5月の行事
2018年5月31日(木)
4月から5月にかけて大型連休であったが、4日・5日と長男が訪ねてきて呉れたので、どこにも外出しなかった。しかし、今月は2日(水)と22日(火)の2回、Kセンターでのグループ教誨とそれぞれ個人面談があり、また、18日(金)には県立がんセンターでの検診を受けに行った。血液検査の結果は数値が下がっていたので、このまま様子をみて、半年後に、また検診を受けに行けばよいとのことであった。
23日から24日にかけて年1回の教区総会が開催された。「議長報告」に関わる件で、開会冒頭から揉め、肉体的というより精神的にしんどい総会であった。
26日(土)に行われた恒例のギデオン牧師招待会には体調が少し良くなかったので、翌日の礼拝のことを考え、失礼した。
なお、27日(日)の午後には、県内のA教会の牧師就任式があったので、教会員2名と一緒に出席した。個々の教会の事情によって、牧師招聘に伴う問題はそれぞれ異なっているが、5月から7月にかけて、4月から新しく牧師を迎えた教会の就任式が行われる。新しい任地での夫々の牧師の働きと教会の上に、主の祝福が豊かにあることを祈る。
5月は、毎週の礼拝以外に、結構、色々な行事のあった月であった。が、大事なく無事過ごすことができて感謝であった。
同期会
2018年4月23日(月)
今日は地区の教師会と高校の卒業時の同期会開催が重なってしまい、どちらを選ぶべきか一寸迷ったが、同期会の方を選んで教師会は失礼した。
私は戦後、日本の学区制が6・3・3制に変わった時の新制中学校に一年生として入学した学年である。ちなみに、尋常小學校から国民學校に変わった年に国民學校に入学し、6年間、国民學校で学んだ唯一の学年である。国民學校になってからの教科書並びに教育は当時戦時下体制のもとにあって、國民皆兵を目指し、軍國主義の教育に徹したものてあった。
新制中学に入学した時も、3年後の新制高校に入学した時も、当時、文部省が発行する新制中学・新制高校の”教科書”は完全に整わず、新しく出来た中学校の専用校舎も無く、小学校の校舎の一部を借り、文部省発行の教科書が無い教科の授業は、担当教師が独自で選ぶか、または作成したもので間に合わせていた。新制高校の授業は、社会科の「民主主義上、下」の他は殆ど旧制中学の教科書を用いていたように思う。新制高校の文部省発行の教科書が完全に整うのは、私が高校3年になった時ではなかったかと記憶する。
私の学年の新制高校の卒業は1953(昭和28)年で、第8回卒業生となっている。この8回の中には定時制高校の卒業生の回数も含まれている。これには事情がある。
旧制中学は4学年で、卒業すると旧制高校か旧制専門学校、それに、高等師範学校、旧制大学の予科に進学可能であった。(戦前は、それに陸軍士官学校や海軍兵学校、軍関係のものがあったが、敗戦と共に無くなる。)
戦後、これらの学校はしばらく存続するが、やがて整備されて新制大学としてスタートすると、入学資格が新制高校卒業となった。
旧制中学の4年間に更に2年残って学べば新制高校卒となったが、ある時期、旧制中学卒業も可能であったようで、後に高卒の必要が生じ、定時制高校に編入学して、新制大学の入学資格を得たようである。この人たちの定時制高校の卒業が、全日制高校の卒業生回数のなかに含まれたものと思われる。県内有数の大学受験校であった。
さて、同期会であるが、私たちは高校卒業後65年経ち、誕生日を迎えると84歳になる学年である。6クラスあって卒業したのが288名。今年の3月1日現在で物故者90名、住所不明の者36名、残り162名、みんなが健在とは言えないまでも、その存命が確認されている人数である。
今回の同期会の案内は、県立高校であるので、現在、県内在住の者を中心に60名前後の者に”往復はがき”で出した由。幹事役の一人に事前に電話で聞いたことだが、出席の予想は30名前後とか。実際に出席した者は31名であった。
