今日は飯伏幸太選手です!



飯伏 幸太(いぶし こうた、男性、1982年 5月21日 - )は、DDTプロレスリング 所属のプロレスラー鹿児島県 姶良市 出身。身長181cm、体重86kg。血液型O型。


人物

ファンタスティックに華麗なスピード技、バチバチファイトもこなすまさにノンスタイルイケメン プロレスラー。自由自在な空中殺法とルックスで人気上昇中。大の「どインディー」マニアで、まったく知られていない団体も知っていることがある。

非常に変わった性格の持ち主でDDTの公式パンフレットで連載している日記やリング上で独特の世界観を作り出しているが、俗にいう「キレた」状態になると見境が無くなる。

饒舌なタイプではなく、マイクパフォーマンスの際はカンニングペーパーを常用している。

以前からインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座の復活を望んでいて、当初は前王者だったTAKAみちのく は復活させないと発言していたが飯伏の大量の電話とメールなどによる説得に折れて復活させた。

中嶋勝彦 と並び次世代のプロレス界のホープとして、マスコミ・ファンからの注目度・期待は非常に高い。

インディー団体所属ながら実力を認められ新日本プロレスプロレスリング・ノア 等メジャー団体で活躍する一方、 ホームリングのDDTでは本屋やキャンプ場、居酒屋、大学構内などリング外での試合に熱意を燃やし好試合を連発している。

タッグ戦線ではケニー・オメガ とのタッグ「ゴールデンラヴァーズ」で団体内外で活躍。 活動期間がオメガの来日時に限られる故のブランクや言葉のハンデも感じさせない、息のあった連携を誇る。 2010年2月11日には対HARASHIMA・真霜拳號戦で勝利した後、IWGPジュニアタッグへの挑戦を表明した。

来歴

小学校を卒業した翌日に西日本プロレス を観戦、全試合終了後に強引に入団テストを受け、バク宙やムーンサルトプレス を披露して合格してしまった(結局「中学を卒業してから」と言われ、帰された)。さらに中学校卒業後に新日本プロレス の入団テストを受けようとしたが、親に止められたため断念。また、同時期に「校庭で友人たちと受身を取っていた」、「校庭でパワーボムなどのプロレス技をかけていた」、「練習場所として丸太やタイヤのチューブなどで海岸にリングを作った」などその手のエピソードには枚挙に暇がない。

高校(鹿児島県立加治木工業高等学校 )では試合で選手がフロント・スープレックス を出した映像を見てラグビー 部に入部、試合では敵の主要選手をジャーマン・スープレックス 等で破壊するのが役目だった[要出典 ]

プロレス入り前には新空手の大誠塾に所属し、2003年 7月21日の新空手道交流大会ではK-2トーナメント(中量級・15人参加)で優勝の経験もある(しかし翌日退団)。

プロレスラーとしての活動

2004年 7月1日、DDT後楽園ホール 大会でKUDO 相手にデビュー。2005年 9月23日にDDTのKO-Dタッグリーグ戦に先輩の柿本大地 とのタッグで優勝、わずか1か月後の10月23日後楽園大会でKO-Dタッグチャンピオンに催冠。DDTのみならず、ハッスルプロレスリング・エルドラド 、フーテン・プロモーションへも参戦している。

2005年 3月22日、フジテレビこたえてちょーだい! 」に視聴者からの相談として出演。自分がプロレスラーになったことを報告していない両親を試合へ招待した。試合は負けてしまったが、リング上で父親に向かい報告。父親からは「頑張ってくれ」と激励の言葉を貰い、握手を交わした。

2006年 2月4日にアンディ・オロゴン 戦でK-1 MAXデビューが予定されていたがアンディの負傷により試合自体が消滅。

2006年 11月14日に第1回GPWA興行に参戦した他、11月22日にはエルドラドでミラノコレクションA.T. とコンビを組む。

2007年 5月のディファカップではDDT代表としてHARASHIMA と組んで出場し準優勝。なお、ディファカップ初戦のビッグマウス・ラウド (BML)代表との対戦で飯伏が上段回し蹴りで原学 をKOした後も攻撃を続けたことからBMLとの間に遺恨が生じ、5月23日新木場 大会でBML臼田勝美 および原の襲撃を受けた。

