上京して間もないナムス19歳に、この日本で生き抜くためなら、暗に本籍は隠せと迫ってくる現実。僅かの時間の中でも突き上げてくる切ない思い、ニコヨンの世界で身の置き場に窮していた彼には、同世代の仲間がいない中に、ポツンと置かれた寂しさがあった。


彼が共感した春治17歳、アボジに刃を向け、救いのない生活の中でもがき足掻いている。どこか懐かしい光景だが、彼らは激しく自己否定をするのであった。



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 つい何ヶ月前飛び出してきた自分の家と目の前の拡がりがひとつの絵のように重なり合っている。・・・・・母にはわからないのだ。どうして子供が家を出て行くのか・・・・・父の 打擲(ちょうちゃく)から逃れていくのではない。・・・・・朝鮮人―父が感じさせる朝鮮人の家はナムスにとってじめじめと暗い底なし沼のように思われていた。


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死んじまえ、あっさり死んじまえ・・・・・重い幻聴の外側で、自分はなぜ生きているのだろうと自問自答してみる。勉強のためか?父とは違う朝鮮人になるためなのか?人間的価値の新しい創造のためなのか?



李恢成(1935~  )

1935年樺太真岡にて出生。両親は南朝鮮出身。1947年サハリンより引き揚げの際、朝鮮への帰還を計るが実現せず、、函館引揚者収容所、九州大村収容所を経て札幌に定着。1961年早稲田大学を卒業、卒論ではドストエフスキーを取り上げる。1963年から朝鮮語による創作を開始。1966年、勤務していた朝鮮新報社を退職、コピーライター等をしながら日本語創作に入る。

1969年「またふたたびの道」で群像新人文学賞受賞。1972年「砧を打つ女」で芥川賞受賞。この年ひそかに韓国を訪問、その後金大中政権下で韓国籍を取得したが、朝鮮籍を「準統一国籍」と考える作家金石範の批判を受け、紙上で論争を展開した。

代表作として「伽倻子のために」「見果てぬ夢」「私のサハリン」「北であれ南であれ、わが祖国」などがある。


   
      講談社文庫版