83,4歳になっても、このような集まりに出席できる者はそれなりに健康に恵まれ、それに、今まで生きて来た人生に対して、多かれ少なかれ自負しているように見受けられた。そして、これから先、90歳いや100歳までも、前向きで生きよう、という気概と心の若さを持っている面々であった。
私は、自分は、同期会の中では比較的若い方ではないかと内心思っていたが、ある意味ではショックで、大変刺激を受け、教えられた。
卒業8回生の同期会は、今回で最後にすることになったが、同級会や有志でゴルフを楽しんでいるグループが幾つかあって、それらは引き続き持たれるようだ。
11時30分、集合写真の撮影でもって始まった同期会は、会食前後に何人かの挨拶や報告、テーブルスピーチがあり、予定通りに午後1時45分、卒業以来、私にとっては最初で最後になるかも知れない校歌斉唱で幕を閉じた。
今日は”同期会”を選んで出席できたことを心から感謝して帰路についた。
教会定期総会
2018年4月22日(日)
今日は主日礼拝に続いて、私が現在招聘されて牧師をしている教会の年一度の定期総会が開催された。
前任教会とは違って会員数が少なく、このところ毎年一人ずつといっていい位に教会員を天に送っている。今、現住陪餐会員が7名である。内2名は不在会員並である。
以前、現住陪餐会員が11名であったころ、現在の会堂もなく,、三間と四間のプレハブの建物で礼拝を守っていた頃、礼拝出席数が年間平均11名であったことを思い出し、その頃の週報を出して見ると、週報の表紙に当時の礼拝出席者の集合写真が印刷されていて、今より賑やかであったことが懐かしく思い出される。
教団年鑑など見ると、10名前後の礼拝出席者の教会・伝道所がかなりの数である。私は未だ、壁に向って説教をした経験がない。比較的恵まれた牧師の歩みであったと思う。当教会のかっての牧師経験者から、壁に向って何度か説教をした礼拝があった旨、聞いたことがある。胸が痛み、疼く思いである。
教会は人数ではない、と言い、そう思いたいが、実際に一人が二人、二人が三人と増えて行けば良いが、年々必ず減っていく現実の中にいると、どうしても気が滅入って心が貧しくなることは否めない。
牧師がこれではいけないと、毎週、説教の準備をして、主日礼拝を迎え、講壇に立つ度に、自らを奮い立たせて、心を明るくして”み言”を語るように努めている。
時々、初めて礼拝に来られたと思われる方の姿を講壇から見て嬉しくなるが、いまのところ続いてこられない。私の語る説教に原因があるのか、礼拝(教会)の雰囲気によるのか、人数の少なさによるのか定かではない。
以前に比べて、私の日常生活の貧しさから説教に具体性を欠き、説教が単に言葉の上だけのものになっているのではないかと反省している。
昨年度は、礼拝出席者が年間平均7名であり、会計面は収支のバランスがとれて感謝であった。幼稚園(認定こども園)の先生方が礼拝に出席すると、人数が多くなるだけでなく、礼拝出席者の平均年齢がぐっと若くなり、全体の雰囲気が明るくなる。幼稚園の先生方の出席を期待し、先生たちが礼拝に出て良かったと思うような礼拝を心がけて行きたいと思う。
クリスマスの燭火讃美礼拝・祝会には20名の出席があり、その他、○○学院サンデーや特別な礼拝などは15名前後の出席があって感謝であった。
今年は私自身の生活をもっと前向きに、豊かなものにする努力をしたい思う。
研修会準備会
2018年4月18日(水)
本日の予定では、○○社会復帰促進センターの講話に行く日であったが、今年の6月に開催される管区内の研修大会の15回目の準備会が前回の準備会で次回は4月18日に開催予定と決まったので、私の講話は中止となる。私が準備会の方を欠席すれば講話に行くことができる旨伝えたところ、準備会に関係職員や刑務官が出席のためセンター内が普段より警備が手薄となり、グループ教誨のために被収容者を一室に集めることが困難であるとのことであった。