5月26日、契約更改の場で参戦を希望していた学生プロレス にも初参戦。東京大学 の学園祭(五月祭)にて、東京大学プロレスリングBAKA道場所属の童 As Infini貞(現・DT-YUTAユニオンプロレス ))と対戦。「殺すぞ」との発言を咎められて、試合中に逮捕される一幕もあったものの、最後はジャーマン・スープレックス で3カウントを奪い、「学プロデビュー戦」を白星で飾った。

7月1日から15日にかけてプロレスリング・ノア で開催された、日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に、ノアの丸藤正道 とのイケメンタッグを結成して参加するも、最終戦でKENTA石森太二 組に敗れ、勝ち点6の2位に終わった。しかし試合内容は観客からその興行のベストバウトとも絶賛され、彼の実力がインディーはおろかメジャーマットでも十分通用することが証明された。

8月26日、ディファ有明 で行われたプロレスサミット in ARIAKEインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座 を獲得。また、12月31日には、プロレスサミット in KOURAKUENで高木三四郎 からアイアンマンヘビーメタル級王座 を奪取し、第735代王者となる。

2009年新日本プロレス 主催のベスト・オブ・ザ・スーパージュニア へ初参戦を果たした。獣神サンダー・ライガー に勝利するなど、リーグ戦を4勝2敗で終え、決勝トーナメントへ出場したがプリンス・デヴィット に敗れ、決勝進出はならなかった。この際ライガーから「グラウンドテクニックをもっと磨け」「今のままではただのサーカス」とその才能は認こそするものの、アドバイスの意味での苦言を呈されている。

7月12日から25日にかけて開催された、日テレ杯争奪ジュニアヘビータッグリーグ戦に、ノアの青木篤志 と組んで出場も、優勝決定戦で金丸義信鈴木鼓太郎 組に敗れ、またしても2位に終わった。

8月23日、DDT両国国技館 大会「両国ピーターパン ~大人になんてなれないよ~ 」のメインイベントにてHARASHIMA を破り、KO-D無差別級王座を獲得。

11月29日、DDT後楽園ホール大会にて石川修司 に破れKO-D無差別級王座から陥落。

12月には新日本プロレスのスーパーJカップ に参戦するも、初戦(対外道 )で敗れる。

2010年1月6日新日本プロレス 事務所を訪れスーパーJカップの雪辱を期すため社長に参戦を直訴した。(が、実は新日本プロレスはこの日から“正月休み”のため応対はたった一人だけ仕事をしていた管理部の社員が行ったが最後まで社長と思い込んでいた。)これを受け1月31日 にケニー・オメガと組んで邪道・外道組と対戦するが邪道の負傷によりレフリーストップとなる。

1月20日 契約更改にて「身体のメンテナンス」のため2月11日 以降は現時点でオファーのある試合以外を欠場することを要求し、高木三四郎 の「いいよ」の一言で4月4日まで欠場することが決定。(オファーされていたのは3月6・7日のKOEI 主催戦国武将祭りが最後)

2月11日 ケニー・オメガと組んでHARASHIMA・真霜拳號組と対戦。試合後のマイクパフォーマンスで復帰後にIWGPジュニアタッグ王座 へ挑戦したいと表明した。

タイトル歴

  • CMLL認定KO-Dタッグ…第21代(パートナーは柿本大地 )、第28代(パートナーはケニー・オメガ
  • インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級…第7代
  • IMGP世界ヘビー級…第4代
  • アイアンマンヘビーメタル級…第735代、第737代、第826代
  • KO-D無差別級…第29代

得意技

打撃技

各種キック
空手出身者らしくキレのある本格的な蹴りを繰り出す。
ロー、ミドル、ハイの他に片膝状態や、尻餅状態の相手に繰り出すバズソー・キックも多用。
ダッシュ・ミドル
その名の通り走り込んでのミドルキック。レッグラリアットのように自身の身体を流しながら、相手の胸を打ち据える。
オーバーヘッド・キック
バック宙 をしながら相手の延髄や側頭部を蹴り込む。形としては片足で蹴る川田利明 のものや、新崎人生 の輪廻ではなく、初代タイガーマスク武藤敬司 の得意とするそれに近い。
ストレート掌打
飯伏がいわゆる「キレた」状態になると頻繁に繰り出す技の一つ。

