寺客殿、八景の町が一望できる。
展望デッキに咲くウメとミツマタの花。
約1時間ほどゆっくり見学して京浜急行駅に。
権現山公園のエレベーター🛗は京浜急行駅やシーサイドライン金沢八景駅に通じていて、便利だった。
(了)














