ニーナさんは、知る人ぞ知る、有名な方です。


ここからは、インターネットで検索した「ロシア料理ペチカ~店長紹介」の記載を参考にキャリアを紹介します。


1945年満州ハルピンにて出生。父は日本人、母はウクライナ系ロシア人。お年はmichiruより少し上でした。


微妙な言い方だね。チェブとカエル


14歳のお誕生日にプレゼントされたギターが病みつきとなり、その後フラメンコギターの名手高田鍵三氏に師事してギタリストとなる。22歳で弾き語りに転向。銀座のナイトクラブ等で活動していた。


1978年には、NHK(たぶんラジオ??)ロシア語講座に出演し、「今月の歌」
でうたい始め注目される。1982年にレコードデビューを果たす。1983年には、3枚目のレコードとして『百万本のバラ』をロシア語と日本語で歌い発売する。

これが、この楽曲の日本ではじめてのレコーディングであった。


その後『百万本のバラ』は、数十名の歌手によってレコーディング・発売されたが、親同士が親交のあった加藤登紀子さん の父親が、「うちの娘にも歌わせてほしい」と切望し、それが実現し、加藤登紀子さんによってより広く知られるようになった。


※この歌の背景となったグルジア出身の画家ピロスマニのエピソードは、michiruもブログで紹介していました。(2009年11月20日:画家が愛した女優マルガリータ


その後ニーナさんは家族を優先することに思い至り、所属事務所を離れ多彩な活動を展開した。


2005年長年のおもいを果たすべく、ピロスマニの祖国であるグルジアに遊学、帰国してからは北海道稚内市に活動拠点を移した。


ここでもロシア料理店を経営、引き続き弾き語りを続けた。ニーナさんは体調を崩した時期もあり、その後通院の利便性を考慮して札幌に転入した。


今は長男の弁慶さんと「ロシア料理&カフェ」を営んでいる。ここでも時には弾き語りでその魅惑的な声を披露している。


音譜 ギター 音譜 ギター 音譜



お料理を堪能した後、お店探索。サーチ


冒険家なのだ チェブとカエル 


michiruたちが座った席の後ろ側の壁にこの絵が・・・・・

ああ、見たことがあります。ピロスマニです。



    ピロスマニの絵


何かから切り抜いたとおっしゃっていました。


そして、もう一方の壁には、michiru の大好きな絵が・・・・・ドキドキドキドキ


楕円形の額縁の中の絵、クラムスコイの「見知らぬ女」(トレチャコフ美術館蔵)の顔の部分です。





私が持っている「19世紀ロシア絵画展」の図録の表紙には、この絵が採用されていました。


1990年7月28日から9月5日まで北海道立近代美術館にて開催

(残念ながら見てはいません。 しょぼん 古書店でこの図録を入手)




この貴婦人の表情には圧倒されます。当時の評価では、この人物を貴婦人と見る向きもあれば、むしろ、いやいや、これは純潔をかなぐり捨てて富を手にした囲われ女と見る向きが多かったといわれています。


お店探索はまだ続く。 サーチ  




ワイン棚




サモワール




マトリョーシカなど、ロシアの民芸品




母ニーナさんと息子の弁慶さん


弁慶って強~い人の名前だよ チェブとカエル


ニーナさんは手芸や洋裁などの手仕事も大好き!!

お店にはいっぱいの作品が並んでいました。昔の着物や帯をほぐしてステージ衣装も作っているんですって!!




インターネット画像より


素敵!!


後、布のお花とか、プラトークで作ったポンチョとか・・・・バッグとか・・・




上の画像の中の、右のチュニックを着ているステージ写真もインターネットにありました。


この後も、ピロスマニの話とか、赤ビーツを育てたことの話とか、この日の夕食は少し早かったけれど、トーク一杯のとても楽しいものでした。ニコニコ


YPA~  やったね チェブとカエル


あと私は、TWITTERはやらないのですが、ツイートで『いいね』をすると、来店時にワンドリンクのサービスがあるそうですよ。


皆さんもぜひ、まろやかなロシア料理を堪能してみては如何ですか?


(水曜日は定休日です。)