投げ技

ジャーマン・スープレックス
ノーモーション・ジャーマンと形容される、しなやかなブリッジで繰り出す高速式。非常に綺麗な形で投げる。この技で勝利することもある。
ハーフネルソン・スープレックス・ホールド
左腕を負傷してドラゴン・スープレックス・ホールド ができない間に体得。こちらも上記と同じくノーモーションと形容される投げ方が特徴的。
タイガー・スープレックス'85
フェニックス・プレックス・ホールド
パワーボムの体制で持ち上げたところで、相手の首を抱え込み後方に反り投げ、そのままブリッジを効かせてフォールに持ち込む技。中学生時代のプロレスごっこ時には既に開発していた技とのことだが、2009年両国大会のHARASHIMA戦にて初公開。
技名は大会後にケニー・オメガ が命名。

関節技

アンクルホールド
グラウンドが苦手、弱点と言われたそのイメージを払拭するべく使用し始めた。

飛び技

フェニックス・スプラッシュ
ハヤブサ以来随一の使い手であり、自動販売機の上から繰り出したこともある。
フェニックス式ローリングセントーン(仮名)
2005年の年末に行われたインディーサミットで披露。フェニックス・スプラッシュから更に180度回転してセントーンを行う。
後から正式名称を募集するとしていたが、結局2006年11月現在でも付けられた形跡は無い。
ゴールデンスタープレス
スプリングボード式のフェニックス・スプラッシュ。
2005年に行われたディファカップで披露。ただしその時は失敗してやや変形したフェニックススプラッシュになってしまった。
2007年のマッスル ハウス3でゴージャス松野 を相手に披露、技名は「ゴールデンスタープレス2007」とコールされた。
ムーンサルトプレス
小学生の時から出来たという飯伏のムーンサルトは、両足がピンと伸び、しっかりと足が揃う。
ムーンサルト・ムーンサルト
ムーンサルトプレスに対し、相手が後ろに転がって回避された際に、足から着地しその場から再びムーンサルトをする技。都合2回ムーンサルトをするのでこのように呼ばれる。
ラ・ケブラーダ
バミューダ・トライアングル
ラ・ケブラーダの派生技で対角線上を走り込み、コーナーを登って三角飛びの要領で場外にいる相手にムーンサルト・アタックを仕掛ける。
その場飛び式シューティング・スタープレス
仰向けにダウンしている相手に助走をつけて走り込み、後方360°回転してのボディ・プレス。サムライTV実況の村田晴郎 はグラウンディング・シューティングスターと命名。
ここからヘッドスプリングで起き上がりコーナーに登ってムーンサルト・ムーンサルトを仕掛けることが多い。
タッグマッチではケニー・オメガ と同時に繰り出すこともある。
その場飛び式カンクーン・トルネード
尻餅状態の相手に放った蹴りを、相手が後ろに倒れて回避した際に放つ、相手に背を向けたまま切りもみ式に横回転を行ってのボディ・プレス。

合体技

ゴールデン・シャワー
ケニー・オメガ との合体技。二人とも同じコーナーに上り、二人同時にファイヤーバードスプラッシュ を行う。
PKこころ
ケニー・オメガ との合体技。二人による合体パイルドライバー。
リング上で行うα、サードロープから行うβ、セカンドロープから行うγ、トップロープから行うΩの4種類がある。
命名の由来はMOTHERシリーズ の必殺技「PK~」(MOTHERシリーズのPSI体系 を参照)。
技をかける二人の態勢がハート型に見えること、また、互いを愛する心を表すためとして ケニー・オメガ が名付けた。
クロススラッシュ
ケニー・オメガ との合体技。二人による対角線に走り込んでの同時ケブラーダ。名前の由来はゲームの技。

名前のついている技以外にも連携ムーブは数多い。 ヘッドスプリングによる攻撃回避、ドロップキック、ストップ!エンズイギリなど、二人同時に繰り出す技は息が合い相似形のようで非常に美しい。

入場テーマ曲

今日はKAI選手です(^∇^)


KAI(かい、男性、1983年 5月20日 - )は、日本プロレスラー神奈川県 横浜市 出身。身長177cm、体重87kg。血液型B型。横浜市立桜丘高等学校 卒業。全日本プロレス 所属。

