北海道宗教者平和協議会(殿平善彦理事長※1)が主催し、激戦地沖縄で戦況が日本にとって劣勢となる中、身をひそめたガマ(自然洞窟)を中心に、戦争犠牲者となった日本兵や住民の遺骨収集にあたっておられる具志堅隆松氏をお迎えして開かれた講演会に行ってきました。

  テーマ

   戦争犠牲者の遺骨が語りかけること

 

  ※1 殿平氏は、浄土真宗本願寺派、北海道幌加内多度志にある一乗寺の住職。

    殿平氏は、太平洋戦争時代に実際あった囚人労働や、朝鮮半島から強制連行  された朝鮮人や、全国から集められた所謂タコ部屋労働者、また研究目的で墓

    から掘り起こされ、その後長年にわたり大学内に放置されている遺骨がある 

    ことを知り、遺骨の埋葬、慰霊、遺族への返還を進め、民衆史を進めてき

    た。  

    旧光顕寺の本堂を「笹の墓標記念館」として、主に雨竜ダム建設時の労働

    者等の遺骨を納骨している。

    彼らを慰霊する「笹の墓標記念館」は、戦時下の死者を弔う歴史的建造物

    であるが、古寺ゆえ豪雪に耐えられず2020年1月23日に倒壊した。

    (現在は、趣意書にて募金を募っている)

    今回は、「遺骨への尊厳」という共通点から、具志堅氏の講演会を開催する 

    こととなった。

 

    殿平善彦氏による主催者あいさつ

   北海道開拓に投入された労働力は、囚人労働と朝鮮半

  島から連行された朝鮮人による強制労働であった。しか   

  し彼らは、この過酷な土地で、朱鞠内ダム(雨竜ダム)

  建設にかかわったが、命を落とすもの達が多数おられ 

  た。

   死者は、その死を悼まれ、惜しまれ、弔われてこそ 

  初めて死者となる。戦争がもたらした「植民地主義」  

  による日本人の間違った歴史認識は、今またロシアーウ  

  クライナ間の紛争、台湾有事などの、新しい殺戮を生み

 出すことにもなっている。そしてこれからも行われようと

 している。

 本日上映するスピンオフ作品「沖縄再び戦場(いくさば

  へ)ダイジェスト版、三上智恵監督を通じて、遺骨の尊   

  厳を再考してほしい。

 

    映画上映(後半の25分部分) 

    来年公開予定

 

 

 

 

具志堅さん(ガマフヤー代表:沖縄の言葉では、ガマを掘る人の意味)は沖縄戦激戦地のガマ(壕)から遺骨を収集し始めて約40年。

沖縄では、戦争は終わっていると言われても、実態は違うのである。沖縄では、いたるところで遺骨が発掘されている。

遺骨のみならず、手榴弾や不発弾がいまも掘り起こされている。具志堅さんがボランティアとして関わった遺骨収集は、ホームレスの失業対策として行われた。この戦争では、軍人よりも、巻き込まれた住民の犠牲者がきわめて多かった。

欧米戦でよくみられる塹壕(上空からの攻撃をかわすもの)に当たるものは、タコつぼと呼ばれるものである。

ここの発掘では、実に様々なことが読み取られた。

タコつぼは、実に狭い空間である。戦況が悪化してきたせいであろうか、軍からの命令は降参したり、捕虜になったりせず、自ら自死せよ(天皇陛下のために命を捧げよ)というものであった。だから、手榴弾で自殺した跡がうかがえた。また、このタコつぼを利用して、仲間の手で死者を仮埋葬した跡もうかがえる。

毎日新聞4月28日の記事、「沖縄ー交差するまなざし」によると、具志堅さんは歯科材料の修理の仕事についていたため、歯の周囲や頭蓋骨の構造には詳しい。しかしこのボランティアのため、更に詳しく人骨について学んだとのこと。そして、手榴弾などを扱う「火薬類取扱保安責任者」「毒物劇物取扱責任者」などの資格も取得した。

40年掘り続けて得た教訓は、

遺骨は単なるモノではない、「物言わぬ証言者」として戦争の実相を感じさせる存在だと言う。

 

 

  

   遺骨収集の様子

 

   

    収集中の具志堅さん

 

首里を拠点とした日本軍は、軍民混在の状態で、南部摩部仁へ移動している。その際には、日本本土の決戦を遅らせるため牛島満司令官が、「残存する兵力と足腰の立つ島民とをもって、最後まで戦い続ける」と述べている。あくまでも住民を盾にすることに「ためらい」がなかったようだ。

 

映画の中にもあったが、1月に「魂魄の塔」前で開かれた「戦没者遺骨の尊厳を守る集会」で具志堅さんは「沖縄を、二度と戦場にさせてはならない」とマイクを握り訴えた。

戦争の遺物は、日本軍のものばかりではない。上陸した沖縄には、人力で越えられない高地があったという。その周辺からは、野球の球(靴下を丸めた物)や、ビール・コカコーラの空き瓶が出土している。

沖縄住民が命がけの時、米軍の兵士はこんなにも余裕があったのかと気付かせられるのだ。そういえば、辺野古応援に行った際、米軍兵は9時―5時の勤務だったとのこと聞かされた。(今も普天間や嘉手納の基地内でもそれは変わっていないのです)こんな格差のある戦争でした。

収集作業はホームレスの雇用対策でしたが、募集で参加した人達(55人)の中には、人生に絶望して沖縄に死に場所を求めてきた人達がいたことが、徐々にわかってきました。

しかし、戦争の実相に触れるうちに、遺骨の声なき声を聞くうちに、本当は生きて故郷に帰りたかった人たちではなかったのか?と考えるようになったとのこと。5銭玉や千人針をお守りに、多くの人たちの生きて帰ってきてほしいという願いを身にまっとて果てた人たち・・・・

死ぬことを考えていた人達も、生きることに前向きになったと言います。

 

そうした遺骨が混じっている土砂を、沖縄の人たちの民意を踏みにじった基地建設の埋め立てに使うことを「よし」とするなんて・・・・

今は、かつてのように「一切の戦争批判が出来なかった時代」ではない。こうした土地の土砂を採掘することは許されないのです。

会場前部のテーブル上には、遺骨を処理した残りの土砂が展示されていました。その中からも、極小の骨片が見られるとのこと。私には区別がつけられませんでした。そうしているうちにも、土砂の中の遺骨の劣化が進んでいるのだと言う。

遺骨が出ることがわかっていても、人々はそこで暮らしてきたのだ。沖縄人以外の人々は、それを野ざらしと批判したという。遅ればせながら、日本政府は遺骨調査団が沖縄に来て、住民に感謝状を贈ったという。

 

具志堅さんは言いました。沖縄戦では、多くの北海道人が犠牲になっているのだから、北海道人は、戦争に反対する権利があると!!

台湾有事などは作りだしたものであって、戦争を前提とした沖縄での自衛隊基地づくりなどには断固反対すべき。シェルターとか、住民避難とか、戦争を前提とした間違ったサインはいらない。

 

とはいってもこのような事態に巻き込まれている沖縄なのです。冒頭に紹介した北海道も、他にも先住民族アイヌ人骨放置問題があります。ウポポイ(民族強制象徴空間:白老町)の中にある国立アイヌ民族博物館に安置されている遺骨の一部が、この度返還されると言うニュースがありました。尊厳がないがしろにされてきたということが共通点でした。少しでも我が事として、沖縄の人たちと連携したいです。