先月の4月21日(水)も私の当番であったが、この日は”祝日”であるということで、やはり同じような理由で休講であった。これで2か月続けて行かなかったことになる。その代わりと言う訳ではないだろうが、5月は2度、私の当番日が予定されている。
管区内の当県主催の研修会大会のための準備会が今回で15回目である。2年前から始めた準備会であるが、よくもまあ開いたものである。来月の5月7~9日は、予定されている研修会場で、本番さながらのプログラムに従ってリハーサルを行うことになっている。
本日の準備会も、午後1時に開始し、途中10分ぐらいの休憩をとったが、5時までびっしり時間がかかった。11の都県にある16の施設の教誨関係者350名を超える参加者による1泊2日の研修大会である故、当日は会場となるホテルの従業員の全面的な協力が得られるとはいえ、その準備のために大会事務局や各部門の責任者などは大変な気の使いようである。
私は、発題者の一人に選ばれているので、そのことに責任があり、雑務的な用事の責任から離れているので比較的助かっている。
召天記念日
2018年4月12日(木)
今日は連れ合いが亡くなってから丁度2年経ち、仏教では三回忌というところか。
3月12日に長男から、後一か月で2年ですね、というメールが届いていたが、実は昨日、長男のところへ「今日は12日ですね」とメールしたら、12日は明日だと指摘されてしまった。一昨日に所用で、実家のあった母教会に今度新しく赴任して来た牧師を訪ねて行った時から、10日を11日と思い込んでいたフシがあって、頭の中で1日ずれていたらしい。
2年前のことより、1年前に”記念会”をしたことなどが思い出されて、記念会で心のケジメを付けたつもりだったが、そうは行かず、この1年間、心の整理のために色々なことを試みて、かなり努力してきて、ようやく最近、2年前のことを思い出しても心の疼きを以前ほど感じないですむ自分になっていることに気づいている。
牧師をしていた関係上、何人かの老夫妻の一方の方に先立たれた際のことなどを身近に経験し、その葬儀なども引き受け、いろいろと考えさせられ、遺された者の寂しさ、喪失感や孤独感など、自分がその立場になったら、自分なりの対応が出来るのではないかと思っていた。
ところがである。それが、いざ自分の現実となってみて、これほど自分がそこから立ち上がることに情けないほど無力で、駄目な自分であることを知らされた。自分はもっと早く立ち上がることが出来るのではないかと自負していたきらいがある。
家族や連れ合いを亡くした人の経験が記された手元にある何冊かの本を何度も読み、その人なりの方法でしか立ち上がることは出来ないこと。そして、そのために掛かる時間も、人さまざまであることを知っていた。
長年生活を共にして来た連れ合いに先立たれた男性の独居老人の生活振りなどをテレビなどで知るにつけ、現在、80歳を過ぎた私の場合などは、かなり恵まれた健康と環境の中に置かれていることに、感謝をしなければならないと思う昨今である。
連れ合いの遺骨は写真と共に、家屋の一番奥の書斎の部屋に移し、書棚中央のところに置いてある。
4月1日
2018年4月1日(日)
今年は4月1日が丁度日曜日に当たり、しかも教会歴ではイースター(復活日・祭)である。これまでに、そして、これから4月1日がイースターである年は、インターネットで調べれば直ぐに分る便利な昨今であるが、新しい年度にあたり新しい決意をもって一年の歩みを始めるのには、良い機会である。
戦後(と言ったら、日本の国が世界第二次大戦で連合国軍に無条件降伏をした1945年8月15日以降のことであるが)間もなく、4月1日は”エプリルフール”として、お互いに一寸したウソを言い合って楽しんだものである。最近は以前ほど4月1日がエプリルフールの日として騒がない気がする。
政治家をはじめ、多くの社会の指導者たちが悪質なウソをつくのが当たり前の社会になってしまったので、エプリルフールの面白さが無くなってしまったのかも知れない。