端整な顔立ちとバランスの取れた綺麗な肉体、高いプロレスセンスはファン、関係者共に非常に評価が高く、会社の期待も大きい。


経歴


中学時代は野球部に所属。練習はかなりキツく毎朝6時から10km走らされたり、台風の中でスライディングの練習をしたこともあるというが、この時培われた基礎体力が後に役立ったと語っている。

元々プロレスに対してさほど興味は無かったが、高校1年生の時に新聞の懸賞で新日本プロレス東京ドーム 大会のチケットが当たって観戦したことからプロレスにどっぷりハマることとなった。またこの時のメインは後の全日本プロレス社長の武藤敬司 が務めていた。

それからというもの学校に行けば朝から週刊プロレス週刊ゴング週刊ファイト内外タイムス を読みあさり、バイト代は全て週末のプロレス観戦費用につぎ込むようになる。 この時からプロレスラーになることを夢見るようになり高校2年で柔道 部に入部(同部の先輩には石塚英彦 がいる)。入部初日に「プロレスラーになるために来ました。宜しくお願いします」と挨拶し、高校3年になって他の部員が引退して受験勉強に励む中、一人トレーニング場で筋トレに励んだ。

当時は日本のプロレスよりもWWE など海外のプロレスに興味を持っておりWWE入団を夢見ていた。しかし、知り合いの誘いで海外インディー団体を観戦するため渡米するがその団体のレベルの低さに愕然とし、やはり日本のプロレスの方がレベルが高いということで日本の団体でプロレスラーになることを志す。

高校卒業後、新日本プロレス の入門テストを受けるが若過ぎたことと身長が低かったことで失格。ちなみにその時彼を落としたのは永田裕志 。そして同じく試験を受けていたのは中邑真輔後藤洋央紀 だったという。

知り合いの勧めで入門したアニマル浜口ジム に約3年半通い体を鍛え、2006年 に行われた『武藤塾 』の新人オーディションに合格し入門する。同期にはT28 がいる。

練習生時代は武藤敬司 に師事し付き人を務めていた。

メキシコでの活躍~凱旋帰国

2007年 2月に、同期入門の三原弘嗣(YAMATO、現在の大和ヒロシ )と共にメキシコ 修行に出る。2月22日、IWRGにてKAIのリングネームでアレナ・ナウカルパンにてロス・トラウマス1号2号相手に3本勝負形式でプロレスデビューし見事勝利を飾る。

6月3日、YAMATO、元SUPER CREWのSASAKIと組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも破れる。

2008年2月17日の後楽園大会で日本デビュー戦を行い、同期の真田&T28から勝利を奪った(パートナーは大和ヒロシ)。

その後、大和とのタッグでジュニア・タッグリーグ戦に出場。若手ながらも奮闘し、土方隆司中嶋勝彦 組、NOSAWA論外MAZADA 組から大金星をあげる。

4月20日、同期であり同門でもあるT28 とのシングルマッチが実現。試合ではKAIがスプラッシュブランチャで勝利した。意外にも、シングルマッチはこの試合がレスラー人生初で、デビューから1年以上経っている選手にしては珍しいことである。

5月5日、韓国・ソウルでの新韓国プロレスNKPWA世界チャンピオン決定戦に、真田聖也 とのタッグでの出場が決定した。

若手から全日ジュニアのホープへ

6月10日、武藤祭にて土方隆司、カズ・ハヤシ を相手に3WAYマッチが決定。そして試合当日、なんと世界ジュニア王者の土方から必殺のスプラッシュ・プランチャでフォール勝ちを奪うという大金星を納め会場から大歓声を受ける。対戦相手の1人であるカズに「スゲー化け物が出てきたなって感じですね。」と言わしめた。

6月28日、シリーズ最終戦では開幕戦でタッグマッチながら敗れていたT28からスプラッシュプランチャでリベンジ。そして土方隆司、エル・サムライ の世界ジュニア王座戦終了後にジュニアの面々がリングに集合。カズのマイクを横取りして挑発し次期シリーズのジュニア・ヘビー級リーグ戦 に向けてアピールした。

ジュニアリーグ最終戦でMAZADA を撃破。決勝に上がってきた元世界ジュニア王者のシルバー・キング も変型みちのくドライバーII で下し、1日2戦の激闘を潜り抜け優勝を果たした。デビューから1年5か月での快挙であり、若手ジュニアの中でも頭一つ飛び抜けた。

