中沢啓治作、日本の代表的漫画「はだしのゲン」は、作者自身の被爆体験をもとにした自伝的作品です。1973年から1983年に「週刊少年ジャンプ」に掲載、少年向け漫画雑誌には相応しくない内容とされたが、連載が始まると当初より話題を呼び、映画や、アニメ映画、TVドラマでも取り上げられた。私が初めてその漫画の単行本を目にしたのは、2009年に近所のコインランドリーでのことだった。この当時、入院中だった母が、感染経路は不明だが、疥癬症に罹患し自宅療養を余儀なくされた。

 本人の衣類、寝具はもちろんのこと、父と私のすべての衣類・寝具を毎日洗濯・消毒する必要があり、自宅の洗濯機では消毒・乾燥が追い付かず、約9kgの洗濯物を持ってコインランドリーを往復したのだった。私は、仕事を休み、約1カ月余り、洗濯と母の入浴介護に明け暮れた。(毎日ムトウハップのお風呂とお風呂洗い)

 コインランドリーで長時間過ごす間、文庫本を持ち込んでしのいだが、ある時、ランドリー備え付けのぼろぼろの「はだしのゲン」が目にとまり、一気に読んだ。たった一冊しかなかったのだったが、強烈な印象だった。ぜひ全巻読みたいと思ったが、自分の身勝手な理由からいまだに実現していない。実写の映画は1回見たことがある。

 2023年5月、朝日新聞の記事が目にとまった。

 広島市立小中高校で、平和教育教材として10年前から使われてきた「はだしのゲン」は、広島市教委によると、「被爆の実相に迫りにくい」との判断から削除され、別の教材に差し替えられたとのこと。(2023.2.18)

 広島市教委の「平和教育プログラム」2013年から平和統一教材「ひろしま平和ノート」が採用されてきたが、2019年からは、改定の必要性を感じその検証を進めてきたという。その際は、教員、大学教授、平和記念資料館職員らがその任に当たったという。

父母や一般市民たちは関わらなかったのかな?

 論点は、①被爆の実相を理解できている内容なのか ②学んだ事実から子供たちが自分の考えを発信していけるか ③子供の発達段階に即した内容なのか 等が検討されたという。思うに、大人たちがすべての事柄に関心が薄い中で、随分と子供たちに対する期待度は高いものだなと感じたのは私だけなのか?

 私はつくづく思う。このことは、広島や長崎で起こった厳然たる事実ー戦争によって原子爆弾が投下されたという事実に目をそむけたということに等しいことだと。しかしながら私は思う。そもそも平和教育などというものは、学校教育の場では成り立たないものなのだと。子供同士助け合うことや、仲良くすることすら難しい場なのだから。教科書による知識の詰め込みが精一杯なのだから。

 教育現場の人や文科省には失礼かもしれないけれど、これが偽らざる私の実感である。

 時代が変われば、確かに実相は伝わりにくいであろう。作者中沢氏の言葉「地獄なんて言う生易しいもんじゃない」「戦争だけはぜったいにしちゃあいかん」。ご自分の最晩年をこういう気持ちで過ごした人なのだ。<映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」には、氏の半生が刻まれた>

 そうだ!学校教育の枠から外れてよかったじゃないか。やっと自由に自分の考えが、平和への考えが語れるのだ!!

 どんな形であれ被爆を体験した方々が、家族や遺族にとっては厳然とした事実に背を向ける風潮は許しがたいことでしょう。「教材から削除」とのニュースが流れた後、全国の書店で、教材とはかかわりのない書店では単行本の売り上げが10倍に伸びたとのこと。子供たちを夢中にする「○○の刃」とか「○○ピース」(私はこの程度しか知らない)とかに比べたら、足元にも及ばないでしょう。電子版も売れ行き好調というから、まだまだ一般人の感性は捨てたもんじゃないなと思う。良心も廃れてはいないなとも・・・

 「はだしのゲン」は、今や野坂昭如の「火垂の墓」(1968年)、スベトラーナ・アレグシェーヴェッチの「戦争は女の顔をしていない」(1984年)と並ぶ、平和教育の重要な出版物だとのこと。いやいや、皆さんにもそれぞれ推薦したい本などあると思う。ラべリングはやめよう。(自戒の念を込めて)

 読書から遠ざかっていた私の、最後のチャンスかも・・・・・

 

                                              

   中沢啓治作:はだしのゲン      野坂昭如:火垂の墓

 

 

             

 

 

スベトラーナ・アレグシェーヴェッチ 戦争は女の顔をしていない