4月1日の発言は、あれはエプリルフールの冗談だったと、後で取り消せすことができれば、気が樂になるが、そういう訳にはいくまい。
冗談はさておき、イースター礼拝の説教の聖書の箇所はマルコによる福音書16章1節から8節までであった。説教は7節の「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」の聖句を中心にして出来るだけマルコによる福音書固有のメッセージを語るように努める。
説教の中で、13年前の3月の最後の日曜日が27日で、その年はこの日がイースターに当たり、しかも前任教会での決別説教であったことに触れた。
テキストも今日と同じ聖書の箇所であった。「私にとって、復活のイエスに出会うガリラヤは4月から赴任する〇〇ではないかと思う。」と、決別説教の最後で語ったことを思い出し、今の私たちにとって、復活のイエスに出会うガリラヤは具体的にどこであるのであろうか?という言葉で今日の説教を結んだ。
頭の中では、今の私にとって、復活のイエスに出会う”ガリラヤ”は、母教会の現実ではないかとの思いが浮かぶ。
準備会
2018年3月28日(水)
今日の午後1時から5時まで、当市から高速を使って約1時間近くかかる県内のA市内に在る、住職が教誨師をしている寺院で、今年の6月に当県の教誨師会主催で開催される「管区内の教誨師研修大会」の準備会が開催された。
この研修大会は400名近い参加者で、毎年、管区内各県持ち回りの主催で開催されていて、11年に一度回って来る。各県とも2年ほど前からその準備を始めている。大会内容の準備もさることながら、問題はその大会に掛る費用の全額を、以前は主催する県の教誨師会が負担することになっていた。主催といっても、その枠が決められて、自由に企画できない。
経済的に豊かな宗派は、それほどでも無かったかも知れないが、懇親会の持ち方や費用負担の在り方は依然として慣例が踏襲され続け、最近、多少改良されて来ているようであるが、問題の多い大会である。
当県の教誨師会から今回抜本的な改革案を提出したが、管区の理事会で全て潰されたらしい。私は教誨師になってから30年以上経つので、今回は3度目である。最初の個人負担(責任)額は一人25万円であったと記憶している。ちなみに、今回は7万円の負担で済むようになった。
いずれにしても、今年の研修大会の中心にパネルデスカションを考え、その4人のパネラーの一人に私が選ばれているので、大会が終わるまで気の重いことである。研修の主題は「未来へ」、副題は「宗教教誨の使命をみつめて」である。次回準備会は4月18日(水)に予定されている。
診察?
2018年3月23日(金)
午後2時半過ぎ、リウマチと血圧の薬を処方して貰っている○○医院に、血圧の薬が今週の土曜日に切れるので薬を貰うためと、どちらかと言うと、先日採血したリウマチの検査結果を聞くのことの方が主な目的で出かけて行く。
ところが、左人差し指の腫れが原因で、未だに曲げるのに不自由なので、その旨言うと、原因はリウマチで、炎症が早く治るからと言って指の付け根に注射をして、その上シップのガーゼを当て、少し大げさに包帯をぐるぐる巻かれてしまった。そして痛み止めの薬を1週間分出すと言う。
まるで、指の治療に行った格好になり、診察室を出る(出される)間際になって、こちらから検査結果はどうなったのか聞くと、ひとこと、「心配ない」と言う。聞かなかったら言うつもりはなかった様子。どう心配ないのか更に聞くと、今回もプラス(+)1で、前から変わっていないと言う。
このところ指や顎の痛みを訴えていたから、リウマチが進んでいるのではないかと気遣って呉れていたのかも知れない。顎の痛みはどうかと聞かれたから、全然痛くないと答えて置く。
それにしても、終わって受付で料金を支払う段になって、請求書や明細書・処方箋をみると、リウマチと血圧の薬の分が抜けている。本日の来院の目的(いつも処方して貰っている薬が切れたことと血液の検査結果を聞きに来たこと)を受付でキチンと伝えた筈であった。その際、受け付けの人が「診察ですね」と言われたので、そうか、”診察””になるのか、と思ったが、一瞬、違和感を持ったことは確か。