そして更に8月31日、両国国技館 で世界ジュニア王者の土方隆司への挑戦が決定。デビューして1年6か月での世界ジュニア王座挑戦は世界ジュニア史上最速での挑戦である。

8月22日、後楽園での小島聡TARU 戦終了後、VOODOO-MURDERS にリンチされていた小島を天山広吉 、大和と共に救出。小島、大和と新ユニット「F4 」を結成し活動して行くことを宣言した。

8月31日の国技館大会で、土方隆司との世界ジュニア王座戦に挑んだ。期待は高かったが初挑戦・初戴冠はならなかった。

10月13日、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・H と激突したが、惜しくも敗れる。11月3日、両国でF4のメンバーと組んで新日本プロレスの天山、そしてIWGP・ジュニアタッグ王者の内藤哲也裕次郎 と対戦。

2008年末のプロレス大賞 新人賞部門にノミネートされ、最終選考まで残るが惜しくも受賞を逃した。

2009年新春シャイニングシリーズで小島と組んで復活したアジアタッグトーナメントに出場。1回戦は通過したものの準決勝で破れ、自身初となるベルト獲得はならなかった。

2月6日、鈴木みのるMAZADA 組との対戦後、また小島と組んでアジアタッグに挑戦することが決定。結果はみのるの逆落としからのスリーパーという必殺フルコースで敗北。

5月15日に行われた腐男塾 とのコラボ大会「腐ァイティングライブ 2009 勝つんだ!」では第1試合で「阿修羅像」をモチーフにしたコスチュームでブードゥーマスクと対戦し勝利。試合後は四方に向かって4人で阿修羅像のポーズを決めた。

2009年度のジュニア・ヘビー級リーグ戦では開幕戦で世界ジュニア王者のカズに勝利し前大会優勝者としての意地を見せる。そのまま勢いに乗ってAブロック1位に躍り出るも、優勝決定トーナメント1回戦でBブロック2位の近藤修司に破れ優勝を逃した。

8月30日、両国大会ではF4の一員としてプロレスリング・ノア小橋建太菊地毅伊藤旭彦 と6人タッグで激突。試合後小橋はインタビューでF4の若手2人について「粋がいいね、伸びるよ」と語った。

得意技

スプラッシュプランチャ
現在のフィニッシャーでいわゆるフロッグスプラッシュ。日本デビュー戦でこの技を初披露し見事フォール勝ちを納めた。
LAT
変型みちのくドライバーIIジュニア・ヘビー級リーグ戦 の決勝戦で披露。相手のシルバー・キングを下し、リーグ戦を制覇することになった。名前の由来は、メキシコにある歴史的建造物からとっている、との説がある。
KAIクラッチ
いわゆるオクラホマロール。カズ越えを果たした技でもある。
BTバスター
相手の背中に両膝を押し当ててから後ろに倒れこみ背中に衝撃を与える変形のバックブリーカー。WWEのカリート の得意技でもある。
ダブルアーム式パイルドライバー
ジュニア・ヘビー級リーグ戦でのエル・サムライ 戦にて披露。
トラース・キック
その場飛びムーンサルトプレス

獲得タイトル歴

入場曲

  • BANG BANG SHOOT / 松本晃彦

人物

  • 自称プロレスマニア。単に勝ち負けだけの総合格闘技やK-1には全く興味が無いらしく「生涯一プロレスラー」と宣言している。
  • 他団体のレスラーからの評価も高く、DDT社長の高木三四郎 は「KAI選手はすごく良い」と絶賛している。
  • アニマル浜口ジム出身だけあってリングを降りると非常に礼儀正しい好青年であると伝えられている。同門にはT28がいるが先輩には新日本プロレスの内藤哲也やDRAGON GATE鷹木信悟 がおり、特に鷹木とは仲が良かったという。
  • 元々は黒い髪に黒いコスチュームが彼のトレードマークであったが、F4に所属してから大幅なイメチェンを施している。2008年10月後楽園では、鮮やかなオレンジ色に髪の毛を染毛。染毛したのは有名なカリスマ美容師で、このことは週刊プロレス でカラーの2ページで取り上げられた。
  • T28 がメキシコ修行に行った後の全日本道場の寮長を務めている。