とにかく、心配は入らないようなので安心した。今日、計って貰った血圧は下が70、上が118であった。
家庭訪問
2018年3月21日(水)
天気予報では、今日は西日本から関東南部にかけて”雪”である。しかし、当地は朝から曇っていたが、雪とは関係のない天候であった。それで、予定通りに実家のあったA市に朝早くから出かけることにした。A市まで高速道路を使って片道1時間半みなければならない。
午前一軒、午後一軒、 母教会関係者のお宅を訪問するのが目的であったが、午前伺ったお宅は私が高校生時代からの知り合いで、長い間のお付き合いをしているB兄で、私より六歳年上である。先日、この方から久しぶりに手紙を貰い、お元気の様子であったが、急にお会いしたくなったので、昨日電話をかけて、21日は祝日なので序でに出かけて行く用事があり、伺う旨、伝えておいた。
午後伺ったお宅はごく最近知り合った仲で、ご夫妻とも教会員で、二人とも70歳代だろうか。実は、この二人が先週の16日に私の家に訪ねて来てくれたのだが、その際、話し足らなかったので、今度は私の方から訪ねて行くことにした次第。
午後お伺いしたCご夫妻のお宅には夕方の6時近くまでお邪魔してしまったが、それぞれの訪問の目的は違っていたけど、思った時に、悪天候(?)の中、行って良かったと思う。
高速のA市のインターを降りた頃からポツポツ降り始めた雨がみぞれになり、B兄のお宅を失礼するころには雪になった。D県のA市までは大丈夫だろうと思っていたが、どうやら本降りである。
ところで今までに、車で出掛けて初めて訪ねて行くお宅は今回が初めてではないが、今回カーナビを使って訪ねて行って改めて驚く。
Cご夫妻宅の住所・電話番号は聞いている。知らない街ではないので住所を知っていれば、それだけで行けると思っていたが、雪で視界が悪くなり、だんだん心配になって途中車を止めてカーナビに行く先の住所を入れた。
これまでの経験では、目的地の近くになると、カーナビの誘導は終わってしまうものだが、今日はカーナビの誘導に従って住宅地の中をそろそろ走っていたら、Cご夫妻のお宅の前まで行くことが出来た。雪の降る中、助かったが、改めてカーナビの正確さに驚き、感謝した。
ちなみに、帰る時は小ぶりになり、途中、雪は止み、自宅付近の道路は日中、雨も雪も全く降った気配は見られなかった。
朝の8時半過ぎに家を出て、帰宅したのは午後7時45分頃であった。余り疲れを覚えず、ホットする。
卒園式
2018年3月17日(土)
今日は、矢板認定こども園(矢板幼稚園)第89回卒園式であった。昨日と異なり、好天気に恵まれた気持ちの良い卒園日和であった。
卒園児7名(男6名、女1名)と少なかったが、最初の卒園児から数えて今年で計2066名の卒園児を小学校に送り出したことになる。第1回の卒園児は10名。1933年生まれで、元気でいれば私より一つ上で85歳である。
私は、来賓席に座らされたが、式のプロブラムの中で教会からの聖書贈呈があり、私が教会を代表して卒園児に渡することになっているので、その際、まだ、単に来賓としてではなく、卒園児や保護者に向って話をする機会が与えられていることに気づく。
PTA主催の「感謝会」にも残り、准教職員並みに、卒園児保護者から感謝の記念品まで貰ってしまった。
式は10時に始まり、謝恩会が終わって家に戻ったのは午後3時を少し回っていた。
卒園児は7名であるが、保護者(全員両親が出席している)や家族、それに教職員を加えると総勢40名を超える結構な人数である。謝恩会の時、一人ひとりの挨拶で涙ぐんで言葉に詰まる先生もいて、別れの寂しさがちょっぴり残る最後であったが、心に残る有意義な時間を過ごすことが出来た。良い卒園式であった。
7名の卒園児のこれからの長い人生の上に、神のご加護が豊かにあらんことを心から祈る。、、