今日は大和ヒロシ選手ですヾ(@°▽°@)ノ



大和 ヒロシ(やまと ヒロシ、男性、1983年 10月20日 - )は、日本プロレスラー である。千葉県 君津市 出身。東京農業大学 卒業。身長178cm、体重82kg。全日本プロレス 所属。イメージカラーは黄色。


経歴


中学時代はバスケットボールサッカー に励み、高校から大学まではレスリング 部で活躍する。2006年 に行われた『武藤塾 』の新人オーディションに合格し入門。またこの時の自己アピールでは、得意のモノマネで滝口順平いっこく堂 の真似をし、審査員を笑わした。

2007年 2月に、同期入門のKAI と共にメキシコ 修行に出る。2月22日に、IWRGにてYAMATOのリングネームでデビュー。KAIとのタッグで見事に初試合で初勝利を挙げている。ちなみに本人は試合中に記憶が飛び、気づくと控え室にいてKAIから試合が終わったという事実を聞いたという。

6月3日 、KAI、元SUPER CREWのSASAKIと組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも破れる。

7月26日 メキシコシティ にて、30人で争ったREY DEL RING王座を奪取。デビュー5か月で早くも初タイトルを獲得した。

現地時間の8月5日 初の王座防衛に成功した。

2008年 2月17日 の後楽園大会で『大和ヒロシ』のリングネームで日本デビュー戦を行い、同期の真田&T28から勝利を奪った(パートナーはKAI)

その後、KAIとのタッグでジュニア・タッグリーグ戦 に出場。 若手ながらも奮闘し、土方隆司中嶋勝彦 組、NOSAWA論外MAZADA 組から大金星をあげる。

5月シリーズから怪我のため欠場している。

7月20日 の後楽園ホールにて、真田聖也 と組み、土方隆司征矢学 と復帰戦を行った。結果は土方に負け、「3か月は埋められなかった」と発言し、ジュニア・ヘビー級リーグ戦 へエントリーされなかった悔しさを露にした。そして、「またイチからやりなおしたい」と語った。

F4の大和ヒロシ

8月22日 、後楽園での小島聡TARU 戦終了後、VOODOO-MURDERS にリンチされていた小島を天山広吉 、KAIと共に救出。小島、KAIと新ユニット「F4 」を結成し活動して行く事を宣言した。

また、10月13日、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・H と対戦するが惜しくも敗れる。

11月3日 、F4として天山、NO LIMITと対戦。結果は負けてしまうも対戦相手を何度も苦しめるなど、キャリアの差を感じさせない攻防を見せた。

その後もF4の一員として奮闘している。

2009年11月23日、カズ・ハヤシ近藤修司 とのタッグマッチに相棒のKAIと組んで挑む。結果は、グラウンドコブラツイストでカズ・ハヤシからピンフォール勝ち。最強タッグ最中でジュニアヘビーの選手にはテーマが無いと思われた中、先の神戸大会でぶちあげた世代交代の波にいち早く乗りつけた。しかしその後は勝利に恵まれず、結果世界ジュニアの挑戦権を渕正信 に奪われてしまう形をなってしまった。

それから大幅な肉体改造に着手。努力の甲斐あって12kgの減量に成功し「バキバキ」ボディを手に入れた。

2010年、新春シャイニングシリーズ2日目のジュニアヘビー級バトルロイヤルで優勝。試合後世界ジュニア王座挑戦を表明すると、これをカズが承諾。最終戦での王座挑戦が決まった。

得意技

ゼロ戦キック
本人曰く、自分のこの技は新型のゼロ戦らしく、プロレスリングNOAH菊池毅 との対戦の際、「新型が旧型を撃ち落す」と宣言した。
クロスアーム・スープレックス・ホールド
ジャーマン・スープレックス
歳三からピンフォールを取るなど、多くのフィニッシュはこの技。
ノーザンライト・スープレックス
丸め込み
カズ・ハヤシ から直接フォールを奪った技。
ジャイアントスイング
使用の体勢に入り、「回すぞー!」と叫んでから回すのが通例となっている。体重が明らかに重い相手に対しては、体がうまく持ち上がらないが、そのまま相手の後頭部をマットに擦りながら回す事によりダメージを与えることに成功している。

獲得王座

  • REY DEL RING王座(1回/初代)
  • 2010年ジュニアヘビー級バトルロイヤル優勝

人物

  • 雑誌のインタビューによると中学時代は夜中に学校に忍び込んでガラスを割ったり、授業中に騒いだりと所謂問題児で、中2になると部活も辞めて登校拒否をしていた。
  • メキシコでは面白いキャラとして人気があった。
  • 特技はモノマネ で、レパートリーは50を超えるという。
  • カラオケ好きと言っている。しかしながらその選曲は20代前半のそれとは全く異なり、20年以上も前のあまりヒットしていないような楽曲が多い。
  • 普段はKAIとのお笑いコンビのようにおとぼけたキャラだが、ジュニア・タッグリーグ戦では、1年間メキシコでやってきたことが通用しなかった事から自分の力不足を痛感した。この時はいつものキャラが無くなり、真面目にトップを目指すことを決意している。
  • メキシコ遠征中、マスカラ・コントラ・カベジュラ戦で敗北し、丸坊主になったことがある。
  • 2008年 GROWIN'UP SERIESより、試合前のメインMCを努めることになった。デビュー以前から喋りには定評があり、雷陣明 がMCの時には雷陣が口パク をして大和がそのナレーションを担当していた。
  • 自身のブログでは当初、日常生活についてあまり書かず「弘千代詩集」というタイトルで自身が作った詩を公開していた。またブログにて若くして引退した健介オフィスの山口竜志 に向けて詩を送った。
  • 「3級販売士」の資格を持っている。
  • 高校3年の時に測量士補の資格を取っている。
  • 酔うとたまに号泣するらしい。

入場曲

  • HABATAKE! / GANGA ZUMBA
  • いいあんべえ / THE BOOM (旧テーマ曲)

今日紹介するのは、


自分が一番好きなプロレスラー、


中嶋勝彦さんです!!



中嶋 勝彦(なかじま かつひこ、1988年 3月11日 - )は、日本 の男性プロレスラー健介office 所属。福岡県 福岡市 出身、愛知県 江南市 育ち。


来歴

5歳から母子家庭で育った。小学校3年生より璞名館空手 を始め、中学生の頃に高校生クラスの大会で優勝。この頃前田日明 の目に留まり、卒業後のリングス 入団を約束されるが、それを待たずにリングスは解散してしまう。

2002年 12月、長州力 率いるWJプロレス にスカウトされ入団。親孝行したいというのが入団の動機であった。2003年 9月、WJ主催の総合格闘技 興行X-1 でプロデビューを飾り、金網バーリトゥード 戦でジェイソン・"ゴールデンボーイ"・レイ に勝利する。2004年 1月、後楽園ホール石井智宏 戦でプロレス デビュー。このとき15歳9か月であり、男子では史上最年少デビューのプロレスラーとなった。

2004年3月、WJ崩壊に伴い、退団。母子家庭の中嶋にとって、WJに「保険制度(保険会社の保険を指すのかプロレス興行会社としての負傷欠場中の保険=生活補償金を指すのかは不明)」が無いことが退団原因の1つであった。一旦は実家に帰ったが、元WJの佐々木健介に弟子入りした。

2004年 4月より健介office に所属。以後は健介ファミリーの「息子」というギミック を得て、佐々木の付き人をこなしつつ、各団体へも参戦した。試合を重ねるにつれ個人の評価も上がり、単独参戦も増加。なお、当時中嶋が上がるリングは「必ず保険を団体もしくは主催興行会社が掛けてくれること」を最低条件として北斗晶 が交渉した。

2004年 6月19日みちのくプロレス 札幌 大会に参戦、プロレスのキャリア半年でザ・グレート・サスケ を破り、シングルマッチ初勝利を飾る。

2005年 3月、DRAGON GATE に佐々木と共に参戦。同年12月、健介officeの法人化に伴い正式に健介officeに入団し、道場長に就任。健介ファミリーを名乗り始めた頃は、3か月の期間限定の所属で、自分の所属団体を見つけてファミリーから巣立つ構想であったが、結局は健介ファミリーが自分の居場所であるという考えに至って、佐々木・北斗らと活動することとなった。

その間に初代タイガーマスク とのシングル、テリー・ファンクミル・マスカラス ともタッグで対戦。2006年2月11日、健介officeの自主興行・佐々木健介デビュー20周年記念興行で天龍源一郎 と組み、佐々木・小橋建太 組とタッグマッチで対戦した。2004年度のプロレス大賞 ・新人賞、2005年度は敢闘賞を受賞した。

普段は、年相応のシャイな好青年であり、佐々木家の子供たちからも「かつにい」と慕われるが、リング上では負けん気が強く、喜怒哀楽を表すファイトぶりを見せる。TARU からVOODOO-MURDERS へも勧誘されたことがある。

2007年 2月11日 、健介オフィス旗揚げ興行で佐々木とシングル初対決。2007年 2月17日近藤修司 を破り、世界ジュニアヘビー級王座 を奪取。18歳11か月での獲得は同王座最年少記録となった。2008年 3月1日シルバー・キング に敗北し世界Jr.王者から陥落した。

2006年に定時制高校 に入学した[1]

2009年 2月11日 、GHCジュニアヘビー級選手権でKENTA を下し、第17代GHCジュニアヘビー級王者となった。

2009年3月1日 、下したばかりのKENTAとGHCジュニア初防衛戦。KENTAにリベンジを達成され、わずか1月足らずと言う短い期間で王座陥落となった。

得意技

空手の腕前を生かした各種キックが得意技である。

高角度ジャーマン・スープレックス・ホールド
クラッチ位置を2段階に変え、非常に滞空時間が長い急角度ジャーマン。
ハイキック
片足を振り上げ、すね 辺りで相手の頭部などの上半身を蹴りつけるキック
R-15(アール・ジュウゴ)
頭部へのジャンピング・ニール・キック 。技名は「ローリング・フィフティーン」の略。コーナーポストに乗っている相手にも仕掛けることがある。この技でザ・グレート・サスケは首を負傷してしまい、しばらく休場することになった。
デスロール
相手の後頭部へのR-15。
雷(いかずち)
下段蹴りのフェイントから一気に足を跳ね上げ、上から下へ蹴りを叩き込む。主にかがんでいる相手の背中から延髄の辺りに打ち込む。
蜃気楼
左ハイキックのフェイントから転じての、右ハイキック。
クロスアーム・スープレックス・ホールド
相手の腕を、相手の腹部の前で交差させた状態で胴を両腕でクラッチして投げるジャーマン・スープレックス。
トルネード・ジャーマン・スープレックス・ホールド
相手の片足を曲げさせて、その腿辺りを抱える胴と一緒に両腕で抱え込んで投げるジャーマン・スープレックス。片足を抱えていることにより、更に高角度に投げることが出来る。"brother"YASSHI との世界ジュニアヘビー級選手権試合 で使用し、勝利を奪った。佐々木の「トルネードボム」にヒントを得たと言う。
三角蹴り
健介Office旗揚げ戦から使用。コーナーポストへ瞬時に駆け上がって、相手の胸板に飛び蹴りをする。
ノーザンライト・ボム
佐々木健介北斗晶 の得意技。佐々木健介デビュー20周年記念興行と近藤とのジュニアヘビー級王座戦で使用。
アンクルホールド
スタンディング式で極めて膝十字に移行する。ジャーマン、デスロールに次ぐフィニッシュ・ホールド。
鬼嫁殺しシリーズ
佐々木との合体技 。打撃や投げなど数種類ある。
鬼嫁殺し1…走りこんだ中嶋を風車式バックブリーカーの要領で健介が持ち上げ、その勢いのまま中嶋が浴びせ蹴りを脳天に叩き込む。
鬼嫁殺し2…佐々木がトルネードボムで相手を担ぎ上げたところへ中嶋がR-15を打ち込み、同時に佐々木も相手をマットへ叩き付ける。
鬼嫁殺し3…中嶋がジャーマン・スープレックスで相手を持ち上げようとするところを、健介が更に中嶋を持ち上げ、相手を2人分の高さから投げ捨てる。

タイトル履歴

NOAH
全日本プロレス
ZERO1-MAX
  • WWA世界Jrライトヘビー級王座:3回
みちのくプロレス
  • 東北タッグ王座:1回(パートナー:佐々木健介)
プロレス大賞
  • 2004年度プロレス大賞 新人賞
  • 2005年度プロレス大賞 敢闘賞

前も同じようなことやってたんですけど、改めて



期待の若手プロレスラーを紹介するブログをやっていこうと思います。。。



よろしくお願いしますドキドキ



でわでわ。。。